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2010/11/19

AFRICA 1958 (16)

5月3 つづき、 暗くなってから Yaounde に入った、とりあえずキャロルの所へ行く。 そして車の中で考えたんだが、このまま帰ったのでは偵察の目的が充分達しられていない。 どうしてもジャポステン(Djaposten)を見ておきたいので、キャロルに飛行機をキャンセルしてもう1週間出発を延したら、ジャポステンへ連れて行ってくれるかと切り込んだ。 
そしたら連れてゆく、しかし自分の車は故障しているからドクターの車であらねば仕方ない、ドクターと相談してくれと言った。 
食事をして行けと言ったが、サムリマからの車でホテルへ帰った。 さっそく頭を洗いシャワーを浴び、着替えてさっぱりした。 バーでウィスキーを飲んでいる所へドクター夫妻が来た。 
われわれに相談に来たのである。 それで帰りは Mr.pesek に頼む事にすると言ったら、帰ってキャロルともう一度相談して来ると言って帰って行った。 
食事が終ってしばらくした頃、ドクター夫妻がやって来た。 明日の10時に車を持ってくると言う、キャロルは行かないそーだ。 
expedition は戦いと同じで、一戦すんだらいっぺん準備をととのえ直してから、次の戦に加わる必要がある。 そー続けさまに動けるものでないからである。 また問えばわれわれの都合だって飛行機のキャンセルから、passport の延長やら、スペイン、パリへの手配のやり直しから、いろいろな事があるのだが、ドクターの車で連れて行ってもらう以上、こっちの勝手はゆるされない、お願いすることにした。

5月4日 パスポートの期限がいつまでになっているか見よーと思ったらパスポートが見つからない。 荷物をすっかり探してパスポートをやっと見つけた。 
10日である。 荷物をととのえて、マドリッドへの断り状とパリ角田氏への依頼状を書いている所へドクターが現れ、Abong-Mbang までの道が車が通ーらないそーだと言う。 困った事だ、しかしこれから確かめに行ってくるから待っていてくれだ。 
われわれの新しい計画はかくして suspend の状態になった。  
それで12時まで寝よーとしたが、寝られなかったので下にオリ食事をしている所へドクターがやって来た。 用意はよいか、これから行くぞと言う。 

2時に Yaounde を出発。 道は変わりばえしない。 夕方に Nyong を渡る。 ここまでは Yaounde の居住地域らしい。 川に沿って道が通っているので、しばしば低湿地を通る。 道が悪いためドクターが癇を起こして、案内について来たいるコックの Diki に怒鳴る、どなっても仕方がない。 
もう暗くなったが、今までに見たこともないよーな広大なカカオの plantation がしてある。 これが native の やっている仕事なら大したものだ。 サムリマの奥などよりも、こちらの方が early start をしているよーな気がした。 
時計を見ると7時、まだアボンバンには着かない。 
そのうちに二、三軒コンクリート固めの家の並んだところへ来る。まだアボンバンの中心でないらしい。 今日はミッションで泊るらしい。 
芝生の中にヤシが植わりその向うに立派な家が見えて来た。 牧師さんの家だ。 始め訪ねた家が Ronald Brook と言って、われわれの泊めてもらった家だが、Brook 師が案内して Rene Ryter 師の家を訪れ、夕食をよばれた。 
われわれが来る事を予想していなかったのだが、さっそく美味い料理を作ってくれた。 この Ryter 師は1920年代からここに入り込んで自転車に乗って布教して歩いたと言うから、メルフィールドの本に出てくる人かも知れない。 

Brook 師の家に行く。 奥さんは血栓病で休んでいると言ったが出てきて、われわれと握手をした。 快活な人で年は夫婦ともそれほど取っていると思えない。 けれど6人の子供を持ち、一番上のお嬢さんはアメリカ、4人は Ebolowa の学校へ行き、いまここには一人しかいないと言う。 猫が4匹で子供を生んでいる、犬が一匹。 通された部屋はせまいがベッドが二つ用意してあった。 ドクター夫婦は Ryter 師のところ。

5月5日 ここは海抜700m在ると言うので、昨夜ははじめから毛布をきて寝た。 
朝食は大へん立派だった。  その前にお祈りがあった事はもちろんだ。 Brook さんは、わざわざわれわれと関係ある事をしらべ、同志社を知っているかと言ったから、それはわたしの wife や daughter の卒業した学校だと言った。 伊谷も妹の行っている学校だと言った。 末っ子のかわいい女の子が朝食には一緒だった。そのうちにドクターが迎えに来た。 
お礼を伸べて Mr.Pesek のところへ訪ねて行った。 
店には居らなかった、そこで教えられたところへでる。 ここに運送業 Pesek 氏の住居があった。 2時いろいろ fix して、ドクターはとにかく彼の車で行ける所まで行くと言う。 アボンバンを出発した。 ―靴やら、コニャックやら、パンを買った。 
tribe は幾つもあるらしい。 川で若い女が洗濯していた。 伊谷が写真を撮ろーとしたら、逃げ場がなかったのでザブンと川へ飛び込んだのには感心した。 
ドクターは気が立っていて、すぐ Diki ― cook ― をつかまえて、これで道は間違っていないだろーね、もう Dja までいくらだ、と盛んに聞く。 
ジャポステンまの街道では、われわれの車が通るとstop を求めて、ゴリラの骨を買わんか、チンパンジーを買わんかと villager が言う。 あるところにチンパンジーが一匹一万フランと言うので、Diki が断った。 キャロルは2000フランで買うそーだ。 ゴリラといえども大抵2000フラン位らしい、3000フランが高値だと言う。 それを10000フランと言うので Diki が断っていた。 

いよいよジャポステンまで来る。 ドクターに Thanks を言って、彼は像を打ちに行き、われわれはゴリラを見に行く。 その前にキャロルの弟分している Gabriel の家に寄った。 これが彼の station なのである。 なんとなく顔が快男子と言う風貌を具している。 なんとなく山国のあのおっさんを思いださせる。 ドクターが時間がないと喧しく言っているのだ。 耳が痛いと思いながら聞いていたが、結局ジャポステンの村の外れた所にあるmission ―と言っても人は住んでいない― に泊ることになった。 
そこは church 関係で Brook さんが手紙を書いてくれた。 そして英語の喋れる人を教えてくれた。 われわれはよーやく救われた気持になった。 ここまでドクターに送ってもらったのだが、ここへ着いたのはアボンバンを出たのが11時とすると、2時前だったろうか。ドクターはすぐ像狩りに引き返したが、Diki がやがて帰って来た。

われわれはここで Gorilla を見るのが目的だから、4時にここを出て近くのバナナの plantation を 一巡することにした。 ここの部族はBadzuee と言うのだが、顔形も整っていいるし acculturation も進んでいる。  Mezesse と変わったところがない。 
村へ戻り ―と言うのは mission は村はずれの高い所にあり、その屋根は 隙間だらけで、ひと雨来たらさぞ雨漏りかと思ったが、先生がすぐに直してくれていた―  それからプランテーション ―主としてバナナとコヒーである― の中へ入った。 ところどころにゴリラの食害の痕はあるが、新しいのはない。 二度三度道を据かえてゴリラの trace を探したが、ついに空しく引き上げる。 

6時半帰る。 出たのは4時前だった、 mission house になんだか king だと言う男が来ている。 二人いた。 ガブリエルが言うに地位があり村では高いらしい。 彼等は握手したらすぐに帰って行った。 
もう日は暮れかけている。 伊谷はチンパンジーの群れが近くで鳴いていると言うのを聞いて録音をしに行った。 古老に顔や手を洗う水が欲しいと言って置いたが、そのうちにおおきなtubに hot water  ―手をつけたら熱いぐらいのが― が一杯用意してある。 さっそく体を洗い、それからアボンバンで買ったコニャックを開け、一人で飲んでいたところへガブリエルが来たのだ。 一緒に飲む。 伊谷も帰って来た。 今日は彼の結婚記念日だそーである。 料理はすでに、ガブリエルがしてくれたのだがホテルで食うものより美味いと思った。 伊谷のチンパンジーは、ついに鳴き声だけで見つからなかったらしいが、ゴリラもわれわれの行ったのは子村の方向であるが、村から1キロ程の畑荒らしに今夕やって来ていたと言う、情報がある。 

という今夜はコニャック ―900フランだ― 一本飲んでしまった。しかしなんだか日本で言えば山村の中へ来たという良い気持がする。 今日歩いたところは森林を伐り開いたところで例の天狗の葉うちわが大へん沢山生えていた。 missionhouse まで帰って来たらドクターの車がまさに出ようとしていた。 ドクターは像に出食わさなかったよーである。 
夜はガブリエルがどこからか用意してくれたベッドに10時に寝る。

5月6日 朝食はマカブー、マニヨックに、スクランブルエッグだ。もう昨日の若連中が集まって来ている。 物見高い。 
7.10出発、雨模様のような雲だったが、林の中ほどまで行ったら、細かい雨が降って来た。 しばらく雨宿りして、昨日夕方にわれわれの泊っているミッションへやって来ていた、ちょっと naitive としては威厳を具えた老人の家まで来る。 ここで二人参加して総勢8人となる。 
先頭の二人は山刀と槍を持っている。 ここはコーヒーとカカオと両方を作っているが、コーヒーの方が多い。 バナナプランテーションが伐り開いたところに、あちらにひとかたまり、こちらにひとかたまりある。 そーいうところは天狗の葉うちわが沢山生えていた。

バナナ畑とバナナ畑のあいだは bush の中を通る。 前の3人が山刀を振って歩いているので、後の方は楽に歩ける。 開墾して倒された大きな木が、まだ朽ちずに畑の所どころに転がっている。 それをまたいだり、その上を伝わったり、同じ様なことを何回となく繰り返せねばならない。 ゴリラがへし折ったバナナがあちらこちらにある。 しかし既に日の立ったものが多い。 とーとー、出作の小屋のあるところへ出た。 ついて来ている連中もだいぶ疲れたらしく、その辺に出来ているサトーキビ、プランタン、パパイアを片っ端から食っている。 
もう11時で、今日もゴリラの被害調査に終るのかしらと思っていたら、そしたら若いのがゴリという。 しかし誰しも騒がない。 それはゴリのバナナを食った痕があると言うのだ。 しかし弩(いしゆみ)を持ったおっさんは、それを聞いて出て行った。 伊谷が後を追った。 出て行った二人はなかなか戻ってこない。 待っていた連中はしびれを切らして、口笛を吹いたりしたが答えはない。 どーも track を見つけたのではないか、という気がする。 
突然ゴゴゴゴゴと言う、まさにゴリラの声がした。 皆さっと立ちあがった、そして駈け出した。 またゴゴゴゴと言う声が聞こえる。 それと同時に planteater が一斉に鳴きだした。 弓を撃っただろーか。しまったあれは彼らとゴリラが対面している状況だ。 今から駆けても遅かっただろー。 それでも行くと言ったら、bush を切って声のする方へ、とにかく先頭の naitive は進んだ。 最後のゴゴゴゴはすごく長かった。 それからはもう声はしない。 逃げ去ったのだと思った。 
その中彼らの口笛が聞こえる、行ってみたら伊谷が見ました見ましたと言って喜んでいる。 せっかくここまで遥々ゴリラを見に来て惜しいことだった。 焦心さが足りなかったのだ、いつも辺りを歩いている、一行中の唯一の狩手である、あのおっさんが先に立って歩いて行ったから、何をおいてもついて行くべきだったのだ。 
1時過ぎにわれわれの宿泊所へ帰ったが鍵がかけてあった。 近くの家の娘さんが、鍵を開けてくれた。 

しかしまあ自分が見てなくとも、われわれの中のどちらかが見たら、それで良いのだ。 それで目的を達したのだ。 やれやれだ。 午後は昼寝しよーと思い汚れた体と着ていたものを洗った。 そこにガブリエルがニワトリを一羽さげて現れた。 ガブリエルは昨夜右踝が痛んで寝られなかったと言って、大ぶ消耗していた。 軽い昼食を取り横になりウトウトした。 4時頃、伊谷が道を間違えてピグミーの村へ行けなかったと言って戻って来た。 

日が沈みかけて来たので、洗濯物を入れ、椅子を家の前に出して夕暮れの一時を楽しんでいると、ガブリエルが食事を運んで来た。 カシワのローストを食った。 なかなか料理は良く出来ていたが、足のさきまで bowl に入っていた。 
食後、伊谷がガブリエルにペニシリンの注射をした。 学校の先生やら女たちが集まって来たので、歌の録音が始まる。 それから家の前に出て女たち ―男の子も混じる― の合唱がしばらく続いたところで、バッテリーが finish になったので終りにした。 
ダンスはなにかむらのrule があって、勝手にやってはいけないらしい。 なお女性の歌う歌には固有の Bajuee の話があったが、 Bajuee 語にした讃美歌が多かった。

5月7日 今日は帰るのである。 荷造りをしてバスを待っていると、11時に一台下から上がって来た ―下か上かでは、よく分からぬから、アボンバンの方から来た― 伊谷があのバスは明日でないと lomie から戻ってこないと言う。 これは困ったことになった。 ここは村はずれの高みで、ここにいると快適なんだがバスを止めるのには不便だ。 ガブリエルはまだもう一台バスが来るからまだ見込みがあると言う。 
とにかくガブリエルの家へ移っておいて、そこで待つことにした。このジャポステンはざっと見るところ、30軒もの family が固まっているらしい。 ―家の数は60~70軒ある。―  Kingと称するものも4人いると言うから4っ家系 があるだろー。 相当込み入ってガブリエルと対立関係に在る者もあるだろー。  anthropological には、このくらいの村を選んだ方が面白いに違いない。 
いまもガブリエルの家に移転に、彼の子供を3人つれて来た。 子分と言うか、一族と言うか、とにかく息のかかった者である。 その中にこの間から来ている少年もまじっていたが、彼はガブリエルの sister の子供だそーである。 
いよいよ二晩泊った church の家を出る。 それから暑い村の中の道を歩いてガブリエルの家についた。まだアボンバンへ出られるかもしれないと言う一縷の望みを託して旅装をとかないで、待つことにする。 2時頃から本格的な雨が降り出した。 ―いままで雨季になっていながら、よく降らなかったものだ。 

ガブリエルは槍を持って何処かへ行ったので、昼飯も食わずに食器箱の上に乗ったバナナ一振りを食う。 こんなことなら Diki の言葉を信じないで、Pesek 氏にアボンバンから迎えの車を寄こしてもらうよー頼んでおけばよかったと思うが、後悔先にたたず。 
13くらいの少年がいて、伊谷のほかした色袋の紙を拾って、これ Daimaru と書いてあると言う。 しかしフランス語だ。 ここへ来るものはフランス語出来ねば駄目だ。 学校で教えているから若い者はもう皆フランス語になりつつあって、ビギンイングリッシュはやがて姿を消す運命にある。 
机の上の raod map を見ていたらジャポステンはコンゴの流域であることを知った。 
4時半アボンバンから taxi  ―彼等はそー言うがバスの事である― が上がって来た。 今日アボンバンまで行くのかと聞いたが、明日の朝7時にここへ来ると言う。 これでイヨイヨ動けなくなった。 

昼食抜きだったので夕食を早くしてもらう。 ガブリエルは ground nut で chicken を炊いた。 美味い料理を食わしてくれた。キャロルが教えてものだそーだ。 飯は家の中はうっとおしいから庇の下に机を出して食った。 夕食後の黄昏時になると近所から人々が集まり、またテープレコーダーを聞かせてくれと言う。 それがひとしきり終って、伊谷は少年達を連れてDjaへいった。 
近に住む king 、例の威厳を具えた男で、ガブリエルのパパだと言う― が出て来た。 雨は上がったし前の庭に椅子を出し手話を聞く。ドイツとフランスとどちらが良いか。 ドイツは何でも安かったが、フランスは高くていけない。 人殺しをすれば、ドイツの時は犯人も殺されたが、フランスは金さえ出せば助けてくれる。 ジャーマンファインと言った。 ―道をつくったのはフランスであり、コーヒーやカカオの栽培を奨励したのもフランスである― 

そのうちにガブリエルがアフリカン・ジンを一本下げて来たので king とガブリエルと三人で飲みだす。 それからまたダンダン人が集まって来て、ガブリエルや彼のbrother が一杯飲んで歌を歌い、テープレコーディングが始まる。 
ガブリエルのところにピグミーの種族がいると言うので、呼んで来た。 男だけしか出て来なかった。 背丈は吾輩の乳ぐらいまで、色はうすく一般の native よりも日本人に似ている。 歌を歌った。そのうちに女達も集まって来た。  
今夜は直ぐ寝られるだろーと思ったのになかなか眠られない。 ウトウトしているうちに鶏が鳴きだした。

5月8日 6時に起床。 この村も三晩泊ったので、大ぶ顔見知りが出来た。 もし我々に French が話せるならば、例のゼートと言う少年などは良い informant になってくれるであろー。 もう一人がガブリエルの子、この子は賢い子だ。 ダビッドと言う少年も使えるよーになるだろー。 彼等はこちらが喋れぬのに、向うから盛んに話しかけてくるのである。 
ゼートもダビッドも今日は綺麗なシャツに着かえて、ダビッドはズボンをはいて、我々を見送りにきてくれたのに、バスは7時40分過ぎになっても来ないのだから、皆帰ってしまった。 

煙草が切れてしまった。  伊谷が native の葉煙草をもらって来た、それを一服巻いてもらう。 昨日寝たベッドに寝そべってぼんやりしていたら、バスが来たという。 それは昨日先に上がった方のバスだ。 沢山荷を積んでヨタヨタしている。 
ガブリエルも今日アンプルと言う村で、♂♀のゴリラが確保され、その♀のゴリラが抱いていた子供が生け捕られているので、われわれと一緒のバスでその村へ行くと言う。 
しかしこのバスは駄目だから、次のバスにしようと言う。 見ると次のバスもこの後を追っかけて来ている。 その運転手は昨日伊谷にお前はジャポネか、ジャポネなら戦争中におれは日本の捕虜になって日本へ行ったことがあると言って握手をしなおした男だ。 
そのバスにガブリエルもわれわれも乗って8時半、 king やらゼートやらガブリエルの第一婦人やらと握手して別れた。 

運ちゃんは昨日ここへは間違いなく7時に来ると言っておきながら、来たのは8時半だった。 アボンバンまで何時間かかるかと聞いたら、2時間だと言ったが、これもあてにならない。 ドクターの車で来た時3時間かかっているのだから。 
その言のあてにならない事は直ぐわかった。 バスが止まるとその部落の者が、ガヤガヤ出てくる。 運ちゃんはイチイチ降りて彼らと握手したり話をするのだから。 これで時間がかからなかったら嘘だ。 
バスは昨日の雨が道の溜まった所に沢山蝶が集まっているのを踏みにじって行く。 
ガブリエルとはアンプルと言う村で別れた。 ゴリラを見にゆこーと行って自動車はの止まっている所から100mもバックした。 われわれの為に皆待たしてすまないと思ったら、バスの運ちゃんもわれわれと一緒のゴリラ見学に加わっているのだ。 これならバスが出てしまって、乗り遅れる心配はない。 そのゴリラはキャロルのところにいる big man とちょーど同じぐらいの年頃だった。 これをガブリエルが先ず値を付けてキャロルに売ると言うよーな process をへるだろー。 
引き返してバスに乗ったがバスのエンジンがかからない。 村の者が出て来て渋々ながらも押してくれた。 乗客は誰も降りない、運ちゃんも涼しい顔をしている。 運転手と言えば intelli で収入も多いから村の者は彼を尊敬しているのだろー。 
ある部落に止まった時、女がわれわれの為にバナナを4本くれた。 これは本物のバナナで、ジャポステンに居る間はプランテーションばかり食べていた。 本物のバナナの香りとその甘みが何とも言えなかった。 ところが女と乗客の間に口論がおこった。 金の払いが少ないと言うようなことかららしい。 われわれも金を払っていなかったので100フラン紙幣を出したら、85フランお釣をくれた。 乗客の大部分はアボンバンの近くの大きな部落で降りてしまった。

アボンバンの街へ入り、運ちゃんは Mr.pesek 知っているや、そこまで送ってくれと頼んだら、ちゃんと送り届けてくれた。 一人前300フランのバスとしてはservice 満点である。 
pesek 氏はちょーど昼飯のすんだところで、よく分からないが彼の妹のご亭主と三人でティーを飲んでいるところだった。 とにかく昼飯がまだという事が分かったので、飯を食えと言われた。 ブドー酒をよばれ、久し振りに心配のない水をガブガブ飲んだ。 

さて Pesek 氏のところの車は今日出たので明日は出ない。 明日は native の車が出ると言うが、ここから Yaounde までは遠い。 それをあの調子でユルユル走られた日にはたまったものでない。 
しかしわれわれはアボンバンなんかでぼんやり滞在している事が出来るよーな気楽な身分ではない。 
11日の飛行機を外すと今度は14日なんだ ―Air France ハ― 三日滞在で10000フランはかかるだろー。 それよりも今はこの10000フランを払って早くアフリカを引き上げるべきであった。 
Pesek 氏に今日中に Yaounde まで帰りたい旨を、伊谷のフランス語で通じさしたところ、親切な氏はサッソク taxi を探しに行ってくれた。 そしてわりあい新車なんだが10000フランでYaounde まで ok と言う車を見つけて来てくれた。 

車が来たので Pesek 氏に別れて、まず Brook 氏を訪ねてお別れを言った。 アボンバンを出たのが4時だった。 ホテルに着いたのはもう10時、飯はサンドウィッチですませシャワーも浴びないで、まだ safri のままの旅装をとかずにベッドで寝た。



以下次回へ 








 

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