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2010/07/11

AFRICA 1958 ( 3)


この当時(1958年)、調査地のケニア、タンガニーカ、ウガンダ、ルワンダ、コンゴ、カメルーン等の国々は、まだ独立前夜だった。
前進基地 ケニア・ナイロビには2週間滞在をする。 
その間に Rumuruti と Arusha へ数日間、用話のため出向いている。

東アフリカの窓口ナイロビでの目的は、日本モンキーセンターのサルの聚集とゴリラ予備調査、二つの目的のための現地情報収集が先ず課せられたことであったろう。 勿論、出発前の準備には怠りなくとも、その確認を取ることであった。
「・・・カメルーンの低地ゴリラに関しては、出発間際に吉場(健二)が届けてくれ、旅のつれづれに読んだメルフィールドの、「ゴリラは私の隣人だった」(1956)という本に書いてあることが、カメルーンに関する知識の全てと云う心細さであった。・・・」とすらある。 しかしカメルーンには上野動物園にゴリラ三頭を送ったという、動物商フィリップ・キャロルがいる。 

出発時の情報は心許ないものであっただろう。 しかし、いやだからやるのである。 ナイロビでは林田領事に紹介していただいた Coryndon MuseumのL.S.B.Leakey氏に会い東アフリカのゴリラの状況を聞き、人も紹介してもらった。 Museum からゴリラに関する本を買ったり、領事にお願いして何冊もの本を貸し出してもらい、忙しい時間の中で読書時間を作りゴリラ情報を貪欲に収集する。 いろいろな情報をつかんでゆく中で、アフリカの旅行がもはや、すっかり自動車の時代になっていることを実感する。

サルの聚集の話ではナイロビの北方、約200キロ地点にある Rumuruti を訪れている。 ナイロビに事務所を持つ動物商 Carr Hartleyの farme である。 沢山の動物に会い、用話を済ませている。 Leakey 氏の事務所でもそうだったが、ここでも家族が飼っているだろう野生動物に、先生はうっとりして見つめている。 本質的に動物は好きなんだろう。 ここでも本業にかかわる動物商の持っているゴリラの情報を仕入れている。 
Rumuruitへ 行くときにナイロビでは、「・・・マオマオノアマリ札ツキデナイノガ ブチコマレテイル concentration campノ前ヲトーッタ・・・」と、ケニヤで起こっているマウマウ団事件のことも直視している様子だ。 このサファリでナイロビに戻ってから、見て来た植物に付いてが気になることがあるようで、早速にBotanical Garden に出向いて、気になっていたことを解決したようだ。 気になることはすぐに確認をしている。
アフリカに着いてからの、初めての一泊のサファリで「・・・今日ハ大イニ愉快ダッタ ハジメテアフリカノ空気ヲ吸ッタヨウナ気ニナッタ・・・」と、いっている。

もう一度は、今度はナイロビの南方、約250キロ地点にある Arusha (当時タンガニーカ、現タンザニア)を訪れた。 ここでは Tanganyka game Farmeの Mr.Rule を訪ねた、彼も動物商である。
彼に会って驚いた。 何のことはないナイロビに来る時 Bonbay (現、ムンバイ)で一緒になったおっさんだ。待合室へ、ヘルメットをかぶった親父があらわれ何者だと思わせた、その人であった。 印度へ動物を運んだ帰りだったそうだ。 好感のもてる好男子だった。 やはり動物を見てまわる、用話ではサルはいくらでも手に入れることができるということだった。 
ここでも「・・・Mr.Ruhe の frau ガ胸ニダイテ出テキタ、右ノ胸ニハ vervet monkey ノ子供、左ノ胸ニハ dog-lacedbaboonノ子供デアル 二匹トモシガミツイテ ヨク馴レ、可愛イイコト 日本ザルノbabyニ劣ラナイ・・・」と、動物を見る目がどうしようもないような様子である。
farme からホテルへ帰る夜道で頭上に南十字星をみる。 
Arusha ではこの後、山と釣りに挑戦している。
山は Meru 山(4565m)を日帰りで登山する。 「・・・今日ハホントウニ伊谷モヘバッテルラシイ、モウ止メヨウト、思ッタコトガ二度ホドアッタガ、登レテヨカッタ、伊谷モ登レテヨカッタ」と、ある。
日本を出て、休むことのない行動の中での、山登りはこたえたようだ。  釣りは鱒を釣る。
「・・・Tanganyka ノ4日ハカクシテ終ッタガ、ナイロビトチガイ、日本人ハ1人モイナイトコロデ勝負シテ、マアトニカク、meru ニモ登リ troutモ釣ッタ、上出来ダ、ナンラ思イノコストコロハナイ」と云っている。
ここでも相変わらずの自然、人と社会状況、生き物への観察眼は休むことがないのだ。

ナイロビ滞在では領事・副領事、それに奥さんたちにもお世話になっている。 館には公的な Application をお願いする。  商社の人達とも大勢の人に会い、現実直視の実践的な話に耳をかたむけている。 お呼びのかかるパーティには出席をして、たえず人の中に身を置いている。 これも大事な調査隊の仕事であろうか。
今後の行動予定の資金不足を計算し、ここ(ナイロビ)でしか資金の調達は難しいと見ると、借金をお願いしている。  泰然としたイメージとは裏腹に、先の読みの深さと、そのあとの行動は迅速である。

滞在中には National Park へは3度も訪れている。一度は大雨のために門が閉まっていた。 先ずはアフリカの 動物たちに会えるだけあっておこうとしているようだ。いろんな名前の動物が次から次へととめどなく出てくる。 これでアフリカがぐっとまた身近になった。 どうも先生は、高貴な姿をしたキリンがお気に入りのようだ。

ナイロビでの逸話には、副領事の浅井さん宅でのパーティーでは二回とも酩酊してしまったようだ。 きっと居心地が良かったのだろう、しきりに飲み過ぎを反省をしてはいるのだが・・・。 せっかくの奥さん手製のうどんを食いそびれたので、再度お願いをした二回目も記憶には無いようである。
もう一つは、ナイロビでサファリ服を手に入れたのだが、それがまったく似合わず気に入らないようで、購入した失敗を大いに嘆いているのだ。 その時一緒に買った伊谷さんの値段の高い帽子と、自分のサファリ服が、ともに似合わぬものの例えのようにいっているのだ。 とにかく、自分の敗残兵のようなサファリ服はしまいこむことにしたそうだ。 あんがい服装には気をかけられていたのだろうか。

いよいよ、前進基地としてのナイロビの滞在は終わったようだ。 領事を始めとして、お世話になった方々に別れを伝えて、2月26日次の予定国ウガンダへ出発をした。  




以下次回へ



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