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2010/12/30

AFRICA 1958 (22)

5月27日  朝食後、伊谷はアメリカ行きの飛行機の reserve に Air India へ行った。 小川と連絡し、藤岡氏の住所が分かった。 伊谷はreserve して帰って来た。 
藤岡に電話をかけ、すぐにこれから出かけるから Charing Cross  ―われわれから一番近い駅― から3番目の駅で降りてくれ、北口で待っていると言う。 そこは繁華街でこんな所で待ち合わせるなど、だいたい無茶な話である。 
しばらく街角で待っていたが、伊谷が見つけて来た。 向う側の出口に居たそうだ。 それから支那料理屋へ行った。 一緒に飯を食った。 藤岡氏は貧乏な留学生で、オーバーも預けると金を取られるから持って入れと言う。  
それから University of London の Asiatic institution ヘ行く。 日本の本も沢山ある。 宮本さん?という人がそこにいて、親切にしてくれた。 
Heinendof は今日はいないが、明日の午前中なら居るというので明日もう一度訪ねることにし、 Ford の方へ宮本さんが聞いて message をホテルに送ってくれるよーに頼んだ。 その間に Africa 関係の文献を調べた、1000冊位あるだろー。 その中から新しそーなのを探して数冊ノートしておいた。(伊谷のnote) 
そこを出て taxi を拾って Royal Geographical Society へ行き、すぐ visitor というところに sign しておく。 二階の廊下に Stanley はじめ偉い explorer の肖像画が並べてあった。 
Douglas Freshfield (1845~1934) の肖像が印象をひいた。 彼は人間として、やはり特別に出来の良い男だったと思った。 人間もあれくらいまでなれるものか。 
Library は実に古い本を沢山持っている。 さっき U.of.London で驚いたが、ここはその4倍や5倍は持っている。 
Nepal 報告は Index にあるのに並べてなかった。 藤岡氏が係を呼んで詰問した。 
それから Geological Museum (British Museum) を駈足で見て、すぐ National History Museum に行った。 標本はベルギーの物にくらべ出来が非常に良い。 とにかく建物の壮大なのに押さえられた。 昆虫の標本は勿論、楽屋にわんと仕舞い込んでいるだろーが、一時の参観を許す所にも British Butterfly だの Exotic Butterfly などの標本ダンスが並べてあって、好きなよーに引き出しを引いて見られるよーにしてあるのには感心した。 
魚の所では大きな魚の標本にも感心したが、イギリスの鮭の大きなのには驚いた。 日本のマスよりもずっと variety があって、 parr mark の入っているものも、入っていないものもある。 
数々の標本を見て来ると、こんな museum があったら出かける前に実物で充分勉強出来るのだがと思い、これだけは羨ましかった。イギリスの Natural history の強味はこんな所にあるのだ。 それから bird の陳列を見ている最中に6時になって、電燈を消され追い出しを食った。 
それで South Kenthington の近くでコーヒーを一杯飲んで、地下鉄でホテルへ帰った。 (藤岡氏とは museum で別れた) 
ホテルに帰ると message が来ていた。 
別冊発送(アメリカ向け)を伊谷に頼む。 日記をつけ就床、12.10

5月28日  朝の中に Fuhrer-Heimendorf に会うべく電話をかけ、伊谷はアメリカ送りの reprint を post office へ出しに行った。 3ポンド以上かかったそうだ。 
U.of.London へ行き Heimendorf に会う。 あんな Assam の奥へ入った人間には思えぬ。 柔和な男である。 2月の終わりに第2回目のネパール調査から帰って来たそーだ。 川喜多の tsumuje の仕事は大変高く評価しているらしい。 本の翻訳のことも話しておいた。 
それから昨日行った本屋で本を受け取り、支那飯を食うと言う予定をやめて、ホテルへ帰り Grill で昼飯を食った。 
今度は Darylle Forde に会いに International African Institute ヘ行く。  Forde は朝来るかと思ったと言った。 
彼の Habitat Economy Society に サインしてもらった。 文献は Royal Geographical Society と同じくらい持っていた。 また African Abstract というのを出している。 
Africa も日本人には初めてだが、もう随分調べられているらしい。ここで働いている女性はみな丁寧で親切だった。 
ホテルへ帰ったら4時半だ。 それから小川に電話して日航へ行く。それで伊谷の Air ticket を見せ、アメリカの事を頼んだ。 
Air Line の地図を見せてくれて、初めて分かったが Washington は Boltimore のすぐ近くなんだ。  Washington の位置を知らないと言うのは、恥ずかしいことだった。 
それから地下鉄に乗って伊藤忠へ行く。 そこでは小野さんという若い人が主任で、その人にお眼にかかった、東京の相川、梅本などいう人はみな大阪商大の先輩だと言っていた。
夜は毎日の斎藤さんの所へよばれる事になっていたから、6時半という約束が6時になっていて、ここから遠いと言う事なので、電話をかけようやく斎藤さんの家まで来たら、藤岡氏と塚本さんが既に見えていた。 
そして斎藤さんから、この前 Zurich から大阪の川口さん宛頼んでおいた5万円を受け取った。 
それからブドー酒を一杯やりだした。 肴は奥さん苦心の料理でタラコの炊いたのが珍しかった。 ビールは Carlsberg の du Luxe というのを飲んだがこれは流石に美味いと思った。 その中にダンダン妖しくなってきて、オカマの話が出た。 それからどうやら歌を歌ったらしいが、何を食ったかどーか、帰りにどのよーにして帰り、どーして寝たか、例によって一切覚えていない。 伊谷に聞いたら斎藤さんがホテルまで送って下さったそうである。 
これでロンドンではこの前と、2回酩酊したことになる。 

5月29日  眠いが今日は Oxford へ行く日なので、8時に起きた。雨がシトシト降っている。 
地下鉄は rush hour で満員だ。 汽車に乗り換える。 
郊外はやはり牧場が多く、美しいその間をドロンとして、川原も瀬もない川が流れ、その岸まで木が茂っている。 あんな川に trout はいるまいがpike はいるかも知れぬ。
途中で Reading general という変てこな名前の駅で止まったきりで、Oxford に着き、 Univewsity へ行き Mr.Thinbergenを訪ねたが、今月中留守だと言うので別刷を言づける。 この言づけた男は親切な男で、Thinbergen が留守なら Elton に会いたいと言ったら、電話をかけてくれたけれど、Eltonもおらなかった。 
それで帰ろーとしたら、そんなら博物館でも見て行けと言うので案内される。 大学の動物学教室そのものはゴタゴタとした、古ぼけた汚い建物で日本の大学の方がはるかに立派だ。 
しかし、博物館はこれも古い建物では有るが、大学の中にこんな物があるかと羨ましい。 
イギリスの natural history を育てるに十分な collection だ。  Geology が半分以上占めているが、イギリスでは geology も natural history のなかに、少なくとも地史や古生物はその中にはいっているだろー。 日本の大学は今からでは Museumを持つことが出来ないかもしれぬ。 これは一朝一夕では出来ない仕事だから。ここはとくに鳥の標本がたくさんあった。  Longstaff のような人がここから生まれたのだ。 
Pite-Rivers の Anthropological Collection は午後2時からでないと開かないと言うので大学を出るた。 雨はまだヌカ雨のよーなのが降っていた。 どこか飯を食おうと思ったが、食いもの屋がない。本屋に入って本を一冊買い、やっと coffee という字を見つけて、入る。 レストランもやっていた。 
そこを出て駅へ駆けつけたら、ちょーど汽車の入って来たところだった。 これを外すと大分遅くなると言う。 よいところで catch 出来て良かった。 汽車の中で二人とも居眠りばかりしていた。 
ホテルへ帰ったら4時前だった。 
伊谷は JAL へ行ってもらう。 小川、連絡付かず。 
伊藤忠の小野さんは7時半頃訪ねて来られた。この間行った長城飯店へ行く。 イロイロ商社の話を聞かせてくれる。 店には日本人の party があり、20人も集まっていると言う。 東大の脇村、有沢といった有名な人達がいまロンドンに来ているので、その集まりらしい。 飯店を出てから、しばらく Oxford Circus の辺をぶらつき、地下鉄で帰って来た。 
小川と連絡がついた。 それから11時前に小川から、もう一度電話があって、いま British Cameroon から帰って来た人が放送していると言うので、初めて部屋のラジオにスイッチを入れた。 
そしたら鳥の声、それから人の言葉が聞こえて来た。われわれの聞いたのと良く似ていた。 
11時過ぎから雨がかなりひどく降りだす。 伊谷が日航で shoulder bag を貰って来てくれたので、アフリカを持ち歩いた Air India に暇を出した。

5月30日  Liverpool station まで taxi をとばして、 Cambride 行きの汽車に乗る。 
今日もやはり小雨が降っている。 食堂車へ行って、トーストと tea を取った。 ホテルでは食えないアツアツのトーストで久し振りにトーストが美味いと思った。 
Cambride に着き、また taxi で Grand House Hotel ヘ行く。 しばらく待っていたら Chance が出て来た。 思ったより年取っている。 45位かも知れない。 大変今日は忙しいので今夜泊れ、そしてらゆっくり話が出来ると言うのだが、どーも泊るつもりで来ていない、困った。 Filmを持ってきたと言ったら大変喜んだ。 わしも今日の meeting で film を写すからちょうどよいと言った。 
しばらく考えて泊ることにした。 
それで小川に今日は帰らないと言う電話をかけておいて、ロビーで Chance と話した。 雨がひどくなって来た。 
食堂で1時に昼食をとった後、 Laboratory of psycholog ヘ行く。 良く分らないのだが、 Cambridg Univercity と言っても幾つかの College の集まりで、その college は恐らく20以上もあるだろー。 だから Laboratory of psycholog と言っても、それはどこかの college に属するのだ。 それに町そのものが大学である。 
しかしどの建物も古色蒼然としている。 小さな講義室へ入った。30人か40にん位の部屋だ。 はじめにわれわれの film が写された。しかし sounder が悪いので残念だった。 次に Chance の film が二つ写された。 彼の London zoo における Rhesus monkey ― monkey village における― の film だった。
それから Chance が lecture をやった。 聞きに来ている者には女性が3-4人も交じっていた。 Chance の Lectureが終ってから別のゴチャゴチャした部屋で tea を飲み、それから別の実験室で discussion となった。 そこに鼻の高い、おもしろそーなオッサンの他に若い人が2~3人集まっていたが、socialsolidarity の問題で chance と意見が合わなくなった。 
これは発見である。 彼は Zuckerman 以来の tradition というか ―すくなくとも zoo observation に baseを置いている。 われわれは field oobservation に base を置いている。 この base の違いが暴露したのである。 
Discussion の後で二人の若い人に実験室の案内してもらう。 それから rhesus の飼育室を見せてもらった。人工飼料を与えているのが注目を引いた。 
案内してくれた二人というのは、アメリカから留学している。 それから二人に車に乗せられて、ホテル Garden へも戻ったら Chance がすでにいた。 Garden の前には運河のよーなものがあって、そこで boat を浮かべている人もあり、少し下の方には学生が沢山集まってビールを飲んでいた。 試験がちょーど済んだ所である。 
夕日を浴びながら、そこでシェリーを飲んで食堂に入る。 その前に、二人の学生に今夜われわれが泊るという Cambride Arms Hotel に案内された。 ここは学生会館とか言うとこにあたるのだろー。通された部屋には便所も風呂もついていて、嬉しかった。 

夕食後もう少し Cambrige を見ようと言うので drive に出て、昼間の meeting で挨拶した Prof.O.Zangwill の家を訪れた。 ちょーど今が夕暮れ時であって綺麗だ。 月が出ている。 
この教授は、柔和でこれが英国紳士というものかと思われるた。 長い間が過ぎ、やがて時も過ぎ11時になり、外も真っ暗になったので、帰るべく Prof に挨拶した。 学生がホテルの前まで送り届けてくれた。 そこで Chance と別れ部屋へ帰り bed の中へもぐりこんだ。 
今日もう一つ気になったのは food をどちらが先へとるかで dominance を決めるのは偏りを生ずると言う事である。 伊谷は反対なのだが、この男は自分の高崎の観測のみに頼って他の人のやった事を取り入れない。 学者にはこーいうtypeの学者と、それなら他人の仕事を時には清毒合わせ呑んで、それを結合してゆく type とある。 
彼は高崎にはそんなことはないと言うのだが、現に小豆島では、No.1は No.2 の presenting にあって餌を譲ったこともあり、川村のシカの中にもムツキがキサラギに餌をとられる事がある、それでも leader を退いたことになっていないのだから、 generation のへだたりが NO.1 と No.2 との間にあるときには、こーいう case もあると言う事を知る必要がある。 
おそらく高崎の6匹の leader の間には、そーした generation の開きがないから、そーゆう事は起こらないかもしれないが。

5月31日  汽車は7.45発で、伊谷は汽車に乗るなり寝てしまったが。 この間 Oxford で買った Medawar の本を読んだ。 
London 着、ホテルへ帰って、一休みした所へ小川がやって来た。毎日から来た50ポンドは伊藤忠に頼んでドルに替えてもらうことになり、一緒に出てまず古本屋へ行った。 素晴らしく大きな古本屋なんだが、Fillipi の Ruwenzoi はなかった。 それから小川の office へ行き、そこから歩いてロンドン brige とロンドン塔の見える所へ出て、あとは伊藤忠へ行き小野さんにニューヨーク店の紹介状をもらった。 
昼食に長城飯店へとんで行った。 早起きしたので腹がばかにすいているのだ。 その後小川と別れてホテルへ帰った。 
伊谷は斎藤さんの奥さんに誘われて音楽会を聞きに行った。 まだ手紙を書いたり、荷物を作ったりすることがあるのだが、ちょっと bed に横になる。 
1時間程寝た後で仕事を続け、その中に伊谷も帰って来たので8時過ぎから小川の下宿へ行く。 一杯飲み始めた所へ藤岡謙二郎先生も現れ、大いに賑やかになった。 気が付くと宮崎氏も来ていた。 どれだけ飲んだか知らぬが、それから街に出ようと言う事になる。大分飲んでいて、この辺の事情は良く分らない。 宮崎氏の車で出た事は確かだ。 
・・・・・ 車を拾ってホテルの前で小川と別れたところまでは覚えているが、それから先は、また良く覚えていない。 朝、起きてみると喉がひどく乾いていた。




以下次回へ 


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