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2010/12/01

AFRICA 1958 (17)


5月9日 われわれはまず Mr.Cutler に会って viza のことを聞かねばならない。 そのうちにホテルと道一つ隔てた所にキャロルの車が止まっているのを発見、キャロルはホテルへ来た。 そしてcanadeian と朝食を食う。 
正午にわれわれを迎えに来ると言うので、かれと別れ Cutler を訪ねたが不在だった。 それでかれこれ1時間は American consulate の玄関で待った。 
Cutler が帰って来て、11日に発つのだったら viza の延長はこのままで良いという。 それから Air France へ行って reserve をやり、その方は伊谷に頼んで、銀行で100 pound 両替してもらった。 58070フランになった。 

キャロルのところへ行く、そしてドクター夫婦にこの間の礼を述べた。 昼食はなかなかで、彼らの間で金銭勘定をしているので外へ出て big man のオリを覗く彼は近づいて来て四股を踏んだり、手を叩いたり、胸を叩いたり、タイヘンナ survice 振りである。 内へ入ると抱きついてワイシャツを汚すから、オリの外から応対したのであるが、オリに身体をすりつけて身体をかかし、また差し出した指を何度も噛まれたが、犬が噛んだよりも強く噛むので痛かった。

食事をすまし、きょう Air France へ cargo を4時までに出さねばならないのに、もう3時になったので、キャロルが運転してホテルまで届けてくれた。 一休みして本屋へ行く、伊谷は散髪屋へ行く。 自分は離れてホテルへ夕暮れの迫る中を帰って行った。 ここは繁華街である。 伊谷の散髪屋はもう今日は終ったと言って追って来た。 二人で百貨店のよーな所へ寄り、ホテルへ帰った。 頭を洗い showerを浴びた。 
食事をすまし9時になった、伊谷を食堂に残しておいて部屋に帰った。 

5月10日  今日はどうしても原稿を書き上げてしまいたい。 いやいやながら原稿書きを始めた。 Air France と paris の角田氏に連絡は伊谷に頼んだ。 10時頃、下の town の方から今日の建国の独立祝賀前夜祭の band やらなにやらが賑やかに聞こえてくる。 しかしホテルに缶詰めになって、ひたすら原稿書きをした。 
キャロルが昼飯を食いに来いと言っていたが誘いに来ないので、下へ降りてウイスキーを飲み、1時に昼食にした。 

伊谷は white の中へ入って今日の祝典を見て来たそーだ。 ひと眠りしようと思ったが、トートー眠れなかった。 それで起きてまた原稿の続きを書き、8時によーやく書き上げる事が出来た。 
原稿を書き終え、shower を浴びる。 シャツを着替え、下へ降りて行ったらキャロルに会った。 いまドクターが出て行った。 わしもこれで自由になったと、喜んでいる。 ウイスキーを飲み、一緒に飯を食った。 土曜日なので night club が始まり例の踊り上手なフランス人が来て踊っている。 女は沢山きているが今夜は眼にとまる女は二人ぐらいしかいない。 
10時過ぎ部屋に戻り原稿の読みなおしをすましたら、もう12時になった。 今夜がアフリカ最後の夜だけれど、下の band の音を聞きながら、これで眠ることにする。 

5月11日 そのうちに寝ついたが、朝はやはり7時には起きた。 
家あて、研究所あて、center あて、手紙を書いた。 散らかっていたものを、ちゃんとスーツケースに片づけてしまうと、もう何もすることがない。 キャロルが来たので彼の家へ行った。 そして昼食をよばれた後、また車で送って来てもらい、ホテルの前で彼の frend ship を謝し、別れた。 

3時に Air France の車が来て、ホテルのおやじとおかみと握手して別れ、 airdrome に着く。 飛行機は4時 Yaound 発、45分でDouala に着く。 Paris 行きの飛行機はもう来ていた、5時離陸。 ブンブン高く上がる。 ・・・・・・・  


  日本を2月4日に出発して以来、タイに立ち寄り、アフリカに入りケニヤ、タンガニーカ、ウガンダ、コンゴ、カメルーンとゴリラを追って調査地を移し、アフリカ最後のカメルーンを5月11日出国まで、すでに3カ月を超えている。 ここまで今西先生のフィールド・ノートより先生の行動をたどって来た。 それはノートの中の一日一日の主だった行動を追ったものである。 その外の記述は ―コメントや思考 ― 省いてある。 はたして先生の本当の偉さ凄さを読み取ることが出来ただろうか。 これより野外の霊長類から、思考の霊長類の旅がヨーロッパからアメリカへと帰国まで2カ月間続くのである。 先生の偉さ凄さとは、その2カ月間の旅をもう少し追ってみることにする。



以下次回へ 




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