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2009年12月

2009/12/24

一通の手紙

 「雪を踏んでヌクイ谷から越中沢岳に登る ― これは老人の夢でした 計画を 変更し大町ー平ーザラ峠ー五色ケ原経由で孫をつれ八月上旬に同岳に往復しかえりは学而舎一泊后長野にでます いずれ追って詳細お知らせします」   4月、一通の葉書が着きました。これは今西錦司先生、80歳の時の連絡です。ヌクイ谷に雪の残る時期をねらい越中沢岳へと、まだまだ気力も体力も充実 されていました。  

計画は変更された予定通り、8月の上旬決行されました。黒部湖をダムサイト から、運搬船で平の小屋の船着き場に到着。船長さんは先代の平の小屋のご主人でした。船室から出て見ると、目の前に細く長く急な不安定な梯子階段が 上部の巻き道まで取り付けてありました。子供にとっては面白さもあって平気な階段ですが、大人は案外に考えるところです。先生もやおらこの長い階段を上 がり始めました。

 乗船の時、小屋の主人はダムサイトの船着き場で、「ハヤク ハヤクシロ~」 と下の方で怒鳴っていました。乗船組は湖に落ち込むような急階段を、どなり声に急かされながらの乗船でした。それ以後一言も言葉を交わさずに平に到着で す。このとき船長は舫い綱を手繰りながら、ずーっと急な長い不安定な梯子階段を、一度も止まらずに、上がる先生を見ていました。しばらくして「あの年寄りは大したものだ」と、なぜかの説明はなく、 ボソッと云いました。  

このときは、先生は船長さんが山小屋の主人とは知りませんし、船長さんも老 人が山の今西さんとは知りません。しかし、この山の住人は、長い梯子を登りきって行ったと云う一コマを、山人の培った尺度をもって年寄りを推し測りました。 ただそれだけのことですが、何の予備知識もなく、山の住人はその年寄りを山人だと悟りました。何事に限らず、近頃それぞれに自分の尺度を身につけてい る人が、少なくなったのでしょうか。  

自然の一つのまとまりを現した山を「山岳学」と意図した先生にとっては、何よ りの山人の評価であったことでしょう。先生にこの話をしたらきっと、切っと結んだ口から「ほうか~」と言って、眼鏡の奥の鋭い眼がにこっと、くずれたのではな いでしょうか。越中沢岳の帰りに、平の小屋にもう一泊しました。この晩は、お酒を肴に先生は小屋の主人と芦峅寺の懐かしい人の話に夜遅くまで興じておりま した。 色の変わった一枚の葉書、既に27年も前の手紙です。

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