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2010/11/10

AFRICA 1958 (15) 

4月29日 朝寝坊しているところを、伊谷に起こされる。 
彼はもうサファリ服に身を変えている。 Sangmelima まではバスで行き、そこにいるオランダ人に頼んで、それから先は送ってもらうのだそーである。 原稿の続きを書こうと思っているところへキャロルが現れ、バスをやめてhire で行ったらどうか、4~5000フランで交渉すると言うので、それに決めた。 
そこで昼食をとると、車が来たのでイヨイヨ出発だ。 キャロルの所へ行って、そして彼が例の銃を持ってわれわれの所へ来てくれる約束をして、2.30 Yaounde を出発。 今まで来たことのないよーな街はずれ、それでも整った処を通って、いよいよ郊外に出る。 
道の両側だけは palm、banana、それから cacao を植え、道の沿ってわりあい頻繁に村落が現れているけれども、もうその背後まで森林が迫っている。 
道路に沿って村落の多いことは、このカメルーンが一番のよーだ。 家はもはや丸型でなくて、ことごとくが4面形であり、土塗りで窓も開けてある。 屋根はバナナ葺きが多いけれど、トタン屋根もかなり見かける。 ところどころで川を渡るが水は赤っぽく、森の間にその行き先は消えた。 なにか湖沼の様なかわばかりだ。 
1時間で Mbaimayo に着く、3.30だ。 Ebolowa へ行く道が別れた。 道は所どころ舗装してないところもあるが大体舗装は完了して、運ちゃんは猛烈に飛ばし、一度は鶏を敷き殺した。 佛領もこれなら道路は立派なものだ。 車は所どころで小型バスを追い抜いてゆく。 あれに乗って行かねばならないとしたら、ちょっと悲観だなと思った。 
道々女の服装がもう native 化するかと注意して見ていたが、どこまで行ってもワンピースを着ている。 お婆でも着ている。 これはちょっと予想外だ、町から外へ出たら変わると思っていたのだ。 もう一度Ebolowa への道が別れるを見て Sangmelima へ着く。 Yaounde から3時間で着いた。 5時半前だった。 東へあと30分ぐらいで目的地 Nezese へ着くと言う。 
Sanbmelima はこの近くの center で役所もあり European が100人も住んでいると言う。 訪ねるダナイ氏は留守だったが、奥さんがウイスキーを飲ましてくれた。 乗って来た車の運転手はMezesse までならもう1500フラン余計にくれとうるさい。 しかしダナイ氏もいないし、奥さんではどうにもならない。 とにかくダナイ氏の経営している店へ買物に行き買物をした。 アルコールはないので native の bar でビールでも買って行こうと思った。 
もう一度ダナイ氏の所へ戻ったところ同氏が家に帰っていた。 車の件を奥さんから聞いていたらしく、今夜は家で泊ることにして、車は返してしまいなさいと言う。 明日、家の車で送るからと言うのだ。 この人は戦争の時ジャバか何処か南領に行き、日本軍の捕虜になり苦労したらしいが、それを根に持たづに日本人に親切にしてくれるのは、まだ若いのに偉いと思う。 時計を見ると、もう6時だ。 ダナイ氏の言葉に甘えることにした。 こういう人からいろいろと information を得ておくことも必要である。   

・・・・・その夜、今西先生はダナイ氏に幾つかの質問をしている。 どーしてカメルーン(地域差は勿論あろうが)の native がこんなに livingstandard が高いのか、また独立について、等々質問をしている。 その答えは明確だ。 そしてアフリカの future についてどー考えるかとの質問にダナイ氏は、それは誰にも答えられない難しい問題だが、二つの点で駄目だと思うと言った。 一つは彼らに economic な概念ががないこと、ながい例をあげている。 それからもう一つは彼らの未来に暗く影を投げかけている、tribe 間のことだと言う、何が原因かと聞いたら zealously だと言った。 1958年に語ったことだが、現在でもこの問題の解決はない・・・・・ 

食事になった。 スープはおいしかった、前菜に続き Rice が green peas と炊いたのが出た。 日本の濃い口醤油を出してくれた。 ヤマサのレッテルがはったビンだ、これは嬉しい。 残ったご飯をみなたいらげた。 食事の後で、それじゃー日本茶を飲んでもらおうと煎茶をいれた。 ダナイ氏は余程味のわかる人とみえて、これはあと口がスーッとして良いものだとほめてくれた。 食後、彼の持っている16ミリ機械を見せてくれた。 キャノンやニコンの名を知っていた。
外へ出てみた。 この家は通りからちょっと引っ込んでいる。 道まで出たら広い通り ―中央に木を植えたところがあって― にはもう誰も歩いていなかった。 月がそこを寂しく照らしていた。 なにか満州の国境の町に来ているよーな気がした。 11時、電燈が消されたが、ランプを一つもらっていたので、12時まで過ぎまで日記をつけて寝る。

4月30日 朝、眼が覚めるとザーザー雨が降っている。 ダイナ氏のトラックで出発する。 
奥さんが土曜日の昼には、支那料理をして待っていると言ってくれた。 金曜日にキャロルが来ない時には、ダイナ氏のトラックを土曜日の朝まわしてもらう事を頼んで出発する。 
まだ雨が降っていた。 町の native ber でビールを買いいれ、パンを買った。 9時半に Sangmelima を出る。 ここから先もまだバスが通っているので道は良い。 森の中を通って行く。 Mezesse の本村で chef が居ると言うので、降りて握手をする。 同村の先生が生徒を引率して歌をうたいながら道を歩かっていた。 次の部落で車が止まる、ここも Mezesse だ(次も Mezesse である)小字というところか。 8軒の家がひとかたまりになっている。 
その中の一軒 ―Yaounde からついて来たわれわれの案内人ジャン・ルイの家だった、ここに泊るのである。― が家の中を片付けている。 中へ入ると、土間が4室あって、入ったところがliving room 、椅子もテーブルも粗末ながらある。 いま一つは藤椅子だ。 その向って左が寝室、右がさらに二つに分かれているが、ここはまだ良く見てない。 入口近いところにオートバイが置いてある。 ジャン・ルイはどこかからラジオを出して来た。 ベッドはスプリングが利いており、マットもついている。 さらに驚いたことにはガソリンランプやプリムスの火器まで備えている。 なんだか背伸びしていると言った感じだ ―日本の農家と比べてみて。 さらに感心したことは便所が家から離れた所に造ってあることだ。 村の男たちが代わる代わる握手を求めに来た。 彼等はいかにも文化生活をしているようだが、それは金が入ったから買ったまで、しまうと言う事を知らない。 
この連中は ―ジャン・ルイの着ているシャツもそうだが― 破れたところは、そのままにほってる。日本の農家はボロボロになるところをつぎをあてて丁寧につくろう。 誰だって、つぎの当たった物は着ているが破れたままでは着ていない。 ここが違うと思った。まだ降りたらぬよーな空で、室内にいるとうすら寒い。 村のすぐ後ろは、これが彼らの取る畑である。 カカオを植え、その周辺にさらにココヤシやバナナが植わっているが、もうそこまで森が迫っている。 その背の高い木にはサルオガセがさがっているのが見える。 
伊谷に飲料水をどこで取っているか調べに行ってもらう。 300メートル離れた所 ―森の中― にある湧水だった。 
食事はジャン・ルイの嫁さんが作ってくれるのかと思ったら、彼はどこからか一人のコックをつれて来た。 昼は持って来たハムカンを開け、そのコックが硬いビフテキを食わしてくれた。 村の食事を食わせろと言ったら、何が可笑しいか大笑いになった。 

1時半になったので森へ出かける。 ジャン・ルイは昨日来る道でどこかから借りて来た、銃を打ちたくてたまらない。 今日はゴリラではなくて monkey を見に行こーと言う。 テープレコーダーを担いだ者など3人がついて村を出た。 蝶が飛んでいる。 伊谷は網を持ってこなかった事を後悔している。 森の中を歩き回り5時帰路につく。大した収穫はまだなかった。 
東の空に月が出ている。 6時半頃帰った。 道で酒を飲んだらしい native が握手を求めて来た。 何を飲んだのかと聞いたら、ヤシ酒だと言う。 ギナペになかったヤシ酒がここにあるのか。 家に帰って早速ジャン・ルイにヤシ酒を持ってこいといいつけた。 

5月1日 昨日の夜は現地食を食わせろと言ってあるのに、コックはやはり自分の腕前を見せたいのだろー。 
食事中からタムタム(太鼓)を鳴らして人を集めていた。 明日は早出だと言うので10時半頃で踊りも終った。 ベッドにシュラフをしいて入って寝た。 暑くはなかった。 
4時ごろ一度目覚めたが、誰も起きていない。 そのうちにジャン・ルイが起きた。 家の外で話し声が聞こえる。 5時10分すでに起床、外は真っ暗。 朝飯、6.00予定通りに出発。 

深い霧が立ち込めている、今日は昨日と反対に本村の方に向って行く。 どこへ行くのか言葉が通じないのでさっぱり分からぬ。 本村の次の村で壮漢背の高いどんぐり眼の男が二連発を持って現れる。 これで一行7人となる。 この部落へ6.40着で、7.00出発した。カカオ畑をぬけ部落の東側の森へ入るらしい。 小川を渡った、それから先も道が続いている。 トウモロコシの畑に出ると、更にバナナ畑に続く。 部落を通っただけでは分からないが、やっぱりこんな遠いところに畑がつくってあるのだ。 
その頃から霧が晴れだして、日が射し始めた。 しかし露がまだ乾いていなから、もうズボンの裾は相当に濡れている。 ばななを gorilla が倒した痕がある。 7.50森に入ったとたんにmonkey が梢を渡るのを見た。 こちらは陽気なオッサンが、細い木かヤシの若木のよーなものを掴んで、ガサガサいわしそれと同時に擬声を使う。 するとサルの方でもこれに答えるので、在りかがわかるのである。 
8.10ゴリラの巣を一個発見、よくこんな物を見つけると思う。 それから森の中を登ったり下ったりする。 その繰り返しだ。 擬声を発しながら、方向から言うと、どーやら北へ進んでいるようだが、1時間過ぎ、2時間過ぎ、3時間はもう森の中を歩いた。 
11時にnaitive 達は自参の弁当を食った。 われわれはそこでオレンジを食ったが腹の足しのはならない。 浅い谷へ下りたら綺麗な小川が流れていた。 小川を見捨てて、また森の中の多分ケモノ道らしいものを伝う。 するとわれわれには聞こえぬのだが、彼等はゴリラの drum を聞いたらしい。 陽気なオッサンがわれわれを待たし、口を立てるなと言い残して、探しに出て行った。 11.20である。 下は湿っているから木の葉をひき木にもたれていると、朝早かったので眠くなってくる。 
12.00になっても帰ってこないので lunch にした。 この辺から ―今までは少なかったが― 先は palm が多くなる。 二人は結局ゴリラを見つけられずに帰って来た。 
1.00に出発。 少し東に方向を振り出した。 サルに会う、彼らの身体は実にシナヤカだ。 日本ザルなんか、これに比べたらすっかり武骨である。 2時、また群れに会う。 2時半、カカオの小さな花が咲いている。 しかしその朱実はなかなか大きい、柿ぐらいある。 此処で獲物を分けた。 それはどんぐり眼の壮漢はここから彼の部落へ帰るので、われわれは彼と別れて直接ジャン・ルイの部落へ帰るのである。 
カカオの林に出会ったり、道もはっきり人間の踏み跡になったから、もう近いと思ったがそーではなかった。 3時だった、われわれのとった道の方は足跡が大へん心細くなってしまった。 途中でまたサルに会う、ジャン・ルイは追っていった。 
彼を待たずに4.00時大木が下を焼かれ立ち枯れになっている所へ出た。 すぐバナナ畑があり、小屋が2軒立っていた。 出作である。 そこで休んでnative のとってきたサトウキビをかじった。 4.25まで待ったがジャン・ルイは来ないので別の道をとったものと考えて集発。 この出作りから先は道が急に良くなった。 森林の中の湿地のよーな小さな平らに青々と禾本科の草が生えていた。 これはrice だった。 道はなおも東に向っているのだ。 もう街道に出るかと期待しつつ歩いているが、いつまで行っても森の中だ。 そのうちに道が川で切れた。 川が道なのだ。ジャブジャブ歩く。 こんなこところが、あとでまた出てきた。 こいつは川というより水溜まりだ、ずいぶん長く続いた。 まるでマングローブの中を行くよーな気がした。 楽しかった。  
それから先は森の中と言っても木が小さくなり、耕作地も出てきた。 やがてカカオの大きな栽培地に入る。 出た所はジャン・ルイの部落の一つ先の部落だった。 夕日を浴びて街道を300メートル程歩き部落へ帰った。 

なんと静かな事、時間は6.10まえ。 やっぱりジャン・ルイの言った通り6時から6時までまるまるかかった。 ジャン・ルイに今日歩いたところを地図を書いてもらったが、大体北へ向ってずっと歩いた、それから帰りに東に向いて太陽を背にして歩いたから、矩形の二辺(他の二辺を街道で行き行き通った)を歩いたことになるらしい。 それから今日の森林であるが、木が高い木はあることにはあったがあえて言えば細い木が多い。 Stanly で見に行った森林程度だと思う。 はん根の発達した大木というものは今日見たものだけで、わずか10本か10数本程度だった。 これがアフリカの熱帯降雨林の典型だとすれば、われわれはそれにイササカ失望する。 そこでこのよーな細い木と太い木の入り混じった林相の成因をどー説明するのが問題となであろー。 
夕食はコックが約束どーり、現地食を食わせた。 昨日寝不足で10時に就寝する。 

5月2日 昨日、痕跡のあった Gorilla が Essam の方へ廻ったらしいと言うので、今日は Essam の裏山で昨日歩いたとこに続く部分を回ると言う。 出発は昨日より遅く、7時ということだった。 
もう forest は昨日一日歩いて見て来たし、猟師について行ってもゴリラの観察は難しいと思ったので、伊谷は行くと言うから、こちらは居残ることに決めた。 昨日ついて来た人の中の一人だけは pidgin (pidgin English) かもしらぬが多少英語が分かるので、それを imformant にして、せっかく naitive の村に泊りこんだのだから、もう少し anthropological な data を集めてみようと言うのが、今日居残りの目的なのである。 
アフリカ旅行中一日ぐらい anthropologist になる日があってもよいではないか。 昨日も月が妖しと冴えていたに、朝はやっぱりガスが低く垂れこめている。 伊谷は8時出て行った。 

その英語が少しわかると言うジョセフもジャン・ルイも陽気なオッサンも兄弟だと言う事を一つの手がかりにして inquiry を始めてみよーと思った。 もう一つの手掛かりはここ8軒の家の関係である。 ジョセフはみんなの出発の時から来ていたので、家の入口に椅子と机を出してきてinquiry を始めた。 9時から始め出して10時過ぎに終ったから、約1時間だ。思ったよりもうまくいったと思う。 
それで両方とも相当疲れたので、後は午後にした。 午前の inquiry の整理をしようと思ったところ、ジョセフが大きな岩を見に行かないか、1キロ程のところだと言う。 彼らの1キロはあてにならない~。 大抵はえらく遠い、昨日なんかやはり畑からジャン・ルイの家まで2キロだと言ったのに、3時間かかっている。 しかし彼の好意に答えて、行くことにした。 
大きな岩があることは伊谷も言っていた。 道々なおも inquiry をしながら Kazesse の本村へでて、サムリスの反対の方え行く。 ここは Bulu の chef の家が右手に、左手に Kazesse の chef の家があり、もう一軒みぎてに doctor の家があった。 
いずれもジャン・ルイの家とは比べ物にならないほど立派である。 林の中から林越しに、大きな岩が見える。 カカオの林を抜けて、岩の根元に立った、これは花崗岩だった。 出掛けに運動靴を履こうとしたら、今日は水はないからそれで良いと言ったので、つっかけぞーりをはいて来たのだが、それがかえって良かった。 ソフトソールなので良く岩にくっつく。 最高点までなんとかついて登った。 
さすがに高い。 反対側は絶崖絶壁で、その下に開墾地があり草深いなかにバナナが植えてあった。 昨日通ったところもここから見直して大体見当がついた。涼しい風が吹いてくる。

・・・・・此処からはanthropologist の眼が note 50ページ程つづくが割愛する。 ジャン・ルイの家の巧みなスケッチを残している・・・・

もう6時近くなったが、ついでにジャン・ルイの家のスケッチをしておこーと思い、拙いスケッチをしている所へ伊谷が帰って来た。 ゴリラはやはり見つけることが出来なかった。 ジョセフに言わせると、この頃はゴリラがバナナ畑を盛んに荒らしに来て、それを片っ端から銃で撃ち殺したので、今はちょっと少なくなっているのだと言うのだ。 
Native が銃を手にすると、どーしても濫獲になると言う事は世界中どこにも見られる現象である。 そして小さなゴリラがここからずいぶんキャロルの所へ送られたらしい。 伊谷は今日の獲物は昨日と同じ二頭のサルを持って帰って来た。 

夜、ビールが切れたのでパルシアビールが欲しいと言ったら、ジョセフが取りに行ってくれた。 それを待たづに現地の食事をしながら、ジャン・ルイに相続の事を聞く。 
君のお父さんが死んだら、そのカカオは誰れの物になるのか、ジャン・ルイかアベか。 あれはアベである、アベが死んだら次は私がもらうと言う。

・・・・昼間のつづきの inquiry が始まった。 家族、親族関係、8軒の関係が細かにあらいだされてゆく。ここも割愛することにする・・・・・

キャロルはとーとー来なかった。そんな事じゃないかしらと思っていたのだ。 空は昨日、一昨日に比べやや曇っているが今夜もよい月だ。 ジャン・ルイと嫁さんは kitchen house の方へ寝にいった。 椅子を持ち出して月を眺めたうえ、10時半就床。

5月3日 朝早く ―5時半頃― チンパンジーの群れが近くを喧しく鳴いて通ったと言う話だった。 
今日はあまり早く起きては煙草が切れそーなので、表でガヤガヤ喋る声を聞き、アコーディオンを鳴らしているのを聞きながら8時まで起きなかった。 
ジャン・ルイもアベも腰に派手な布をまとっている。 ポナペでもそーだったが、これが sleeping のときの cloth でありくつろいだ姿なのだろー。 男たちは怠けているよーだが、屋根にするためにバナナの葉柄を織るなどは男の仕事らしい。 家はそれぞれ建てるが、ジョセフは彼の women と2人で design し、建てたそーだ。 家は一度建てたら、屋根さえ葺きかえれば20年以上持つそうだ。 

・・・・・此処でまた anthropologist の眼が、家、家に関わる決まり、結婚の方法、家系の話し、 witch craft へと 続くが、やはり割愛に・・・・・

12時前に約束しておいた track がサムリマから来た。 cook は1500と言ったが1000フランに値切る。 ジャン・ルイにどれだけ礼をしよーかと言ったら、いらないと言う。 キャロルが金を払っておいたのではないかと、伊谷は言う。 しかしこの間から forest をかけずり歩いた、ジャン・ルイ、アベ、シャンピエール、ジョセフの4人を呼んで礼を言い1000フラン渡して一杯飲んでくれ、と言ったら快く受け取ってくれた。 ジャン・ルイは珍しく気持の良い男で彼と話していると neitive と話している気がしない。 
この Mazesse の滞在は全く at home だった。 一つには通訳がいないと言う事もあったのだと思う。 アベとジョセフは cook と一緒に本村まで、バスに乗って見送ってくれた。 12時に出た。 
サムリマにかえったのが12時半、ダナイ氏夫妻に迎えられる。 彼は話の途中に直ぐにオタンダでだした百科事典を引っ張りだしてくる。 なかなかインテリである。 
昼食は約束どーり支那料理だった。 食後に出された丸い果物の様なものは、食べてみるとショーガの味がするので聞いてみたら、やっぱりショーガだった。 砂糖漬けにしたものらしいい。 
ダナイ氏は日本茶が気にいっているので、出してきて飲んだ。 帰ったら是非一缶送ってくれと頼まれた。 
Yaounde まではバスのつもりが、今日はもうバスがない。 明日の6時ヨーロピアンの車が出るから、今夜は泊ってそれに乗ったらと言われたが。 バスがなければhire で帰りたいと言ったら、ダナイ氏が new car で5500で行くと言うのを見つけてくれた。 記念撮影をしたりして、ダナイ氏の家を出発したのが3時過ぎだったろーか。



以下次回へ



 




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