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2010/12/27

AFRICA 1958 (21)


5月22日  7時過ぎ起床。 
9.15発の express で Lowvain へ向う。 郊外の少しゴタゴタした所を越してしまうと、綺麗な農村の連続で、いかにも豊かそうである。 
Lowvain は誰でも大学街だと言うから、一つの大きな大学が立っていて高い時計台でもあるのかと思っていたら、そーではない。 
町の中のあちらこちらに本部、こちらに Philosophy 教室、またこちらに Zoology の教室と言うように、町家の中にそれがバラバラに散らばっていて、どこにもちっとも大学らしいところはない。 だから学生が沢山狭い通りをノートを抱えて歩いている所だけが大学街だ。 
一人の学生にとにかく philosophy の教室を訪ね、地図を書いてもらって、途中イロイロな人に道を聞き、最後は女子学生二人に案内されてやっと着いた。 
10時半ごろだった。 そこで Vandebrock の教室を訪ねると、助手らしいのが出て来て、今日は午後こちらへ来るだろーと言う、午後まで待っていられるかいな。 
それでその方はあきらめて、ドクター・エルギスを探そうとしたら、一人の男が現れて大学本部という ―これも町の中の普通の家の間に挟まれていた― ところへ連れて行ってくれた。 そこで散々調べられた結果、エルギスは目下、Gent の大学に勤めている事がわかった。 これも駄目。 日本から出した手紙もきっと不着に終ってしまったことだろー。 

停車場まで道を教えてくれたので、昼までにブリュッセルへ帰へろーと駅に向った。 ちょーど11時25分の express に間に合い、12時15分にブリュッセル中央駅へ帰ったので、それから大使館の及川さんに電話し、駅から50frで taxi を飛ばし、大使館で手紙(ロンドンの小川から)を受け取り、コンゴの museum までは送ってもらうことになって、とにかく昼飯を食いに行く。
Museum では National Culture が館の大部分を占めているが興味がないから、印象ににも残らぬ。 蝶の標本の所で、アフリカではFamilian になっていた papilis の名前がわかった。 また鳥の標本を見て知るところがあった。 それからまたもや museum の裏通路へ案内されたが、そこにおびただしい skeleton の collection が有るのには目を見張った。 像や水牛のよーな物、頭蓋骨だけでも幾らあるかわからぬ。 
最後に行ったところに Uy.Verhegen と言うまだ25歳の青年がいて、colobus の計測をやった論文をくれた。 また標本ダンスを開けて、さあこれがチンパンジーだと見せてくれたが、どのタンスにも一杯つまっている。 これだけはわれわれの力で到底集められるものではない。 われわれが behavior を始めたかは、今からでは遅いと思ったからである。 ますますこの感を強くした。 
二人に別れて館の外へ出ると、 museum の裏に池を作り、その周囲を広く取って芝生と森に取り巻かれていて、実に造園がうまくしてある。 雨がポツリポツリ来たので外へ出てレストランでコカコーラを飲んで、電車線路を行く。 

夜は伊谷が昨夜賑やかなところを発見したと言うので、あまり行きたくなかったが、電車に乗り中央駅をこえてもう少し先まで行く。ここは商店街であり cinema も幾つかある。 しかし日本のよーに cinema と食いもの屋が必ずしも接近していない。 
レストランに入り食いものを注文した。 店でシャンソンを聞いた。 何かしみじみとした歌を歌った。 シャンソンというものは、こうゆう所で聞くべきものだと思った。 小雨降る中を、宿の女将と約束した11時にきちんと帰った。 すぐ寝た。 

5月23日   9時半、ホテル出発。 
taxi で Sabena の office へ行く。 宿のこずら憎いマダムも別れ際には門まで送ってくれた。 バスで空港へまで行く。 そこで残りの金をポンドとドルに替え、ドルは73ドルを得た。 
一足先に Pan の London 行きが出る。 次々に Sbena 機が着陸するので、それを待って11.30、まず Pan が滑走路から走り出した、―ソノ前に Sabena が一台発った― そしたら100mも走らぬうちにプロペラが一つ取れて飛べなくなった。 そのプロペラを除けてしまわなければ滑走路が使えない。 困ったなと思っていたら、流石は国際空港だ、別の滑走路から離陸した。 

ドーバーの上は雲の上、遂に海を見ず雲切れ、海岸が見えた。 所どころに下の見えるとこでは、イギリスの田園は日本と同じよーに、一連の耕地がじつに irregular 、したがって道も irregular という事だった。 また暗い雲の中を抜け、こんどは小さい家が一杯建ちこんだ所を通ーる。 もうすぐ London の空港らしい。 イギリスの家はどんな小さな家でも、家の前と後ろに garden を持っている。これが規格なんだ、これには感心する。 AirPort 着、12.30。 

小川氏は木村氏の自動車で迎えに来てくれていた。 入国、税関ともに freepass 、伊谷は両方とも引っかかった。 伊谷 boston bag 忘れる。 London の center までは非常に遠かった。 
ホテルに着いた、そこで木村氏に別れた。 ホテルはけばけばしくて落ち着きがない。 Nairobi の New Stanrey を上回るものである。 予定を立てるため Birmingam の Chance 氏に電話し、同氏とは London で30日にあうことになった。 今度は Zuckerman に電話したところ、いない。 パリへ行っていると言う。 明日の朝もう一度かけることにした。 
それから小川氏に来ていた手紙を読んだ。 川喜多隊も出発の由。その中、毎日の斎藤さんから電話あり、7時にホテルへこられる由。それまで小川と話していた。 伊谷の紛失物は見つかったので、彼が明日 air port へ取りに行く。 

7時、斎藤氏がフロントヘ来られたので行く。 奥さん同伴。  bar で一休みした後、ホテル向いのレストランへ案内されるた。 
阪大医学部の矢野さんと云う若い人の夫婦と、木原さんのお弟子さんでアメリカからこっちへ来て、もう3年も留学しているというひとが同席。 まず smoked の salmon が出た、これにレモンとコショウを振って食べる。 この smoked salmon は大変美味かった。 次はこ の店の自慢の rosrbeef でこれもこれにかけるソースが一風変わっていて、大根おろしのよーな物だったが、これも美味かった。それから皆でトラファルガーのスクエアーまで歩いて、そこで別れて、ホテルへ帰った。 
このけばけばしいホテルと、昨日まで寝ていた下宿屋の屋根裏の部屋とを比べ、なんだか屋根裏が懐かしいよーな気がした。 毎日相当睡眠を取っているのに、どーも寝不足のよーでいかん。 
今夜も11時40分である。 イギリスで英気を養っておいて、アメリカは一挙に片付けてしまう作戦である。 

5月24日  Gorilla ハ一夫一妻カ一夫多妻カトイウ議論ホド゙ツマラナイモノハナイ。 ・・・・(と始まっているが、その部分は省略します) 
伊谷は空港へ忘れ物を取りに行った。 小川は12時前に電話をかけて来て、もう30分ほどしたらそちらへ行くと言って来た。 小川に朝 Zuckerrman の秘書の所へ電話をしてもらったが、その仔細を聞いておくのを忘れた。 朝飯抜きで、腹がへりビールを部屋まで持って来てもらうように頼んだ。 
小川がやって来たので、一緒に支那飯を食いに行った。 それから帰ったところフロントにちょーど伊谷がいた。 

それから Zoo に行く。 はじめて地下鉄というものに乗った。 zoo は土曜日で大勢の人だ。 Monkey house を見た。 南米のものは少ないが、さすがに良く集めてある。 この zoo は ungulate がとくに集まっているように思った。 それから鳥は Antworp で感心したけれど、ここの方が多い。 Aquarium はこれだけ切り離しても成り立って行くほど整備されている。 Rainbow trout の池に、例のカラコラムで釣ったのが沢山泳いでいた。 それに common trout としてイギリス及びヨーロッパと産地は記されていた。 あまり広くもない zoo だが、随分見ごたえがある。 
今日は朝から寒くて、風が冷たい。 こんな寒さは日本以来初めてである。  Zoo の Zoological Society of London 建物が立っていた。  1830年代の創設である。 動物も戦後に買い入れたものが多いが、こんなことには金を弛まずにかける所が英国の偉いところだろー。 
5時過ぎまで見ていて、それから小川の下宿へ行った。
下宿と言っても下鴨や吉田山辺りの下宿と違って、壁に絵画が3~4枚かけてある。 小川の所で、ジンとウイスキーをカラスミや海苔でよばれた。 そして大興安嶺の話が出た。(ここに出てくる小川武氏は1942年、大興安嶺探検隊の隊員の一人) また、桑原隊の新聞発表を、ここで初めて見た。 

7時半、また地下鉄を利用して Regent Park まで乗り、木村重信の所へお呼ばれに行く。 刺身は鯛だった。 ブドー酒を飲むうち、小川と二人は酔っぱらってしまい、歌を歌ったりして大分騒いだうえ、木村さんにピカデリーまで送ってもらった。 
それから千鳥足で歩いていたら、小川、伊谷とはぐれてしまった。もうよい加減に帰ろーと思い、トラファルガー・スクエアーは何処か聞くのだが、発音が悪くて通じないので、ネルソン、ネルソンと言って、とにかく教えられてトラファルガー・スクエアーまで出て、どーして部屋へ帰り、どーして寝たか、良く分らないが、とのかく朝起きたら、きちんと寝ていた。 
しかし眼鏡がない、木村さんとこに忘れたかと思った。

5月25日  10時まで寝た。 
伊谷と小川は、小川が大分武勇伝を発揮し、結局にホテルで小川は寝て、朝ゴルフに行ったそうだ。 
今日は日曜日で、外へ出ても店は閉まっているだろーと思い、ホテルの中で食った。 2シルから5シル位の軽食が並べられてあって、好きなものを買えばよいのであるが、ひどく不味いものだった。 ビールは5時からだと言うが、ビールを飲んでいる者があるので、一杯飲んだ。 
それから外へ出てテームズ川に架かった橋の上まで行ったが、昨日と同じよーに寒いのでホテルへ引き返した。 それからベッドの上でウトウトしていたが元気を出して、手紙を書きはじめ、絵葉書10枚と封書5通書いた。 
夕食は美味いものを食おうと言うので、下の executive room へ行った。  Scottish Saimon と スープとそれとチキンを食べてビール一杯飲んだら56シリング取られた。

5月26日  小川の方から、明日は9時にホテルへ誘いに行くと、昨日電話がかかっていたので、朝は眠かったが8時に起きた。 
郊外の whipsnad zoological Park へ行くと言うのである。 朝から雨、しかし今日より他に日がないので行く事にする。 朝食はグリルで食った。 このホテルに泊まってから初めての朝食なんだ。ベーコンとフライドエッグとソーセージのついた皿が出た。 朝からこんな物を食うのは、東アフリカ以来だ。 

小川はまだ運転の免状を取ってないので、一緒の下宿にいる OSK の宮崎氏が運転して下さる。 郊外は道端の柵一重隔てて綺麗な shot grass の牧場で牛が所どころに居た。 贅沢な飼い方だ。 
Zoo に来るとやっぱり人は来ている、雨は上がったがやや寒い。 車を中まで入れて一回りした。  Zoo という park だ。 道沿いの民家の庭にも、沿道の森にも、また此処にも、もうマロニエの花が老いてしまったのに対し、hawthom すなわちサンザシが満開である。  白と紅と2種類ある。  zoo ではクジャクが食堂の石垣にとまり、カンガルーが一匹ヒョコヒョコ柵のない所を飛んでいたが、サルとアカゲの檻とテナガの島があるだけだった。 乗馬スボンをはいたお嬢さんが zoo へ来ていると思ったら、それは動物園のお雇いで、子供をのせた pony の手綱を取るのが役目だった。 Zoo のレストランでマトンのロースを食った。 イギリスへ来て初めて食うマトンだが、蒙古の羊にははるかに及ばない。 
帰りの車が混まぬうちに帰ろーと、3時過ぎ zoo を出た。 

小川の下宿により、宮崎氏を交えて茶を飲み、やがてウイスキーになり、帰って手紙を書こうと思っていたが、近所の支那料理へ行こうと言う事になって、6時過ぎ出かけた所、その店は休みだったので、トートー都心まで出た。 
Oxford square の近くでちょっと銀座を思わす。 そこの支那料理に久し振りに、焼き豚を食って美味かった。  fish ball という物も美味かった。 それからホテルまで送ってもらった。 
夜、手紙を5通書いた。 今日歩いてきた郊外といい、zoo といい、よく整っていて綺麗だが、それは白人の女のよーによく整い、綺麗なんだ。 しかしちっとも面白みというものがない。 整って綺麗だ、綺麗に違いないが、近づきがたいものがある。 抱きしめたいよーな気持にはなれない。 小川もそんな事を言っていた。




以下次回へ



            






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