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2010年11月

2010/11/19

AFRICA 1958 (16)

5月3 つづき、 暗くなってから Yaounde に入った、とりあえずキャロルの所へ行く。 そして車の中で考えたんだが、このまま帰ったのでは偵察の目的が充分達しられていない。 どうしてもジャポステン(Djaposten)を見ておきたいので、キャロルに飛行機をキャンセルしてもう1週間出発を延したら、ジャポステンへ連れて行ってくれるかと切り込んだ。 
そしたら連れてゆく、しかし自分の車は故障しているからドクターの車であらねば仕方ない、ドクターと相談してくれと言った。 
食事をして行けと言ったが、サムリマからの車でホテルへ帰った。 さっそく頭を洗いシャワーを浴び、着替えてさっぱりした。 バーでウィスキーを飲んでいる所へドクター夫妻が来た。 
われわれに相談に来たのである。 それで帰りは Mr.pesek に頼む事にすると言ったら、帰ってキャロルともう一度相談して来ると言って帰って行った。 
食事が終ってしばらくした頃、ドクター夫妻がやって来た。 明日の10時に車を持ってくると言う、キャロルは行かないそーだ。 
expedition は戦いと同じで、一戦すんだらいっぺん準備をととのえ直してから、次の戦に加わる必要がある。 そー続けさまに動けるものでないからである。 また問えばわれわれの都合だって飛行機のキャンセルから、passport の延長やら、スペイン、パリへの手配のやり直しから、いろいろな事があるのだが、ドクターの車で連れて行ってもらう以上、こっちの勝手はゆるされない、お願いすることにした。

5月4日 パスポートの期限がいつまでになっているか見よーと思ったらパスポートが見つからない。 荷物をすっかり探してパスポートをやっと見つけた。 
10日である。 荷物をととのえて、マドリッドへの断り状とパリ角田氏への依頼状を書いている所へドクターが現れ、Abong-Mbang までの道が車が通ーらないそーだと言う。 困った事だ、しかしこれから確かめに行ってくるから待っていてくれだ。 
われわれの新しい計画はかくして suspend の状態になった。  
それで12時まで寝よーとしたが、寝られなかったので下にオリ食事をしている所へドクターがやって来た。 用意はよいか、これから行くぞと言う。 

2時に Yaounde を出発。 道は変わりばえしない。 夕方に Nyong を渡る。 ここまでは Yaounde の居住地域らしい。 川に沿って道が通っているので、しばしば低湿地を通る。 道が悪いためドクターが癇を起こして、案内について来たいるコックの Diki に怒鳴る、どなっても仕方がない。 
もう暗くなったが、今までに見たこともないよーな広大なカカオの plantation がしてある。 これが native の やっている仕事なら大したものだ。 サムリマの奥などよりも、こちらの方が early start をしているよーな気がした。 
時計を見ると7時、まだアボンバンには着かない。 
そのうちに二、三軒コンクリート固めの家の並んだところへ来る。まだアボンバンの中心でないらしい。 今日はミッションで泊るらしい。 
芝生の中にヤシが植わりその向うに立派な家が見えて来た。 牧師さんの家だ。 始め訪ねた家が Ronald Brook と言って、われわれの泊めてもらった家だが、Brook 師が案内して Rene Ryter 師の家を訪れ、夕食をよばれた。 
われわれが来る事を予想していなかったのだが、さっそく美味い料理を作ってくれた。 この Ryter 師は1920年代からここに入り込んで自転車に乗って布教して歩いたと言うから、メルフィールドの本に出てくる人かも知れない。 

Brook 師の家に行く。 奥さんは血栓病で休んでいると言ったが出てきて、われわれと握手をした。 快活な人で年は夫婦ともそれほど取っていると思えない。 けれど6人の子供を持ち、一番上のお嬢さんはアメリカ、4人は Ebolowa の学校へ行き、いまここには一人しかいないと言う。 猫が4匹で子供を生んでいる、犬が一匹。 通された部屋はせまいがベッドが二つ用意してあった。 ドクター夫婦は Ryter 師のところ。

5月5日 ここは海抜700m在ると言うので、昨夜ははじめから毛布をきて寝た。 
朝食は大へん立派だった。  その前にお祈りがあった事はもちろんだ。 Brook さんは、わざわざわれわれと関係ある事をしらべ、同志社を知っているかと言ったから、それはわたしの wife や daughter の卒業した学校だと言った。 伊谷も妹の行っている学校だと言った。 末っ子のかわいい女の子が朝食には一緒だった。そのうちにドクターが迎えに来た。 
お礼を伸べて Mr.Pesek のところへ訪ねて行った。 
店には居らなかった、そこで教えられたところへでる。 ここに運送業 Pesek 氏の住居があった。 2時いろいろ fix して、ドクターはとにかく彼の車で行ける所まで行くと言う。 アボンバンを出発した。 ―靴やら、コニャックやら、パンを買った。 
tribe は幾つもあるらしい。 川で若い女が洗濯していた。 伊谷が写真を撮ろーとしたら、逃げ場がなかったのでザブンと川へ飛び込んだのには感心した。 
ドクターは気が立っていて、すぐ Diki ― cook ― をつかまえて、これで道は間違っていないだろーね、もう Dja までいくらだ、と盛んに聞く。 
ジャポステンまの街道では、われわれの車が通るとstop を求めて、ゴリラの骨を買わんか、チンパンジーを買わんかと villager が言う。 あるところにチンパンジーが一匹一万フランと言うので、Diki が断った。 キャロルは2000フランで買うそーだ。 ゴリラといえども大抵2000フラン位らしい、3000フランが高値だと言う。 それを10000フランと言うので Diki が断っていた。 

いよいよジャポステンまで来る。 ドクターに Thanks を言って、彼は像を打ちに行き、われわれはゴリラを見に行く。 その前にキャロルの弟分している Gabriel の家に寄った。 これが彼の station なのである。 なんとなく顔が快男子と言う風貌を具している。 なんとなく山国のあのおっさんを思いださせる。 ドクターが時間がないと喧しく言っているのだ。 耳が痛いと思いながら聞いていたが、結局ジャポステンの村の外れた所にあるmission ―と言っても人は住んでいない― に泊ることになった。 
そこは church 関係で Brook さんが手紙を書いてくれた。 そして英語の喋れる人を教えてくれた。 われわれはよーやく救われた気持になった。 ここまでドクターに送ってもらったのだが、ここへ着いたのはアボンバンを出たのが11時とすると、2時前だったろうか。ドクターはすぐ像狩りに引き返したが、Diki がやがて帰って来た。

われわれはここで Gorilla を見るのが目的だから、4時にここを出て近くのバナナの plantation を 一巡することにした。 ここの部族はBadzuee と言うのだが、顔形も整っていいるし acculturation も進んでいる。  Mezesse と変わったところがない。 
村へ戻り ―と言うのは mission は村はずれの高い所にあり、その屋根は 隙間だらけで、ひと雨来たらさぞ雨漏りかと思ったが、先生がすぐに直してくれていた―  それからプランテーション ―主としてバナナとコヒーである― の中へ入った。 ところどころにゴリラの食害の痕はあるが、新しいのはない。 二度三度道を据かえてゴリラの trace を探したが、ついに空しく引き上げる。 

6時半帰る。 出たのは4時前だった、 mission house になんだか king だと言う男が来ている。 二人いた。 ガブリエルが言うに地位があり村では高いらしい。 彼等は握手したらすぐに帰って行った。 
もう日は暮れかけている。 伊谷はチンパンジーの群れが近くで鳴いていると言うのを聞いて録音をしに行った。 古老に顔や手を洗う水が欲しいと言って置いたが、そのうちにおおきなtubに hot water  ―手をつけたら熱いぐらいのが― が一杯用意してある。 さっそく体を洗い、それからアボンバンで買ったコニャックを開け、一人で飲んでいたところへガブリエルが来たのだ。 一緒に飲む。 伊谷も帰って来た。 今日は彼の結婚記念日だそーである。 料理はすでに、ガブリエルがしてくれたのだがホテルで食うものより美味いと思った。 伊谷のチンパンジーは、ついに鳴き声だけで見つからなかったらしいが、ゴリラもわれわれの行ったのは子村の方向であるが、村から1キロ程の畑荒らしに今夕やって来ていたと言う、情報がある。 

という今夜はコニャック ―900フランだ― 一本飲んでしまった。しかしなんだか日本で言えば山村の中へ来たという良い気持がする。 今日歩いたところは森林を伐り開いたところで例の天狗の葉うちわが大へん沢山生えていた。 missionhouse まで帰って来たらドクターの車がまさに出ようとしていた。 ドクターは像に出食わさなかったよーである。 
夜はガブリエルがどこからか用意してくれたベッドに10時に寝る。

5月6日 朝食はマカブー、マニヨックに、スクランブルエッグだ。もう昨日の若連中が集まって来ている。 物見高い。 
7.10出発、雨模様のような雲だったが、林の中ほどまで行ったら、細かい雨が降って来た。 しばらく雨宿りして、昨日夕方にわれわれの泊っているミッションへやって来ていた、ちょっと naitive としては威厳を具えた老人の家まで来る。 ここで二人参加して総勢8人となる。 
先頭の二人は山刀と槍を持っている。 ここはコーヒーとカカオと両方を作っているが、コーヒーの方が多い。 バナナプランテーションが伐り開いたところに、あちらにひとかたまり、こちらにひとかたまりある。 そーいうところは天狗の葉うちわが沢山生えていた。

バナナ畑とバナナ畑のあいだは bush の中を通る。 前の3人が山刀を振って歩いているので、後の方は楽に歩ける。 開墾して倒された大きな木が、まだ朽ちずに畑の所どころに転がっている。 それをまたいだり、その上を伝わったり、同じ様なことを何回となく繰り返せねばならない。 ゴリラがへし折ったバナナがあちらこちらにある。 しかし既に日の立ったものが多い。 とーとー、出作の小屋のあるところへ出た。 ついて来ている連中もだいぶ疲れたらしく、その辺に出来ているサトーキビ、プランタン、パパイアを片っ端から食っている。 
もう11時で、今日もゴリラの被害調査に終るのかしらと思っていたら、そしたら若いのがゴリという。 しかし誰しも騒がない。 それはゴリのバナナを食った痕があると言うのだ。 しかし弩(いしゆみ)を持ったおっさんは、それを聞いて出て行った。 伊谷が後を追った。 出て行った二人はなかなか戻ってこない。 待っていた連中はしびれを切らして、口笛を吹いたりしたが答えはない。 どーも track を見つけたのではないか、という気がする。 
突然ゴゴゴゴゴと言う、まさにゴリラの声がした。 皆さっと立ちあがった、そして駈け出した。 またゴゴゴゴと言う声が聞こえる。 それと同時に planteater が一斉に鳴きだした。 弓を撃っただろーか。しまったあれは彼らとゴリラが対面している状況だ。 今から駆けても遅かっただろー。 それでも行くと言ったら、bush を切って声のする方へ、とにかく先頭の naitive は進んだ。 最後のゴゴゴゴはすごく長かった。 それからはもう声はしない。 逃げ去ったのだと思った。 
その中彼らの口笛が聞こえる、行ってみたら伊谷が見ました見ましたと言って喜んでいる。 せっかくここまで遥々ゴリラを見に来て惜しいことだった。 焦心さが足りなかったのだ、いつも辺りを歩いている、一行中の唯一の狩手である、あのおっさんが先に立って歩いて行ったから、何をおいてもついて行くべきだったのだ。 
1時過ぎにわれわれの宿泊所へ帰ったが鍵がかけてあった。 近くの家の娘さんが、鍵を開けてくれた。 

しかしまあ自分が見てなくとも、われわれの中のどちらかが見たら、それで良いのだ。 それで目的を達したのだ。 やれやれだ。 午後は昼寝しよーと思い汚れた体と着ていたものを洗った。 そこにガブリエルがニワトリを一羽さげて現れた。 ガブリエルは昨夜右踝が痛んで寝られなかったと言って、大ぶ消耗していた。 軽い昼食を取り横になりウトウトした。 4時頃、伊谷が道を間違えてピグミーの村へ行けなかったと言って戻って来た。 

日が沈みかけて来たので、洗濯物を入れ、椅子を家の前に出して夕暮れの一時を楽しんでいると、ガブリエルが食事を運んで来た。 カシワのローストを食った。 なかなか料理は良く出来ていたが、足のさきまで bowl に入っていた。 
食後、伊谷がガブリエルにペニシリンの注射をした。 学校の先生やら女たちが集まって来たので、歌の録音が始まる。 それから家の前に出て女たち ―男の子も混じる― の合唱がしばらく続いたところで、バッテリーが finish になったので終りにした。 
ダンスはなにかむらのrule があって、勝手にやってはいけないらしい。 なお女性の歌う歌には固有の Bajuee の話があったが、 Bajuee 語にした讃美歌が多かった。

5月7日 今日は帰るのである。 荷造りをしてバスを待っていると、11時に一台下から上がって来た ―下か上かでは、よく分からぬから、アボンバンの方から来た― 伊谷があのバスは明日でないと lomie から戻ってこないと言う。 これは困ったことになった。 ここは村はずれの高みで、ここにいると快適なんだがバスを止めるのには不便だ。 ガブリエルはまだもう一台バスが来るからまだ見込みがあると言う。 
とにかくガブリエルの家へ移っておいて、そこで待つことにした。このジャポステンはざっと見るところ、30軒もの family が固まっているらしい。 ―家の数は60~70軒ある。―  Kingと称するものも4人いると言うから4っ家系 があるだろー。 相当込み入ってガブリエルと対立関係に在る者もあるだろー。  anthropological には、このくらいの村を選んだ方が面白いに違いない。 
いまもガブリエルの家に移転に、彼の子供を3人つれて来た。 子分と言うか、一族と言うか、とにかく息のかかった者である。 その中にこの間から来ている少年もまじっていたが、彼はガブリエルの sister の子供だそーである。 
いよいよ二晩泊った church の家を出る。 それから暑い村の中の道を歩いてガブリエルの家についた。まだアボンバンへ出られるかもしれないと言う一縷の望みを託して旅装をとかないで、待つことにする。 2時頃から本格的な雨が降り出した。 ―いままで雨季になっていながら、よく降らなかったものだ。 

ガブリエルは槍を持って何処かへ行ったので、昼飯も食わずに食器箱の上に乗ったバナナ一振りを食う。 こんなことなら Diki の言葉を信じないで、Pesek 氏にアボンバンから迎えの車を寄こしてもらうよー頼んでおけばよかったと思うが、後悔先にたたず。 
13くらいの少年がいて、伊谷のほかした色袋の紙を拾って、これ Daimaru と書いてあると言う。 しかしフランス語だ。 ここへ来るものはフランス語出来ねば駄目だ。 学校で教えているから若い者はもう皆フランス語になりつつあって、ビギンイングリッシュはやがて姿を消す運命にある。 
机の上の raod map を見ていたらジャポステンはコンゴの流域であることを知った。 
4時半アボンバンから taxi  ―彼等はそー言うがバスの事である― が上がって来た。 今日アボンバンまで行くのかと聞いたが、明日の朝7時にここへ来ると言う。 これでイヨイヨ動けなくなった。 

昼食抜きだったので夕食を早くしてもらう。 ガブリエルは ground nut で chicken を炊いた。 美味い料理を食わしてくれた。キャロルが教えてものだそーだ。 飯は家の中はうっとおしいから庇の下に机を出して食った。 夕食後の黄昏時になると近所から人々が集まり、またテープレコーダーを聞かせてくれと言う。 それがひとしきり終って、伊谷は少年達を連れてDjaへいった。 
近に住む king 、例の威厳を具えた男で、ガブリエルのパパだと言う― が出て来た。 雨は上がったし前の庭に椅子を出し手話を聞く。ドイツとフランスとどちらが良いか。 ドイツは何でも安かったが、フランスは高くていけない。 人殺しをすれば、ドイツの時は犯人も殺されたが、フランスは金さえ出せば助けてくれる。 ジャーマンファインと言った。 ―道をつくったのはフランスであり、コーヒーやカカオの栽培を奨励したのもフランスである― 

そのうちにガブリエルがアフリカン・ジンを一本下げて来たので king とガブリエルと三人で飲みだす。 それからまたダンダン人が集まって来て、ガブリエルや彼のbrother が一杯飲んで歌を歌い、テープレコーディングが始まる。 
ガブリエルのところにピグミーの種族がいると言うので、呼んで来た。 男だけしか出て来なかった。 背丈は吾輩の乳ぐらいまで、色はうすく一般の native よりも日本人に似ている。 歌を歌った。そのうちに女達も集まって来た。  
今夜は直ぐ寝られるだろーと思ったのになかなか眠られない。 ウトウトしているうちに鶏が鳴きだした。

5月8日 6時に起床。 この村も三晩泊ったので、大ぶ顔見知りが出来た。 もし我々に French が話せるならば、例のゼートと言う少年などは良い informant になってくれるであろー。 もう一人がガブリエルの子、この子は賢い子だ。 ダビッドと言う少年も使えるよーになるだろー。 彼等はこちらが喋れぬのに、向うから盛んに話しかけてくるのである。 
ゼートもダビッドも今日は綺麗なシャツに着かえて、ダビッドはズボンをはいて、我々を見送りにきてくれたのに、バスは7時40分過ぎになっても来ないのだから、皆帰ってしまった。 

煙草が切れてしまった。  伊谷が native の葉煙草をもらって来た、それを一服巻いてもらう。 昨日寝たベッドに寝そべってぼんやりしていたら、バスが来たという。 それは昨日先に上がった方のバスだ。 沢山荷を積んでヨタヨタしている。 
ガブリエルも今日アンプルと言う村で、♂♀のゴリラが確保され、その♀のゴリラが抱いていた子供が生け捕られているので、われわれと一緒のバスでその村へ行くと言う。 
しかしこのバスは駄目だから、次のバスにしようと言う。 見ると次のバスもこの後を追っかけて来ている。 その運転手は昨日伊谷にお前はジャポネか、ジャポネなら戦争中におれは日本の捕虜になって日本へ行ったことがあると言って握手をしなおした男だ。 
そのバスにガブリエルもわれわれも乗って8時半、 king やらゼートやらガブリエルの第一婦人やらと握手して別れた。 

運ちゃんは昨日ここへは間違いなく7時に来ると言っておきながら、来たのは8時半だった。 アボンバンまで何時間かかるかと聞いたら、2時間だと言ったが、これもあてにならない。 ドクターの車で来た時3時間かかっているのだから。 
その言のあてにならない事は直ぐわかった。 バスが止まるとその部落の者が、ガヤガヤ出てくる。 運ちゃんはイチイチ降りて彼らと握手したり話をするのだから。 これで時間がかからなかったら嘘だ。 
バスは昨日の雨が道の溜まった所に沢山蝶が集まっているのを踏みにじって行く。 
ガブリエルとはアンプルと言う村で別れた。 ゴリラを見にゆこーと行って自動車はの止まっている所から100mもバックした。 われわれの為に皆待たしてすまないと思ったら、バスの運ちゃんもわれわれと一緒のゴリラ見学に加わっているのだ。 これならバスが出てしまって、乗り遅れる心配はない。 そのゴリラはキャロルのところにいる big man とちょーど同じぐらいの年頃だった。 これをガブリエルが先ず値を付けてキャロルに売ると言うよーな process をへるだろー。 
引き返してバスに乗ったがバスのエンジンがかからない。 村の者が出て来て渋々ながらも押してくれた。 乗客は誰も降りない、運ちゃんも涼しい顔をしている。 運転手と言えば intelli で収入も多いから村の者は彼を尊敬しているのだろー。 
ある部落に止まった時、女がわれわれの為にバナナを4本くれた。 これは本物のバナナで、ジャポステンに居る間はプランテーションばかり食べていた。 本物のバナナの香りとその甘みが何とも言えなかった。 ところが女と乗客の間に口論がおこった。 金の払いが少ないと言うようなことかららしい。 われわれも金を払っていなかったので100フラン紙幣を出したら、85フランお釣をくれた。 乗客の大部分はアボンバンの近くの大きな部落で降りてしまった。

アボンバンの街へ入り、運ちゃんは Mr.pesek 知っているや、そこまで送ってくれと頼んだら、ちゃんと送り届けてくれた。 一人前300フランのバスとしてはservice 満点である。 
pesek 氏はちょーど昼飯のすんだところで、よく分からないが彼の妹のご亭主と三人でティーを飲んでいるところだった。 とにかく昼飯がまだという事が分かったので、飯を食えと言われた。 ブドー酒をよばれ、久し振りに心配のない水をガブガブ飲んだ。 

さて Pesek 氏のところの車は今日出たので明日は出ない。 明日は native の車が出ると言うが、ここから Yaounde までは遠い。 それをあの調子でユルユル走られた日にはたまったものでない。 
しかしわれわれはアボンバンなんかでぼんやり滞在している事が出来るよーな気楽な身分ではない。 
11日の飛行機を外すと今度は14日なんだ ―Air France ハ― 三日滞在で10000フランはかかるだろー。 それよりも今はこの10000フランを払って早くアフリカを引き上げるべきであった。 
Pesek 氏に今日中に Yaounde まで帰りたい旨を、伊谷のフランス語で通じさしたところ、親切な氏はサッソク taxi を探しに行ってくれた。 そしてわりあい新車なんだが10000フランでYaounde まで ok と言う車を見つけて来てくれた。 

車が来たので Pesek 氏に別れて、まず Brook 氏を訪ねてお別れを言った。 アボンバンを出たのが4時だった。 ホテルに着いたのはもう10時、飯はサンドウィッチですませシャワーも浴びないで、まだ safri のままの旅装をとかずにベッドで寝た。



以下次回へ 








 

2010/11/10

AFRICA 1958 (15) 

4月29日 朝寝坊しているところを、伊谷に起こされる。 
彼はもうサファリ服に身を変えている。 Sangmelima まではバスで行き、そこにいるオランダ人に頼んで、それから先は送ってもらうのだそーである。 原稿の続きを書こうと思っているところへキャロルが現れ、バスをやめてhire で行ったらどうか、4~5000フランで交渉すると言うので、それに決めた。 
そこで昼食をとると、車が来たのでイヨイヨ出発だ。 キャロルの所へ行って、そして彼が例の銃を持ってわれわれの所へ来てくれる約束をして、2.30 Yaounde を出発。 今まで来たことのないよーな街はずれ、それでも整った処を通って、いよいよ郊外に出る。 
道の両側だけは palm、banana、それから cacao を植え、道の沿ってわりあい頻繁に村落が現れているけれども、もうその背後まで森林が迫っている。 
道路に沿って村落の多いことは、このカメルーンが一番のよーだ。 家はもはや丸型でなくて、ことごとくが4面形であり、土塗りで窓も開けてある。 屋根はバナナ葺きが多いけれど、トタン屋根もかなり見かける。 ところどころで川を渡るが水は赤っぽく、森の間にその行き先は消えた。 なにか湖沼の様なかわばかりだ。 
1時間で Mbaimayo に着く、3.30だ。 Ebolowa へ行く道が別れた。 道は所どころ舗装してないところもあるが大体舗装は完了して、運ちゃんは猛烈に飛ばし、一度は鶏を敷き殺した。 佛領もこれなら道路は立派なものだ。 車は所どころで小型バスを追い抜いてゆく。 あれに乗って行かねばならないとしたら、ちょっと悲観だなと思った。 
道々女の服装がもう native 化するかと注意して見ていたが、どこまで行ってもワンピースを着ている。 お婆でも着ている。 これはちょっと予想外だ、町から外へ出たら変わると思っていたのだ。 もう一度Ebolowa への道が別れるを見て Sangmelima へ着く。 Yaounde から3時間で着いた。 5時半前だった。 東へあと30分ぐらいで目的地 Nezese へ着くと言う。 
Sanbmelima はこの近くの center で役所もあり European が100人も住んでいると言う。 訪ねるダナイ氏は留守だったが、奥さんがウイスキーを飲ましてくれた。 乗って来た車の運転手はMezesse までならもう1500フラン余計にくれとうるさい。 しかしダナイ氏もいないし、奥さんではどうにもならない。 とにかくダナイ氏の経営している店へ買物に行き買物をした。 アルコールはないので native の bar でビールでも買って行こうと思った。 
もう一度ダナイ氏の所へ戻ったところ同氏が家に帰っていた。 車の件を奥さんから聞いていたらしく、今夜は家で泊ることにして、車は返してしまいなさいと言う。 明日、家の車で送るからと言うのだ。 この人は戦争の時ジャバか何処か南領に行き、日本軍の捕虜になり苦労したらしいが、それを根に持たづに日本人に親切にしてくれるのは、まだ若いのに偉いと思う。 時計を見ると、もう6時だ。 ダナイ氏の言葉に甘えることにした。 こういう人からいろいろと information を得ておくことも必要である。   

・・・・・その夜、今西先生はダナイ氏に幾つかの質問をしている。 どーしてカメルーン(地域差は勿論あろうが)の native がこんなに livingstandard が高いのか、また独立について、等々質問をしている。 その答えは明確だ。 そしてアフリカの future についてどー考えるかとの質問にダナイ氏は、それは誰にも答えられない難しい問題だが、二つの点で駄目だと思うと言った。 一つは彼らに economic な概念ががないこと、ながい例をあげている。 それからもう一つは彼らの未来に暗く影を投げかけている、tribe 間のことだと言う、何が原因かと聞いたら zealously だと言った。 1958年に語ったことだが、現在でもこの問題の解決はない・・・・・ 

食事になった。 スープはおいしかった、前菜に続き Rice が green peas と炊いたのが出た。 日本の濃い口醤油を出してくれた。 ヤマサのレッテルがはったビンだ、これは嬉しい。 残ったご飯をみなたいらげた。 食事の後で、それじゃー日本茶を飲んでもらおうと煎茶をいれた。 ダナイ氏は余程味のわかる人とみえて、これはあと口がスーッとして良いものだとほめてくれた。 食後、彼の持っている16ミリ機械を見せてくれた。 キャノンやニコンの名を知っていた。
外へ出てみた。 この家は通りからちょっと引っ込んでいる。 道まで出たら広い通り ―中央に木を植えたところがあって― にはもう誰も歩いていなかった。 月がそこを寂しく照らしていた。 なにか満州の国境の町に来ているよーな気がした。 11時、電燈が消されたが、ランプを一つもらっていたので、12時まで過ぎまで日記をつけて寝る。

4月30日 朝、眼が覚めるとザーザー雨が降っている。 ダイナ氏のトラックで出発する。 
奥さんが土曜日の昼には、支那料理をして待っていると言ってくれた。 金曜日にキャロルが来ない時には、ダイナ氏のトラックを土曜日の朝まわしてもらう事を頼んで出発する。 
まだ雨が降っていた。 町の native ber でビールを買いいれ、パンを買った。 9時半に Sangmelima を出る。 ここから先もまだバスが通っているので道は良い。 森の中を通って行く。 Mezesse の本村で chef が居ると言うので、降りて握手をする。 同村の先生が生徒を引率して歌をうたいながら道を歩かっていた。 次の部落で車が止まる、ここも Mezesse だ(次も Mezesse である)小字というところか。 8軒の家がひとかたまりになっている。 
その中の一軒 ―Yaounde からついて来たわれわれの案内人ジャン・ルイの家だった、ここに泊るのである。― が家の中を片付けている。 中へ入ると、土間が4室あって、入ったところがliving room 、椅子もテーブルも粗末ながらある。 いま一つは藤椅子だ。 その向って左が寝室、右がさらに二つに分かれているが、ここはまだ良く見てない。 入口近いところにオートバイが置いてある。 ジャン・ルイはどこかからラジオを出して来た。 ベッドはスプリングが利いており、マットもついている。 さらに驚いたことにはガソリンランプやプリムスの火器まで備えている。 なんだか背伸びしていると言った感じだ ―日本の農家と比べてみて。 さらに感心したことは便所が家から離れた所に造ってあることだ。 村の男たちが代わる代わる握手を求めに来た。 彼等はいかにも文化生活をしているようだが、それは金が入ったから買ったまで、しまうと言う事を知らない。 
この連中は ―ジャン・ルイの着ているシャツもそうだが― 破れたところは、そのままにほってる。日本の農家はボロボロになるところをつぎをあてて丁寧につくろう。 誰だって、つぎの当たった物は着ているが破れたままでは着ていない。 ここが違うと思った。まだ降りたらぬよーな空で、室内にいるとうすら寒い。 村のすぐ後ろは、これが彼らの取る畑である。 カカオを植え、その周辺にさらにココヤシやバナナが植わっているが、もうそこまで森が迫っている。 その背の高い木にはサルオガセがさがっているのが見える。 
伊谷に飲料水をどこで取っているか調べに行ってもらう。 300メートル離れた所 ―森の中― にある湧水だった。 
食事はジャン・ルイの嫁さんが作ってくれるのかと思ったら、彼はどこからか一人のコックをつれて来た。 昼は持って来たハムカンを開け、そのコックが硬いビフテキを食わしてくれた。 村の食事を食わせろと言ったら、何が可笑しいか大笑いになった。 

1時半になったので森へ出かける。 ジャン・ルイは昨日来る道でどこかから借りて来た、銃を打ちたくてたまらない。 今日はゴリラではなくて monkey を見に行こーと言う。 テープレコーダーを担いだ者など3人がついて村を出た。 蝶が飛んでいる。 伊谷は網を持ってこなかった事を後悔している。 森の中を歩き回り5時帰路につく。大した収穫はまだなかった。 
東の空に月が出ている。 6時半頃帰った。 道で酒を飲んだらしい native が握手を求めて来た。 何を飲んだのかと聞いたら、ヤシ酒だと言う。 ギナペになかったヤシ酒がここにあるのか。 家に帰って早速ジャン・ルイにヤシ酒を持ってこいといいつけた。 

5月1日 昨日の夜は現地食を食わせろと言ってあるのに、コックはやはり自分の腕前を見せたいのだろー。 
食事中からタムタム(太鼓)を鳴らして人を集めていた。 明日は早出だと言うので10時半頃で踊りも終った。 ベッドにシュラフをしいて入って寝た。 暑くはなかった。 
4時ごろ一度目覚めたが、誰も起きていない。 そのうちにジャン・ルイが起きた。 家の外で話し声が聞こえる。 5時10分すでに起床、外は真っ暗。 朝飯、6.00予定通りに出発。 

深い霧が立ち込めている、今日は昨日と反対に本村の方に向って行く。 どこへ行くのか言葉が通じないのでさっぱり分からぬ。 本村の次の村で壮漢背の高いどんぐり眼の男が二連発を持って現れる。 これで一行7人となる。 この部落へ6.40着で、7.00出発した。カカオ畑をぬけ部落の東側の森へ入るらしい。 小川を渡った、それから先も道が続いている。 トウモロコシの畑に出ると、更にバナナ畑に続く。 部落を通っただけでは分からないが、やっぱりこんな遠いところに畑がつくってあるのだ。 
その頃から霧が晴れだして、日が射し始めた。 しかし露がまだ乾いていなから、もうズボンの裾は相当に濡れている。 ばななを gorilla が倒した痕がある。 7.50森に入ったとたんにmonkey が梢を渡るのを見た。 こちらは陽気なオッサンが、細い木かヤシの若木のよーなものを掴んで、ガサガサいわしそれと同時に擬声を使う。 するとサルの方でもこれに答えるので、在りかがわかるのである。 
8.10ゴリラの巣を一個発見、よくこんな物を見つけると思う。 それから森の中を登ったり下ったりする。 その繰り返しだ。 擬声を発しながら、方向から言うと、どーやら北へ進んでいるようだが、1時間過ぎ、2時間過ぎ、3時間はもう森の中を歩いた。 
11時にnaitive 達は自参の弁当を食った。 われわれはそこでオレンジを食ったが腹の足しのはならない。 浅い谷へ下りたら綺麗な小川が流れていた。 小川を見捨てて、また森の中の多分ケモノ道らしいものを伝う。 するとわれわれには聞こえぬのだが、彼等はゴリラの drum を聞いたらしい。 陽気なオッサンがわれわれを待たし、口を立てるなと言い残して、探しに出て行った。 11.20である。 下は湿っているから木の葉をひき木にもたれていると、朝早かったので眠くなってくる。 
12.00になっても帰ってこないので lunch にした。 この辺から ―今までは少なかったが― 先は palm が多くなる。 二人は結局ゴリラを見つけられずに帰って来た。 
1.00に出発。 少し東に方向を振り出した。 サルに会う、彼らの身体は実にシナヤカだ。 日本ザルなんか、これに比べたらすっかり武骨である。 2時、また群れに会う。 2時半、カカオの小さな花が咲いている。 しかしその朱実はなかなか大きい、柿ぐらいある。 此処で獲物を分けた。 それはどんぐり眼の壮漢はここから彼の部落へ帰るので、われわれは彼と別れて直接ジャン・ルイの部落へ帰るのである。 
カカオの林に出会ったり、道もはっきり人間の踏み跡になったから、もう近いと思ったがそーではなかった。 3時だった、われわれのとった道の方は足跡が大へん心細くなってしまった。 途中でまたサルに会う、ジャン・ルイは追っていった。 
彼を待たずに4.00時大木が下を焼かれ立ち枯れになっている所へ出た。 すぐバナナ畑があり、小屋が2軒立っていた。 出作である。 そこで休んでnative のとってきたサトウキビをかじった。 4.25まで待ったがジャン・ルイは来ないので別の道をとったものと考えて集発。 この出作りから先は道が急に良くなった。 森林の中の湿地のよーな小さな平らに青々と禾本科の草が生えていた。 これはrice だった。 道はなおも東に向っているのだ。 もう街道に出るかと期待しつつ歩いているが、いつまで行っても森の中だ。 そのうちに道が川で切れた。 川が道なのだ。ジャブジャブ歩く。 こんなこところが、あとでまた出てきた。 こいつは川というより水溜まりだ、ずいぶん長く続いた。 まるでマングローブの中を行くよーな気がした。 楽しかった。  
それから先は森の中と言っても木が小さくなり、耕作地も出てきた。 やがてカカオの大きな栽培地に入る。 出た所はジャン・ルイの部落の一つ先の部落だった。 夕日を浴びて街道を300メートル程歩き部落へ帰った。 

なんと静かな事、時間は6.10まえ。 やっぱりジャン・ルイの言った通り6時から6時までまるまるかかった。 ジャン・ルイに今日歩いたところを地図を書いてもらったが、大体北へ向ってずっと歩いた、それから帰りに東に向いて太陽を背にして歩いたから、矩形の二辺(他の二辺を街道で行き行き通った)を歩いたことになるらしい。 それから今日の森林であるが、木が高い木はあることにはあったがあえて言えば細い木が多い。 Stanly で見に行った森林程度だと思う。 はん根の発達した大木というものは今日見たものだけで、わずか10本か10数本程度だった。 これがアフリカの熱帯降雨林の典型だとすれば、われわれはそれにイササカ失望する。 そこでこのよーな細い木と太い木の入り混じった林相の成因をどー説明するのが問題となであろー。 
夕食はコックが約束どーり、現地食を食わせた。 昨日寝不足で10時に就寝する。 

5月2日 昨日、痕跡のあった Gorilla が Essam の方へ廻ったらしいと言うので、今日は Essam の裏山で昨日歩いたとこに続く部分を回ると言う。 出発は昨日より遅く、7時ということだった。 
もう forest は昨日一日歩いて見て来たし、猟師について行ってもゴリラの観察は難しいと思ったので、伊谷は行くと言うから、こちらは居残ることに決めた。 昨日ついて来た人の中の一人だけは pidgin (pidgin English) かもしらぬが多少英語が分かるので、それを imformant にして、せっかく naitive の村に泊りこんだのだから、もう少し anthropological な data を集めてみようと言うのが、今日居残りの目的なのである。 
アフリカ旅行中一日ぐらい anthropologist になる日があってもよいではないか。 昨日も月が妖しと冴えていたに、朝はやっぱりガスが低く垂れこめている。 伊谷は8時出て行った。 

その英語が少しわかると言うジョセフもジャン・ルイも陽気なオッサンも兄弟だと言う事を一つの手がかりにして inquiry を始めてみよーと思った。 もう一つの手掛かりはここ8軒の家の関係である。 ジョセフはみんなの出発の時から来ていたので、家の入口に椅子と机を出してきてinquiry を始めた。 9時から始め出して10時過ぎに終ったから、約1時間だ。思ったよりもうまくいったと思う。 
それで両方とも相当疲れたので、後は午後にした。 午前の inquiry の整理をしようと思ったところ、ジョセフが大きな岩を見に行かないか、1キロ程のところだと言う。 彼らの1キロはあてにならない~。 大抵はえらく遠い、昨日なんかやはり畑からジャン・ルイの家まで2キロだと言ったのに、3時間かかっている。 しかし彼の好意に答えて、行くことにした。 
大きな岩があることは伊谷も言っていた。 道々なおも inquiry をしながら Kazesse の本村へでて、サムリスの反対の方え行く。 ここは Bulu の chef の家が右手に、左手に Kazesse の chef の家があり、もう一軒みぎてに doctor の家があった。 
いずれもジャン・ルイの家とは比べ物にならないほど立派である。 林の中から林越しに、大きな岩が見える。 カカオの林を抜けて、岩の根元に立った、これは花崗岩だった。 出掛けに運動靴を履こうとしたら、今日は水はないからそれで良いと言ったので、つっかけぞーりをはいて来たのだが、それがかえって良かった。 ソフトソールなので良く岩にくっつく。 最高点までなんとかついて登った。 
さすがに高い。 反対側は絶崖絶壁で、その下に開墾地があり草深いなかにバナナが植えてあった。 昨日通ったところもここから見直して大体見当がついた。涼しい風が吹いてくる。

・・・・・此処からはanthropologist の眼が note 50ページ程つづくが割愛する。 ジャン・ルイの家の巧みなスケッチを残している・・・・

もう6時近くなったが、ついでにジャン・ルイの家のスケッチをしておこーと思い、拙いスケッチをしている所へ伊谷が帰って来た。 ゴリラはやはり見つけることが出来なかった。 ジョセフに言わせると、この頃はゴリラがバナナ畑を盛んに荒らしに来て、それを片っ端から銃で撃ち殺したので、今はちょっと少なくなっているのだと言うのだ。 
Native が銃を手にすると、どーしても濫獲になると言う事は世界中どこにも見られる現象である。 そして小さなゴリラがここからずいぶんキャロルの所へ送られたらしい。 伊谷は今日の獲物は昨日と同じ二頭のサルを持って帰って来た。 

夜、ビールが切れたのでパルシアビールが欲しいと言ったら、ジョセフが取りに行ってくれた。 それを待たづに現地の食事をしながら、ジャン・ルイに相続の事を聞く。 
君のお父さんが死んだら、そのカカオは誰れの物になるのか、ジャン・ルイかアベか。 あれはアベである、アベが死んだら次は私がもらうと言う。

・・・・昼間のつづきの inquiry が始まった。 家族、親族関係、8軒の関係が細かにあらいだされてゆく。ここも割愛することにする・・・・・

キャロルはとーとー来なかった。そんな事じゃないかしらと思っていたのだ。 空は昨日、一昨日に比べやや曇っているが今夜もよい月だ。 ジャン・ルイと嫁さんは kitchen house の方へ寝にいった。 椅子を持ち出して月を眺めたうえ、10時半就床。

5月3日 朝早く ―5時半頃― チンパンジーの群れが近くを喧しく鳴いて通ったと言う話だった。 
今日はあまり早く起きては煙草が切れそーなので、表でガヤガヤ喋る声を聞き、アコーディオンを鳴らしているのを聞きながら8時まで起きなかった。 
ジャン・ルイもアベも腰に派手な布をまとっている。 ポナペでもそーだったが、これが sleeping のときの cloth でありくつろいだ姿なのだろー。 男たちは怠けているよーだが、屋根にするためにバナナの葉柄を織るなどは男の仕事らしい。 家はそれぞれ建てるが、ジョセフは彼の women と2人で design し、建てたそーだ。 家は一度建てたら、屋根さえ葺きかえれば20年以上持つそうだ。 

・・・・・此処でまた anthropologist の眼が、家、家に関わる決まり、結婚の方法、家系の話し、 witch craft へと 続くが、やはり割愛に・・・・・

12時前に約束しておいた track がサムリマから来た。 cook は1500と言ったが1000フランに値切る。 ジャン・ルイにどれだけ礼をしよーかと言ったら、いらないと言う。 キャロルが金を払っておいたのではないかと、伊谷は言う。 しかしこの間から forest をかけずり歩いた、ジャン・ルイ、アベ、シャンピエール、ジョセフの4人を呼んで礼を言い1000フラン渡して一杯飲んでくれ、と言ったら快く受け取ってくれた。 ジャン・ルイは珍しく気持の良い男で彼と話していると neitive と話している気がしない。 
この Mazesse の滞在は全く at home だった。 一つには通訳がいないと言う事もあったのだと思う。 アベとジョセフは cook と一緒に本村まで、バスに乗って見送ってくれた。 12時に出た。 
サムリマにかえったのが12時半、ダナイ氏夫妻に迎えられる。 彼は話の途中に直ぐにオタンダでだした百科事典を引っ張りだしてくる。 なかなかインテリである。 
昼食は約束どーり支那料理だった。 食後に出された丸い果物の様なものは、食べてみるとショーガの味がするので聞いてみたら、やっぱりショーガだった。 砂糖漬けにしたものらしいい。 
ダナイ氏は日本茶が気にいっているので、出してきて飲んだ。 帰ったら是非一缶送ってくれと頼まれた。 
Yaounde まではバスのつもりが、今日はもうバスがない。 明日の6時ヨーロピアンの車が出るから、今夜は泊ってそれに乗ったらと言われたが。 バスがなければhire で帰りたいと言ったら、ダナイ氏が new car で5500で行くと言うのを見つけてくれた。 記念撮影をしたりして、ダナイ氏の家を出発したのが3時過ぎだったろーか。



以下次回へ



 




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