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2010/12/19

AFRICA 1958 (20)

5月19日  8時起床、9時に外へ朝食に出かける。 
一軒の店が開いていて客の入っていたところへはいる。 みな朝からビールを飲んでいる。 食事だと言ったら、パンの上に鮭のくん製とひき肉の生にニラを振りかけたものと、2種あるのを皿にもり合わせたのを持てきた。 それでビールを2本飲んで、良い気持になってホテルへ帰り、10時taxi で sabena へ行き、そこから空港へ行って11.25少し遅れて離陸した。 
マインとラインの合流点が見えた。 やがて飛行機は雲の上に出てしまった。 軽食が出る、まだ腹はすいていないが、これで昼食代用にしようと思って辛抱して食った。 飛行機は雲の中へ下りはじめる。 Bruxelles着12.30ぐらい。 約1時間だ。 

そこから都心までバスがあるが、バスは遅れて、train で行く。 
外はのどかな春日和だ。 train は終いには地下鉄になり、そこでエスカレーターで外へ出る。 Air India の取っておいてくれたホテルに着く。 
狭い階段を登って天が斜になった一番上の屋根裏の部屋へ通ーされた。 もちろんべんじょや風呂が有ろうはずがない。 これで250fr (1750円)とは、いかにも高い。 
それから Japanese Embassy へ行ったが、門が閉まっている、ベルを押すと外人が出て来て3時まで休んでいるというので、道端にあるベンチにこしかけて30分間日向ぼっこをした。 アフリカではこんな事は出来ない。 
それから3時に大使館へ入って行った。 そしたら出て来た人が Congo の丸山領事は、きょう13時の飛行機で発たれたと言う。 残念なことだ、しかし金は領事が持参して下さったので、それを受け取った。 
それから1党書記官の矢野泰雄氏の部屋に案内された。三高出だと。ブリュッセル滞在中の予定を語り、便宜を図ってもらうよう頼んだ。  Congo Museumなら、これからでもと言うのだったが、 London 行きの seat が確認できていないので、 sabena へ行くことにした。  Museumに行くには時間も遅いので 、そこへ丸山さんを送って行った及川書記官が帰ってこられ、明日行く Antwarp の動物園へ連絡してくださった。 そこでバルーン大学の方へも連絡していただくよー頼んで。sabena まで送ってもらう。 
Sabena では booking o.k. と言うことになり、これで一安心。 それから Antwarp 及びバルーンへ行くのは CavtralStation 始発と言うことを確かめたのち、昼飯が少なかったので腹がすいたから、町の方へぶらつきだした。 途中でビールを一杯ひっかけ、結局支那料理に入る。 
隣に女連れが3人きて、ブドー酒を飲み焼飯を食った。 こちらは白ブドー酒で対抗し、焼卵と豚やら、マッシュルームやら、キクラゲやらの入った煮込みと、焼飯を取ったが、 一人前と言うのが先ず二人前は充分あるので、これをみな平らげたら久し振りに腹一杯になってしまった。 
ブリュッセルは活気があるが、その代わりになんだかゴタツイテいて、街は犬のウンコが散らかっていたりした。 とても Zurich の綺麗さの足元にも及ばない。 綺麗な人はここにもいるが、やはり引きしまっていて、あどけなさがない。 

矢野氏の話によると、 Belgium の植民地政策は本国に黒人を入れないと言う方針だそーだ。黒人が本国へ入りこみ、また本国から食いはぐれが植民地へ流れ込んで、そこがいりまぐれるとフランス領のよーにいろいろな面倒が起こり、終いに植民地を手放さねばならなくなる。 こう言う考えだから、今度の植民地政策は一番遅れているとも云われていると言った。 黒と白とをseparte する政策とにらんでいた事は、やはり間違いはなかった。 
フランスのアルジェリア問題は、現地と中央とが対立のまま、一応おさまり新内閣が出来たそーだ。 ドゴールは出るまいが、フランスはかつての日本が満州軍に操られたよーに、次第に出先にいる軍部に抑えられるよーになるのでなかろーか、と言うのが矢野氏の意見であった。 

ベルギーの4日間はちょっともったいないものがあるが、博覧会にもせっかくここへ来た事だから、一日顔を出すことにした。 もうイギリス、アメリカでは大使館のお世話にもなるまい。 大使館、領事館にお世話になるとしたら、これが最後であることを定む。  10.40就床。 

5月20日  8時起床、昨夜よけいに食ったから朝食抜きで、今日はアントワープの動物園へ行く。 
ブリュッセル北駅で train に乗った。 小さな家 ―と言っても3階建― のゴテゴテと建てこんだ場末風な所から、ホルスタインや羊を飼っている綺麗な郊外に移る。 青々とした新緑である。 白樺を見た、ナナカマドもある、植えたものだろう。 
アントワープに着いた。 director の Van den Bergh はいま忙しい、12時にもう一度事務所に来てくれと言うので、建設中のnew ape house と monkey house で時間をつぶす。 大きなオラウータン、チンパンジー2種。 それから Congo のサルや南米のサルがいた。園丁が名を呼んだら止まり木にぶら下がって、寝ていたsloth が目を開けてフラリフラリと木や金網を伝いながら下へ降りて来て餌をもらったのは見物だった。 
12時になって Bergh に会う。 グルメックと違って、若い、あまり飾らぬ人物だった。 ―園長にしては確かに若い。 今日は忙しいから、とにかく飯を食いながら話そうと言って、園内のレストランへつれて行った。 ところがそこで、この動物園のbiologist と言うオバチャンが現れて、この人と一緒に食事し、最後までこの人の世話になったのである。 食事はこれは久し振り定食で、オードブルに野菜が沢山付いていたのは、有難かった。 

それから園内を案内してくれたが、先ず ape house だ。 これは上野と同じ system である。 それからゴリラを見せると言って、3階に上がると、そこがちょうどグルメックとこに作ってあったと同じ様なcage を作った部屋になっていた。 ローランドゴリラ2匹、3才の♀と5才の♂とがいた。 ♂のゴリラはチンパンジーと同居していた。 ゴリラはマカロニの生をパリパリ言わせながら食った。 次にマウンテンゴリラを見せると言って、建物をぬけてゆくところにcage があった。 
いろいろなものが入っていた。 例えばシカのようなもの、ape とmonkey ばかりが一つ一つの cage に入っている、オラウータン、ここにbigman ぐらいのマウンテンゴリラが2匹いた。 どの動物もオバチャンによく馴れている。 この人が多分飼育主任なんだろーと思う。 それから動物園の楽屋裏を覗かしてもらった、これは大変に参考になった。 それからエレベーターで上がるとneptik house だった。 
そこを出て、もうオバチャンに迷惑だから別れよーとした。 ―疲れてくると英語で喋るのがいやになり、それと共に hearring も不可能になるので― しかしオバチャンは、まだオカピやシロサイや bird house を見るだろーと言うので、なおも案内されてゆく。 ここの動物園はずい分飼育している。 聞いただけでも相当ある。 
驚いたのは最後に見た bird house だ。 そこまで行く間にも、例えばキジ、クジャクの頭の綺麗なのが沢山集めてあった。 鳥を実によく集めている。 これがベルギーのnative bird を集めたものだと言う cage もあった。 
ところで bird house へ入って先ず驚いたのは、小鳥を見るのが水族館のよーに、こちらが暗くしてあって、鳥のいる所は電燈で明るくしてある。 これだけで鳥は決して暗い方へは飛んで来ないそーだ。 だからもちろんガラスははめてない。 ガラスなしで直に鳥を見るようにしてある。 これは感心した。 
しかし全てがそうなってはいなかった。 キューカンやハミングやオームなどはガラスをとーして明るい部屋で見るよーにしてあった。
4時にオバチャンと別れた。 

それから駅前の通りを歩いているとパリのよーに沢山のレストランが両側に並んでいた。 パリを思いだした。 其処でシトロンを頼みながら道行く人を眺めた。 
ラッシュアワーにならん中にと4.45分発のブリュッセル行きに乗った。 ブリュッセルに帰り、博覧会行きのバスの出る所を確かめ、ホテルへ帰った。 

7時過ぎ、夕食にもう一度昨日の支那料理のハゲ頭の親父が気に入ったので、あすこへ行こうと思い、伊谷を誘って下へ降りた所へ大使館から電話がかかって来たという。 こちらからかけても中々通じない。 業をにやして外へ出た。 
支那料理へ行く前に、美味いもの屋で一杯と思い、昨日見つけておいたので、アワビを食おうと思ったが finish だと言う。 デンデンムシを取ったが、僕はその匂いが嫌いなので二つほど食って、伊谷に残りを食ってもらった。 それから支那料理へ入ったところ、もう9.20なので客がいない。 オッサンと30ぐらいの支那服を着た女が店番をしていた。 木賃ホテル ―実は値段だけは高い木賃ホテル― へ帰る。 そして朝おきたままで、清掃もしてない部屋で、しわくちゃのベッドへもぐり込んだ。 就床11時半。 

5月21日  8時過ぎホテルで朝食 ―朝食付きだそーである― ルーベンへ行こうと思い、出かけようとしたら大使館から電話があり Vand Brockは11.30に Congo 館 ―exposition の― で待っていると言う。 それを聞きちがえて Congo Museum だと思っていた。

それまでに9.30だから時間があるので近くの Leopold Park にある Natural History Museum に行く。 入場料は取らない。
そこで元の館長で、いまは隠退している Honorary Director になっている S.Frechkop を訪ねた。 これがまた案内されてみると、どえらい立派な、かつ綺麗な建物で、彼のいるのはその最上階で、そこからはブリュッセルの街が見下ろせる。 
しばらく話して標本 ―観覧しない― を入れていると言う建物を見せてくれた。 ―2年前に建ったと言う。 まだ全部は完成していない。 これが完成したら、いまの陳列館の標本を全部こちらに移して、あの建物は取り壊してしまう、だと言った。 
そして新館の何階かには mammal の標本がぎっしり詰まっている。 例えばゴリラでも、その skeleton 、brain みなあると言った。それから陳列館に案内されてmountaingollira を見た、その他沢山の monkeys and apes のはく製、大は像から小さなものまで並べてあった。 
しかしこの陳列館で驚いたのは大きな cetacean の化石はここが一番沢山持っているのだといった。 20メートル以上の巨大 skeletonが並べてある。 また cretaceous から発掘された dinosaur が沢山あった。 みなベルギーから出たものだと言う。 
日本なんかそーいう点では、化石には恵まれていない。 Exposition へ行くのだと言ったら、彼は親切にも ―彼はもう65歳のおじいさんなんだが― 電車の停留所まで送ってくれた。 感謝する。 

11.30までに間に合いそうもないので taxi で行く。 それから Pavillon Congo を訪ねてゆく。 Congo 館経入ったがVandeBrock は顔だってまだ合っていないのだし、どこに居るかわからぬ。 その中に Congo 館と言うのは一つでなくて、幾つもある事がわかり Pavillondu Conbo fauna で待っていると言う事だと云うので、それなら向いだと聞いて、入口に駆け付けた所、3分前に日本人はいないかと、訪ねて来た人があったとわかった。 しかし時すでに遅しで、もしその人がもう一度来たら、この手紙を渡しておいてくれと玄関番をしている人に頼んだ。 
それから空中ケーブルに乗って一番隅っこにある日本館へ行った。イラン館の後ろ、イタリー館の隣にあるがいかにもミスボラシイ。USRR などは大したものだ、アメリカ以上のものを建てている。 日本だってやる気のなればフランス館ぐらいは出来ると思うに、建物は貧弱、中の陳列も貧弱でげっそりした。 
しかし来た目的である。 日本料理だけ食おうと思い入った。 ここはなかなか繁盛している。 天ぷらと赤だしつきの飯を注文し、ほかに付きだしにウニをもらって、白鶴で一杯飲んだが素晴らしく美味いので、ついに4本、ちょと飲みすぎた。 そこを出て芝生の上で日向ぼっこしながら、1時間ほど寝た。 それからCongo 館へ行った。 Fauna 、Mine、Agriculture、Mission、Tronsport を見て commerce をやめ、疲れてコカコーラを飲み、 それから本館へ行ったらもうfinish だと言うので、とうとう Folklore を見そこなってしまったのは残念だった。 
それから場内をグルグル、ノロノロ廻っている、バスに乗って入口近くまで出たが、人が出口に一杯なので、段になった花壇のあるところで日の沈むまで休んだ。 そろそろ日も暮れかけて来たので、場外に出る。 電車でもとのLeopold park まで帰った。 Frechkop の教えてくれた停留場まで、道々大きな汽船の着いている運河があった。 また広い通りに面して、3階建、4階建ての住宅らしい家が、それぞれが趣向をこらして一軒と同じ出ないが、それがぎっしり縦並んでいる所は綺麗だった。
電車を降りて、そのままホテルには帰らないで、その近くにあった店に入った。 ビールを一杯飲んだら、コカコーラやシトロンであと口が悪くて弱っていたが、すっきりした。 その店で安いレストランを教わり入ったが、英語が通じない、そしたら一人で飯を食いに入っていたレディーが助太刀をしてくれた。 そこでスープとジャーマンステーキとトマトサラダを食って、ホテルへ帰った。 日記をつけ、就床11時。




以下次回へ





    

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