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2010年8月

2010/08/24

AFRICA 1958 ( 7)

 
3月11日、Reuben が見送りに来てくれた。 Rest house の4人の boy が握手をして、そして花をくれた。 Baum 氏の人柄が感じさせられた。 Kisoro 出発である。 Kisoro までやって来たときの、 Kisoro - Kabale 街道を途中まで戻り、Ruband の手前で左に折れ、畑と農家のある山の中腹にうねうねとつけられた道を登って行く。 やがてforest reserve に入り、そこで Lunch にした。 食後に休んでいると、珍しい蝶や、腹まで真っ黒なツバメが目の前を飛び交わっていた。 
そして道路は行けども行けども森の中を走る。 道は尾根に沿って走っていた。 それから道は reserve を離れて、どころどころ開墾された所を行く。 そこはまだ山の木を伐採して、焼いたばかりのところもあった。 それから再び森林に突っ込んでいった。 ここが Kyonza gorilla の住むところだ。 夕方近くになり、山が低くなり前面に Lake Edward につづく平らな地形が広がった。 savannah から、ここではsteppe へと順調な変化を示しているように思えた。 Buffaro loge 着、4時半。  Kyaonza の森(現、Bwindi impenetrable National Park) 走破の一日だ。 Baum 氏に紹介状をもらって来た Loge だが、当主は留守をしていた。 
本日の宿だ、一時間ばかり廻りを drive をした。 いろいろな動物達に会う。 Buffaro loge というだけあり、おびただしい Buffaro にも出合った。 宿に帰り一休みしようと思っていたら、一瞬の風と共に雨を伴った大嵐になった。 やがておさまり、後はけろりとしているのも、やはり嵐も大陸的だった。 9時になっても夕食が出てこない、やはり嵐の影響で夕食の用意が遅くなったようだ。 
食後のコーヒーが出たところへ、「・・クダンノ男ガアラハレタ・・・」とあるが、 この件の男だが、誰かに紹介されていた男なのか、噂に名前を聞いていた男なのか、偶然この場であったのか、ノートではよく分からないのだが。
名前を T.S.Spyropoulos という、アフリカには年期をいれた山師 ― miner であった。 道路造りの請負をしているらしく、今日通って来た道も彼が私費を投じて造ったもので、それが Public road になったが、かれはいくばくかの金を貰ったにすぎないというのだ。 山師も大した事をするものである。 
また彼は6カ月間、砂糖も塩もなしでイモ(sweet potato) だけで、「入らずの森」へ金を探しに入り、ばく大な金を得て成金になったという。 その時は雨が降ると裸で歩き、草葺きの小屋を立て歩いたという。 
Gorilla や Chimpanzee には何度も出合ったといった。 これで Chimpanzee が Kyonza にいることは間違いないだろう。 
そして Gorilla については、この森では三つの地域に居ることを詳しく教えてくれた。 Pitman については、森には入らず我々の話を聞いてsteal しているのだと言った。 そして彼は、すでに impenetrable forests ではないと自負していた。 また森には pigmy が住んでいて、bush tracks が縦横無尽にどこにでも入ってると話してくれた。 此処へは誰か Gorilla の調査に来たのかの問いには、二人の者が来たと言った。 彼はAfrica は処女地だ、若い人達はしたいと思ったことができる、やって来いと云った。 
藤島もアフリカに来てはじめて会った豪傑だと感心していた。 アフリカゴロと言ってしまえばそれまでだが、妻子も養っているのである。 そして、とにかく native 語も自由に話せるのだ。 Spyro 氏は12時頃帰っていった。

3月12日、Spyro 氏が朝早くには、動物が道端に出ているから7時には起きよ、ガソリンは自分が入れてやると言ってくれた。 それに Ruwenzori が見えると言うので早起きしたのだが、今朝は見えなかった。 1時間半ばかりの車上観察で、今朝も沢山の動物たちに出合って帰ってきた。 
遅い朝食をとっていると、 Spyro 氏の夫人がやって来て座り込み、いろいろ話をした。 Spyro 氏や技師たちは、仕事のために Loge から少し離れたところに建てたトタン張りの家に住んでいるのだ。 
Spyro 氏は今日は我が家へ帰るのだと言って、別れにビールをおごってくれた。
Loge 出発は11時50分・・・だった。 新道を出て、しばらくして elephant の大きな群れにであった。 一路北上して Fort Portal へ向かう。 Fort Portal はなかなか遠かった。 Hotel 着5時。 Hotel で個室に収まり bath に入り、 Kampala 以来のついていた頭のほこりを洗いおとしてスットした。 
Kisoro は雨季だと言い、またここも Ruwenzori の影響で空は Tanganyka のように晴れてくれないのだ。 
「ツマリ Africa ニスレバ、 wet ナトコロニチガイナイ ―ダカラ agriculture ガ可能デアリ、シタガッテ populationガdense デアリ、人間モ cultivate サレテイルトイウコトニナルガ、ナンボ wet デモ日本ノ wet サトハワケガチガウ、トイウノハKisoro デサヘソーダッタガ、 bath ニハイッテヌレタ手拭ヤ洗濯シタフンドシガ翌朝ニハカラカラニカワイテイルカラデアル 」
Fort Portal はジャカランダの花ざかりであった。

ここで Spyro 氏の一つの逸話が記されている。 「Spyro 氏曰ク、彼氏ガマイニチ Hihizo デ水浴シテイルト、キマッテ一匹ノ chimpanzeeガ出テキテ、ジット彼氏ヲ見テイタ、シカシアルトキ彼ノ従者ノnaitiveニ襲イカカッテ、ソノ hip ノ肉ノヒトカタマリヲ食イチギッテ逃ゲタ、トイウノデアル、ソノchimpanzee ハドーモ ♀ デアッタラシイ、乳房ガツイテイタカラ、彼女ハSpyro氏ニ love シテイタノカモシレナイトイッタ」 と、あった。 
これを読んでいたら、宮崎県の幸島で吉場健二氏に恋した、雌のニホンザルの話を思いだした。



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2010/08/14

AFRICA 1958 ( 6)


3月7日、きっと疲れたのだろうか、朝ねをしたようだ。 9時過ぎに食堂にゆくと、おっさんに"おそい"と言われた。 一緒に食事をし、話しているうちに資金の話がでた。 おっさんはGorilla調査にかかわる人たちの、仲間内の関係についていろいろ話してくれた。そんなことをしゃべりながら 「オイ早ク Gorilla ヲ見ニイッテコイ」というのだった。 今日の天気では、山なら文句なしに滞在なのだが、おっさんにそういわれたら、行かぬわけにはいかない。 昨日もそうだったのだが、自動車がなかなか言う事をきかない。 そうこうするうちに、やっとエンジンがかかり、昨日の道を走ってcampまできたが、強い雨で車 から外へ出られる状態ではなかった。 Muhavura 山の中腹に白い滝が幾筋も出来ていた。 12時ごろになり、ようやく雨があがりそうになったので、出かけることになった。 今日のGorilla 観察をじっくりと note から追ってみることにしよう。 
「昨日 porter ニ出会ッタ col ノヨーナオトコロデ、今日ハ昨日キタ二人ノ tracker ニ出アッタ、ソノ外ニ今日ハ Rest Houseカラboy ガ弁当モチニ通 訳ヲカネテキテイルノデ、総勢7人デル、(コレハ Gorilla ノ observation ニハ、チョット大スギルカモシレナイ)、昨日ハコノcolヲスギテズット東ノ方ヘマイテユク、tracker ハ今日ハ近クニ Gorilla ガイルトイウ、 forest ニ入ッタ、尾根ヲコエテ、谷ヲ望ムヨーナトコロマデキタ、Gorillaハコノサキニイルトイウノダ、ソレカラ忍ビ足デススム、droppingガ三ツホドアッタ、ヒドイ jungle ニブツカッタ、ソノ下ヲ四ツバイニナッテ歩イタ、セキヲスルト先頭ヲ歩イテイタ Reuben ガ直チニフリカエッテ静カニセヨ、トイッタgesture ヲスル、Gorilla ノイル位置ヨリモ、サラニ東ヘマワッテ、コレヲ取リマクヨーナ方向ニ歩イテルノデアル、突然 グワァ グワァ グワァ トイウヨウナ猛然ナ、底力ノアル大キナ声ガシタ、スグ近クダ、オソラク10m、12内ダロー、天カラ降ッテキタヨーナ全クノ突然ダッタ、アトデキイタラ、藤島ハコノ声ヲキイタトタンニ恐怖ニオソワレ、後向キニ逃ゲ腰ニナッテ一足踏ミ出ソートシタトコロ、trackerノ一人ニ制セラレタソーダ、Reuben ナオ前進スルノデツイテユク、サッキ声ノシタアタリニ、wild セロリーヲ食イチラカシタアトガアッタ、ソコハチョード昨日ミタrestplace ノヨーニモナッテイタシ、マタソコニハセロリーガ非常ニタクサンデキテイタ、シバラク行ク中ニ、マタ一声クワーットイウナニカ破裂音ノヨーナ物スゴイ声ガシタ、サッキノ物ト同ジ奴ガ出シテイルラシイ、シカシ姿ハイゼントシテ見エナイ、(但シサッキ大一声ヲ聞イタトキReubenノスグウシロニツイテイタ伊谷ハ黒イ物影ガサーット走ルノヲ見タトイッタ)、 Reuben ハドンドン急ギ足デサキノススム、オクレテナラジトツイテイッタ、スルト大三声ガ、コレハ、キャーニ近イ声ガコンドハスグ上デシタ、Reubenハ female ガ young ヲ背ニシテ、前ヲ右カラ左ヘ走ッタトイッタ、ソシテノコッタモノハ、マダ右手ニノコッテイルハズダトイッタケレド、彼ラハ相当disturbサレタモノト考エラレル、Reuben ハコチラヲ向イテ、昨日ト同ジヨーニ finish トイッタ、マタ彼ラハモウ congo側マデ逃ゲテユクダロー、トイッタ、コレハ明日ハモウ観察ハ駄目ダトイウコトデアル、・・・・ 」 
と、 Gorilla 観察の臨場感が伝わりましたでしょうか。
このあと、急に腹がすいていたことを覚えて、luch になった。 
「山ハ静カデ、アフリカトモ思エズヌ、霧島アタリノ南九州ノ山ノヨーダ」 と休みの時に言っている。 
このあと、鞍部におっさんが作った小屋まで行くつもりが、みな帰ろうと下り始めたのを止めて、それからだいぶ登った。 切り開きに出たところは2750mだった。 ここから先がgorilla sanctuary なのだが、昨日も今日も Gorilla はこの line より下で発見しているのだ。 4時に2950m鞍部に作られた小屋に到着。 Donisthorpeが泊っていた小屋だ、小屋には竹で編んだ bed が残っていた。 
「ココカラ Muhavura ガヨク見エタ、雨アガリノ雲ガハレテ、頂上ガ出テイルノデアル、マタ北ノ方ヲ望ムト、エドワード湖ガ見エル、空ノ雲ガウスクノコッテイルノダガ、イワユル高曇リデ、遠方ノcongo 境ノ山マデヨク見エタ」
あすは Muhavura 登山、明後日はもう一度 Gorilla 、月曜日には Buffaro loge にむかう、ことを下の camp までおりてきた時に決めた。

3月8日、この日は登山にあてられた。 Muhavura、Mgahinga、 Sabinyo 三山のうちの一つ、 Muhavura 山(4127m)である。  この一帯は、調査中のウガンダ Mountain Gorilla 生息地域の一つなのである。  先生は第一次ゴリラ調査の時にアフリカの山を三山試みた。 この時の山登りは、山に登るための山登りとは、趣は違うように思えるのである。 最晩年、寺本英さんとの対談の中でも、「・・・ぼくにとって山とは何もおぞという論文を書こうと思ったんやけどね、それが書けんのはやっぱり自分やからな。こんだけ山が深う入ってると、もうかけんなあ。そういう全体的なものちゅうのはみなそういうもんでな。・・・」とも言っている。機械論的の山登りだけではなかったのではないか。 
さて、この一日は、いつもと通り車のエンジンがかからず、ボーイ達に押してもらい、よーやく始動した。 Shrandl comp へ 8:45分。 二人のTracker が約束通り Porter としてやってきた。 二人は Reuben の近所にすんでいて、Reuben と共に Baumgaretel(おっさん)が Tracker としてやとってるらしい。 1時間歩き2600mにきた、 3100m(10:40~11:10)で休憩、ここが森林限界だった。 3500m(12.10~12:50)でLunch にする。 2時頃4000mに達っし、頂上はすぐだ。 
「シバラク登ッタトコロデ senecio ノ芽ヲ荒々シクモギトッタ跡ガアッタ、サキヲ歩イタ Reuben ハ、ユビサシテgorilla ノ食ッタアトダトイウ、ココデsenecioヲ食イナガラ昨日アタリ下ヘオリテイッタ、奴ラハ Congo 側カラヤッテキタノダトイッタ、昨日見タ4匹組カトキクト、イヤ別ノ組ダトイッタ、コンナトコロデGorillaノ Track ヲ見イダストハ思ハナカッタ、彼ラハ深ク切レコンダ谷サケテ、ヲオソラクトーラナイダロウカラ、山ノ8-9合目ノ senecioノ多イトコロヲ横マキニカスメナガラ、結果Donisthorp ノ camp ノ方ヘ下リテユクダロー、ソレカラオソラクハ山麓帯ノ wild セロリーヲ食イニbanboo zone ヲ指シテオリルトスレバ、コノ間カラ四匹組見テイタアタリニ、明日カ明後日ニハ現レルジャナカローカ、ソレハ話シニキイテイル12匹組カモシレナイ・・・」、と喜んでいる。
頂上には2時30分ごろ到着だ。 景観が珍しく、苦しさも忘れて登ってしまった。 もう一つの要因は、Meru で失敗した重登山靴を運動靴に変えてきたのが成功だった。 「マコトニ快適デアッタ」と、言わしめている。
「コノ間カラ二日 Gorilla ヲ見タ山麓ノ森林帯ノゴトキワ、山ノウエカラ見レバ、耕作地ニ接シテオリ、アンナ人間ニ近イイトコロニ mountainGorilla ガ出没スルノカト、チョット意外ナ気ガシタ」
7時半に車まで戻った。 もう日がまさに暮れようとしていた。  今日は遅くなったので tracker も車に乗せて車のライトをつけて、いつもの道を帰っていった。 ところが暗くなっているのに、まだ畑では村人が何人も働いているのを見て驚いた。 Rueben は明日は日曜で教会へ行くという。 今日は無理をしているので一日休んで、月曜にもう一度 Gorilla を探しに行く約束をした。8時すぎ、 Kisoro にもどった。 もう真っ暗で、おっさんはランプを掲げて、 boy 達と出迎えてくれた。 遅かったので心配してくれていたのだ。
 「心配サセテスマナイガ、マヅ Muhavura 山ニ登レテ、一雨ニモアワズ lucky ダッタ」

3月9日、一日完全休養日にあてる。 個人的な雑用をこなす。 夜、Maum 氏と Gorilla に関わることについて話をする。 資金的な問題が大きいようだ、ちなみにGorilla の餌さづけの費用すら捻出できない状況だ。 今夜は涼しい、1時半に就寝。

3月10日、10時に出発。 一昨日の疲れが残る藤島は shrandle camp で待つことにする。 清々しい良い天気だ。 col を越え登ってゆくがtracker は、どこにいるのか出会わない。 この間の道を通り forest reserve の切開きまで登った。 今日は Gorilaを捕まえるのに苦労しているのではと思った。 そのうちに上の方でtracker の笛の合図があった。 Reuben がこれに答えた。  切開きで tracker に会えた。 tracke は自信ありげに bushの中え下りていく。 しばらく下りたところで、一人の tracker が左の方え踏みこんでいった。 その tracker が戻ってきて左手を指差した。 その方向を見ると、気のせいかbush の茂みのなかにいるのか。 音も聞こえず Reubenha は上に向かい歩きだした。 このとき確かに、山に向い右手の上の方で、ブルブルと馬が鼻をならすような音を聞いた。 Reubenについて登ってゆくと、突然右上手で、グワァ グワァ グワァ  となく声を聞く。 Reuben は止まらず登って行く、ついていったが、ついに姿は見えなかった。 
「立止ッタ Reuben ハ背中ガ green ―コレハ grey ノコトヲイッテイルラシイ― ノ奴ダ、大キイ奴ダトイッテイル、ワレワレガ下ヘクダリオリルノヲ待ッテ、ワレワレヲ返シコサセテカラ上ヘ逃ゲテイッタラシイ、コノ間ノヤリ口トヨクニテル、物音一ツタテズニ逃ゲテシマッタ、コンナトコロハニホンザルトチガッテ、ナカナカ巧妙ナモノダト思ッタ、Reubenハ例ニヨリ finish ダトイッタ」 
lunch にした。 午後もう一度、出食わせないものだろーか。 Reuben を説得してすこし歩いてみたが、Reuben は上に逃げて行ったと言った。 それらしき踏み跡は見えなかったが、彼がそう言った以上は仕方ない。森の中を下ることを提案したが、下るとこの道も結局いつもの水路沿いの道と一緒になった。 Gorilla とぶつかったのが1時半ごろ、 shrandlcamp へ帰ってきたのが3時だった。 藤島は車の中で寝ていた。 のこしておいたlunch を食べてもらった。
「Reuben モ tracker モ芝生ノ上ニゴロリトネソベッテイル、大陸的ナ雲ガ空ニナラビ、蒙古ノヨーナ風ガ吹イテイル」
その辺の羊飼いの子供や女たちを写真に撮ったり、いつも通っている道の側にある学校に寄り交換会をしながら帰ってきた。
「今日ハ早クカエッタノデ、アカルイ中ニ風呂ヘハイッタ、夕日ガトテモ美シク、 Muhavura ガキレイニ出テイタ、Kisoro ノ滞在6日間ハヨイ休養ニナッタ、マタココハトニカク、アフリカラシカラヌ ―エキゾチズムトイウ点デハ物足リナイカモシレナイガ― コトニヨッテ逆ニ印象的ダッタ」
すでに、日本を発って1と月になっている、 Kisoro の Gorilla 観察の6日間もでさえ休養になった、と言わせている。 
夜、Baum 氏から visitor´s book に何か書けとたのまれ、開いて見ると Pr. Raymond A Dart が紹介を書いている。それによると、 Baum 氏は1955年 May にやってきた。 Gorilla を始めたのは1956年になっている。 その Oct に MissRosalio Osborn がきた。 1957年 Jan から Miss Jill Donisthope が assistant に来ているのである。
「1頁書イテネタ」




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2010/08/04

AFRICA 1958 ( 5)


3月4日、「昨夜は2時までかかった。 朝のうちに伊谷は銀行で金を受け取り、飛行機のBooking もしなければいけない、伊谷の用事が手間取り、時間がかかっている。 待つ間に、History of East Africa の第一章を読んだ。」 ・・・で始まっている。 
いよいよ出発だ。 自動車は運転が藤島氏、助手席に先生、後部座席は伊谷さんのようだ。 途中で車の屋根の荷台枠が壊れ、積んでいた荷物が吹っ飛んでしまった。 屋根の荷物を後部座席に詰め込んで、荷台枠はなおりそうもないので放り投げてきた。 先生は助手席が一番良い席であることは、蒙古以来わかっているそうである。 後部座席は荷物できついようだ。 地図で追うと、Kanpalaを出て南西に下り、Masaka ここから西の Mbarara へ、ここからまた南西に下り、今夜の泊り Kabaleまでである。 
第一の目的地 Kisoro は、Kabale から西へもう少しの距離である。
「 Mbarara 以来ノ道ヲトーッテイテ、コレガアフリカダローカ、ト何度モイッタコトデアル、空気ガ湿気ヲフクンデイテ、柔カイ草ガ青々ト茂ッテイテ、ソノ草塀ノイ中ニ、バナナニカコマレタ民家ガアル、ドコカ伊豆ノ辺リ歩イテイルヨーダトカ、アルイハ立科ノスソアタリヲ歩イテイルヨーダトカ、蒙古ノヨーダトカ、勝手ナコトバカリイッテイタガ、コノ峠ヲコシテカラサキハ、イヨイヨモッテ日本的トナッテキタ」 と、それぞれに感想を持っていた。
赤道ラインを走ってきているが、ちなみに標高は、だいたい Masaka で 1200m、Mbarara で 1500m 、Kabale で 1800m、KIsoroは1900mの標高である。 
今日の泊り Kabale には8時過ぎについた。

翌朝、早く眼がさめた、11時出発を予定する。 Leopold と Nairobi に飛行便を出しに郵便局へ寄って出発。 途中 Kayonza
(現 Bwindi )への分かれ道がある、教会の突塔がみえる広い谷間へ下ってゆく。 「ソノウチニチョット登リニナッテ、パット眼前ノヒラケテトコロヘ出タ、標高7820呎トアル Kisoro盆地ガ眼ノ前ニヒロガッテ、ソノ上ニMuhavra、Mgahing、Sabyinyoノ三山ガ立チハダカッテイル、ツイニ Kisoro ノ盆地― トイウカ火山ノ裾野ダ、Muhavuraノ中腹マデ耕サレテイル、ココモナンダカ アフリカラシカラヌトコロダ」 これが Kisoro の第一印象だ。 
そして「Baumgartel ノ Rest ニツクト、オッサン出迎エニ出テキタ、思ッタヨリ年トッテイル、シカシ見ルカラニドイツ人トイウ顔デアル、」 主人のバウムガルテルは歓待してくれた。 宿では一番の部屋を用意してくれた。 設備はお粗末でも、その親切がうれしい。 食事は近くの湖で捕れた魚のフライを用意してくれた。 その親切心がやはり嬉しかった・・・とある。
それから、おっさんは 午後はこれを読めと Donisthorp (女性)の Type に打った35枚の原稿を貸してくれた。 また彼自身や Oliver Milton(伊谷は日本で多摩動物園林園長の紹介であっている)のJournal の記事も貸してくれたので部屋に戻り読む。 次は、雨も小やみになっているので、明日からの案内人Reuben Rwanzagireにあいさつに行く。 彼は明日の朝は8時 に待っていると言った。
夜、宿帳を見ると林田領事も泊っておられた。 
Baumgartel氏・・・おっさんの呼び名でとおしましょう。 おっさんは沢山の infomation を教えてくれた。 Kampala のMakerere CollegeのProfessor Alexander Galloway と、ヨハネスブルグ大学の Raymond A.Dartとが Gorilla研究のcommitteeをつくり、ここへexpedition を派遣する計画があるらしいこと。  この committeeが Baumgarter氏とMiss Donisthurpeに対して昨年度は軍資金を借給していたこと。 また、 Belgian Congo ならBukabn にいるVan den Berge に Contactすべきであること。  ここの Gorillaは餌さづけについては、金がかかりすぎ塩をもちいてみるつもり・・・という事々を話した。 それぞれにcommentはあるのだが、一つだけ 「Gorillaノ生態研究  ― Gorilla ノミデナクテ、ドンナ monkeyデモ、 apeデモダガ ―  ニハ餌サヅケト、ソレニ伴ウindividual discriminative トイウ prosses ヲヘズシテハ、成リタタナイトイウコトヲ、ワレワレハ確信シテイルノエアル」 と、ある。 
夕食後アセチランプの下で、Donisthupe の peper を読了したが、なにか不徹底である。 と云うのは彼女が一つの群れを markして、それを trace しなかったからであると言いたい ・・・・、 いつも思索の人である。
「暑クモナシ 寒クモナシ、チョウドヨイ加減ノ気候デアル」 

3月6日、夜がほのぼのしらむ頃、遠くで鶏の鳴く声を聞く、まったく田園的だ。 農耕アフリカもアジアと なにも本質的は違いはない。 昨日の Reubenと8時の約束が、9時を回っていた。 途中Nyaruiza で 彼をひろい、それから草の道を走った。 Kisoro から南へ8~9キロ、 Mgahinga山の北側に Abondend camp がある。 Muhavura と Maghinga の間の鞍部から水を引いた工事の時のcamp だそうだ。 ここにGorilla sanctuaryと 制札があり、それを見ると photo を撮ることさえ game warden の許可がいるとあった。 畑のまわりに作られた、たよりない道をダラダラ登ってゆく、自動車を捨てたところは2300mだった。 森の中へ入ってゆく、森と云っても森林ではない。 そして所々が半開墾されて、麦が植えてあり実っている。 またジャガイモも植えてあった。 その限界がMaghinga山の北斜面で2500mぐらいか。 そのうちに黒いオーバーを着て手には panga を持った native 2人に会った。これがTraker だった。 彼らは我々に先んじてGorilla の track trail を探して歩いているのだ。 これがゴリラとの初対面の前段である。
「・・・Reuben ガコレガ wild セローリダト教エテクレル、ヤガテ Gorilla ガ今朝 Wild セローリヲ食ッタアトヲ見タ、太イアザミヲ根元カラモギトッタトコロモアッタ、 Reuven先頭デシズカニ、イウヨウナgestureヲシテイル、足音ヲ忍バシテススンダ、 コノ track ソウテススメバドコカデ彼ラニ追イツケルノデアル、 トツゼンポキトイウヨウナ音ガシタ、伊谷ハカメラノ用意ヲスル、コッチモ双眼鏡ヲザックカラ取リダシタ、 2-3歩ススンダトコロ、林間ノスキ間ヲトーシテ約30米ホドサキニミエル竹ヤブ ―Bambooハソノモウスコシサキカラチョコチョコ現ワレテイタ― ニ突然マッ黒ナモノガ現レテ、コッチヲ眺メタ、  Gorilla ダ、ソレカラ竹ヤブノナカニ姿ヲ消シタ、竹ガ動イテイル、黒イ長イ手ガ枝ヲツカンデ、マタ消エタ、 黒イ大キナ動物ガタシカニ2匹、左カラ右へ走ッタ、スコシ注意ヲカエテ見ル、サッキノ一度現レタ竹ヤブノ上ニマタ黒イ ―ソレコソjer blackダ― モノガ現レル、 背中ヲムケテイル、ソノ背中ノナントマルク、マタナント smooth ナコトヨ、巨大ナ軟体動物ヲ見テイルヨーダ、 ヤガテコノマッ黒ナカタマリガ、コチラニムキナオッテ、ワレワレノ方ヲ見ル、 ソレトバカリニ、16ミリガジーッイ音ヲタテテ回転スル、藤島ガトッテイルノダ、ソノ音ガ気ニイラナカッタノカ、コノGorillaハナンカ口デ小サク―ふた言三言イッタノチ、バサットイウ音ヲノコシテ消エテシマッタ、 ワレワレノイタトコロカラハ、ヨク見エナカッタガ、コノトキモイ一匹ノチイサイノヲツレテ逃ゲタトイウ、Reubenハ`finish'トイッタ、・・・」と、Gorilla との対面だった。
彼らは人間を警戒し逃げた、一時半以上は逃げるであろーと、これを追跡するのはいろいろな意味で難しい。 午後再び会うことが困難ならばもどろう。 今日見た群れが、昨日restした場所を確かめることが出来た。 言葉が良く通じないので、案内人のReuben を宿に連れてきた。 きょうの偵察のことで疑問に思うことを、Baumgartelが英語で boy に話し、boy が現地語に訳してReuben に訪ねた。 Gorilla の数と bed の数が合わないことについては、その一匹はvisitorだと云うのだ。 visitorとはなんだろう、日本ザルにはない。 その様な事がもし結びつくとしたら、Gorilla の社会は日本ザルよりも、ある面においては進んでいると言ってもよいであろうか。
午後は昼寝、5時まで日記付け、それから近くの湖までドライブにゆく。  夕食後、伊谷、藤島は naitive の歌を録音に行く。 部屋に戻り、おっさんの貸してくれた文献読みをした。 
虫のすだく音を聞くと、日本の9月ごろを思いださせる。 熱帯には season がない。 しかし熱帯はその日その日で、あるいはその時その時で、春にも、夏にも、秋にも化けるものだと知った。 ただし木の葉が全部落ちつくし、雪のおおわれて、頑として声のない冬というものはないであろう。
なお今日 Oliver Milton の paper だと思うが 村民 がトーモロコシを開墾地に作っていた頃にはGorilla がしばしば荒らしに、低いところまでやってきた。 そこで村民は賢明にも、いまではわれわれが見たとおり、麦とジャガイモを植えているのである様な事が書いてあった。 トーモロコシは餌さづけの有力なKeyなのだ。  ・・・と、3月6日のノートに記されている。 
どこにいても、とにかくよく動き、よく学ぶのである。
これが Magahinga の Gorilla に初めて会った日の後段である。
Gorilla に出会った、長い一日は終わった。




以下次回へ





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