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2010/10/31

AFRICA 1958 (14)

いよいよ、アフリカで最後の調査地カメルーンに移動する。 
4月20日 二日ほど寝不足が続いていることも手伝って気分が重い、朝食ヌキ。 9時、伊谷が迎えが来たと言ってきた。 領事とこ全部、井上さん、武田さんも見えている。 
コンゴ川は昨日スタンレー銅像の所から見たときも立派だったが、この埠頭から見たところもなかなか良い。 ちょーど ferry がついて沢山の人が上がって来た。 大きな汽船が二艘岸についていた、川を上下するもので Stan へ行くものはもっと大きいとのこと。 ferry は10時に出る。 だんだん人が乗ってきて、ほぼ一杯になった。 記念撮影ののち、お礼を述べて乗船した。 対岸の Brazzabill まで15分ぐらい。 

着いたところで入国手続きをすまし、親切な人が Air France のバスがつくという Beachi hotel を教えてくれた。 ここで コンゴフランを替えたら、100フランが450フランに変わった。 700フランの予定だったが、いつの間にレートの変動があったのだろう。 バスが来るまで、コンゴ川を見晴した食堂で食事を始めた。 Leo から今日の飛行機に乗るのは、われわれ以外にはないらしい。 Air France のバスは12.40に来た。 はたしてここから乗ったのは、われわれだけであった。 荷物の cargo 扱いの件やら、佛領出国、Cameroun 入国と念入りに査証をやられウンザリしていたところ、一人の英語の出来る乗客が親切にアドバイスしてくれ助かった。 こんなことで、1時発の飛行機に辛くも滑り込む。 出発が遅れて1.30頃出たのだ。 ―Libreville ― Douala についに着く 5.00。 

ここでまた煩い手続きをすませる。 Air France の車がない。 いろいろの人が来たり帰ったりしているが、みな自家用車だ。 もう一人のアメリカ人が我々と同じホテルの車を待っている。 係の女性にホテルに電話をしてもらい、ようやくに車が来た。 そのアメリカ人と3人で、それに乗ってホテルへ。 今度は部屋を予約してあったのに、ないという。 アメリカンも断られている。 ようやく別のホテルを取ってもらい、また3人で移動した。 大きなホテルだったが、やや旧式だった。 部屋には大きな扇風機が回るよーにしてあった。 テラスでウイスキーを注文したところ、一杯200フランで、東アフリカに比べおっそろしく高い。 
夕食後、伊谷が散髪するというのでついていったが、街を歩くだけでは街は殺風景で Bukavun の美しさはない、 Wisky a gogo のありそうな気配もない。 寂しいから帰ると言って、伊谷をほっておいて帰った。

4月21日 6時45分車が出ると言うので6時に起きた。外では雨がザアザア降っている。 Cameroun は雨季らしい。  空港へ行く客は3人だった。 8.15離陸、Yaounde までは1時間足らず。 Yaounde は平野らにあるのではなくて、低い山にかこまれた複雑な地形の所に発達している。 その向うに谷もある、高さも2700フィートあるという。 空港に着いた。 土はやはり赤い、滑走路は舗装してない。 

Carrol が出迎えに来ていた。 ホテルに行く前に自分の家に行こうと言って、町とはどーやら方向の違う舗装してない道を走る。 マンゴーの並木が植わっていた。 森林を伐りひらいたよーな所にある、彼の farm にやって来た。 キャロルは custam に行かねばならぬので動物を見て待っていろといって、彼の弟子の一人案内につけてくれた。 動物を見て回った。 動物たちは出荷した後なので、ストックが少ないのだと言った。 しかしイロイロいる。 ここには居候のドクターとカメラマンがいた。 ドクター夫婦とカメラマンをまじえてコーヒーを飲んでいるところへ、キャロルは帰って来た。 キャロルは君たちが欲しいと思うものはなんでも捕って見せると言った。
食事になり、なかなか美味い物を食えた。 食事が終ってキャロルの車でホテルへ送ってもらう。 
睡眠不足を取り返すべく3時半シャワーを浴びてよこになった。 この部屋は車の音がとても喧しく、これは明日でも反対側の部屋が空いたら変わるとしよう。 
Gorilla の本を読みだし8時過ぎになってキャロルが来た。 キャロルの友人のホテルへ連れて行ってくれた。 そこで夕食をしたが食物はわりにうまい、野菜サラダが美味かった。 

4月22日 伊谷に Air Frace へ time table を調べに行ってもらう。 木曜日に Santai Isabel から Bate を経て Madrid へ飛ぶ便が一つあるという。 木曜日というと5月1日か、次は8日だ。 8日ではちょと遅すぎるが ・・・キャロルは今はドクターが safari に出て行かないと動いてくれないだろう。 といってこんな宝の山へ入っていながら宝を得ずに帰るわけには行かない、ゴリラもチンパンジーも必ず見せると彼は言うのだから。 11時過ぎにキャロルが迎えに来てくれたので、彼の友人のホテルに寄って部屋を見た。 喧しくないだけが取りえで、此処だって hot bath はないし上等ではない。 けれども Yaounde でろう城と言うことになっても、ここなら書き物読み物が出来そーに思えた。 そこでこちらに変わることを決めた。

キャロルの家に行き昼食をよばれる。  食後、ドクターが餌 ― ほとんどバナナだが、その他パパイア、マニュオック、南京豆 ― を買いに車で行くから行くかというので、することはないのだし近くの様子を知るために伊谷と行くことにした。 farm からは3人が行く。 バナナはどうして買うのかと思ったら、farm の若い女性ジュリエットが窓から顔を出し「バナナ! バナナ! バナナを買うぞ!」 と怒鳴って行くのである。 車は止まらないでジュリエットがアナウンスして行く。 さて帰りになると、アナウンスを聞いてからとりに行ったものらしい。 車を止めると降りて、買い付けるのである。 帰って来たらキャロルはいなかった。 

もう夕食だ、雨は止んだが気温は下がって、半ズボンでは肌寒い。 犬と戯れたり、 hamadryas (マントヒヒ)を見たりして時間をつぶす。 その間に自動車で来た訪問客が2組もあった。 その一人にホテルまで送ってもらうようにしているところへ、キャロルが帰って来た。 飯を食って行けという。
食堂へボーイが2人で大きな箱を担ぎこんできて、部屋の隅に置いた。 もちろん病期の baby gorilla が2匹そのなかに入っているのだ。 夜はここに寝かすのだ。 ドクター夫人は8日間ほとんど寝ないで2時間ごとに milk を与えたが、いまはすこし病気が治ったので naitive girl が夜は付きっきりで milk をやっているのだという。 ジュリエットがその役目を引き受けているらしい。

食後、ドクターと話していたが baby ゴリラは2匹とも moniliasis (旧称、カンジダ症)という病気にかかっているのだが、これは native から感染したものだといった。  食事中もゴリラが泣く ―コ、コ、コ、コ、というような声で、それは母親を呼んでいる声だそうである― と、ドクターが立っていちいちゴリラを抱きかかえてやっていた。 ドクターはキャロルが呼んだのか、押しかけか知らぬがいずれにしても service に努めており、また子供のない彼等はホントーにゴリラを可愛がっているのかも知れない。 
そのうちにキャロルが帰って来て送ろうと言ってくれたので、皆に送られ車にのる。 ホテルは戸は開いていたが誰も起きていなかった。 日記をつけて12.15就床。

4月23日 午前中、メルフィールドの Gorilla を読んだ。 
部屋を空け、ロビーで待っていると、ドクターとカメラマンが迎えに来た。 ホテルに行く前にキャロルの家に行く。 伊谷は今日はゴリラとチンパンジーの録音をすると言うのだ。ゴリラの Bigman はなかなか泣かない。 今日ははじめて頭をなぜてやったら、肩に手をかけて抱きついてきたのには往生した。 チンパンジーは喧しいと言うのはホントーだ。 同時に感情が激するとすぐウンコをボタボタたれる。
キャロルと事務的な話しをしたかったが出来ず、ドクターがホテルまで送ってくれた。  夕食後、Gorilla を読みつつ眠くなり、蚊取り線香をつけて11時寝た。 

4月24日 もう Yaounde に来てから4日目になる。 アメリカ領事館へ Mr.Cutler を訪ねる。 この間頼んでおいた viza のことなど親切に面倒見てくれるらしい。 ホテルの食堂でコーヒーを飲んでいたらキャロルが来た。 キャロルの街の用事に付き合い、その後彼の家に行く。 伊谷はキャロルと商談をした。 値段を聞いてセンターに手紙を出した。 キャロルは商談が終ると昼寝をした。 
こちらは何もすることがないので、またドクターに頼んでホテルまで送ってもらうことにする。 
明日は Air France に交渉して、いよいよヨーロッパに渡る飛行機を予約しておこうと 思う。 そしてドクターの都合がつかなくても、何とか forest へ行けるようにキャロルに頼んで見ることにしよう。 

4月25日 Mr.Cutler を訪ね領事館へ行く。 キャロルが来ていた。 Cutler 氏に昨日と同じよーに車に乗せてもらって、先ず bankへ行く。 伊谷は Air France へ行く。 Air France の方は間違いなく取れると言うから、これで schedule をよーやく立てることが出来た。
昼食を取り、それから部屋へ帰って午睡した。 この2~3日は今までにない休養を取っていることになる。 これもよいだろー。 夜は伊谷に誘われて音楽会へ行く。

4月26日 昼までメルフィールドを読み終わり、昼飯を食い、昼寝しよーとしていたらキャロルが来た。 ここまで遥々持って来た双眼鏡を進呈した。 娘に上げると言って喜んでいた。 
かれの farm では午睡の最中だった。 ドクターが出てきた、どこへわれわれは gorilla を見に行くのか、またいつ行くのかと、多少事務的になって追及したところ Djaposten のかれの station へ行くらしい。 Mendjum Mey に続いたところだ。 
明日から Mr.Pesek というフランス人がくるので、その人の車に乗せられて、そこまで行くらしい。 ドクターは Mobil の road map を一対くれた。 それを見るとやはり300キロはある。 とにかく明日は Pesek に会う必要があることが分かった。 キャロルはまた車で出て行ってしまった。 車のないわれわれは、また捨て小舟だ。 Bigman と遊ぶとワイシャツが汚れるので、今日は彼のオリには入らなかった。 ドクターはマンドリルの cage に入って彼と遊んでいる。 
カメラマンを捉まえて素性を質したところ、はじめからここに居たのではなく、ドクターのカメラマンとしてやって来たのだ。 常は Douala よりも北の方 Nkongsamba に住んでいると言った。 
ドクターが水を買いに行くと言うので同乗して、ホテルへ帰りたかった ―もう farm の電燈もついたし― 、しかし直ぐ帰るから君らは待てと言うので待つ。 煙草がきれ何もすることがない。 伊谷はfarm で炊事を手伝っている。 
ドクターとカメラマンが帰って来たので食事となる。 9時過ぎドクターにお願いしてホテルにとどけてもらう。 ホテルは今日は土曜日なので band が始まっているが、まだ人は集まっていなかった。今日は昼も降り、夜も降り、よく降る。

4月27日 今日は日曜日なので10時頃まで近くの charch で歌う讃美歌の声が聞こえてきた。 その声は日曜日-安息日に相応しい、いかにも平和に満ちた声のよーに聞こえた。 
朝多少曇っていて、遠くに見える森が靄でぼかされていたのだが、昼近くなって曇り空から薄日が射して来た。 うすら寒く日向に出たくなる。 アフリカでなくて何処かもっと北の国にでも来ているよーである。 
荷物をつくろーかと思ったが出発が確定するまでは、その気になれないものだ。 それよりも文春の原稿を書く気になり、その構想をはじめた。 
昼になり飯を食おうと下へ降りて行ったら、キャロルが現れ、午前中に2回も訪ねたが寝ていたと言う。 キャロルと一緒に飯を食ってから、彼の家へ行った。 
Mr.Pesek の車はまだ着いていないだろうと言う。 伊谷は昨日の続きで farm の native (主にバミレケという Yaounde から西の方に住む)の歌を録音する。 キャロルは昼寝だ。 
仕方ないから文春の構想をつづけて何とか40枚書けそーになった。すると早く筆を取りたくなって、むずむずして来る。 原稿用紙を持ってくればよかった。5時ごろキャロルが起きて来て、それから同乗して Mr.Pesek の車の止まって居る所へ行った。 車は来ている。 キャロルは native の market へ行ってゴリラの milk を買って、もう一度家へ帰った。 
それから食事までにいろいろゴリラの話を聞いたが、France Africa の bush なら何処でも知っている、ここらを今までに一番見ているのは自分だと言った。 
ゴリラは monogamy (一夫一婦)であること。 寝るときは♀と子供は木に登り♂は木の下で寝ること。 family 間の battle は見たことがないこと。 Solitary の female はいないこと。 二年に一度子供を産むこと。 9カ月で生れること。 性交は face to face であることなどを話してくれた。 この辺りの gorilla は black だが海岸地方にいるものは grey であることなど話した。 
9時過ぎもう一度 Mr.Pesek の車を見に行ったところ誰もいない、明日出るのだったら荷物が沢山積んであるはずだから、荷物を積んでない所を見ると明後日になるだろー。
他の車を探してみよーとホテルまで送ってくれた。  

4月28日 今日は Sanbmelima の方へ行くと言った。 11時頃もう一度ドクターとジュリエットも来た、しかし原稿書きが忙しいので伊谷だけ同乗していった。 昼食は一人でゆっくり食った。 4時ごろまた書きだしていたら領事館から使いが来たので、Cutler に会いに行く。 地図を3枚くれた、パスポートが戻って来たが間違っているので、もう一度問合せるのでもう少し待って欲しいとのこと。 
キャロルの話では Abung-Mbang 行きのバスは明日の朝3時に出ると言う。 荷物作りをしている所へ Mr.Cutler がパスポートを届けてくれた。感謝して礼を言った。 

うたた寝をしながら伊谷の帰りを待つがなかなか帰らず、寝間着に着換え寝た。 夜半1時半に伊谷は帰って来た。 やっぱり3時出発だろーか、それが気になって2時に眼が覚めた。 次には3時に眼が覚めた。 伊谷が起こしに来ないところをみると予定が変わっただろー。彼の様子を見ようと電燈をつけたら、ドアーのところに紙切れが一枚あって Djaposten は止めてSangmelima の方へ明日行くことになったと書いてある。 そんなことだろーと思っていた。 それから熟睡した。



以下次回へ






 

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