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2011/01/08

AFRICA 1958 (24)

6月5日  今日は朝寝した。 9時起床、朝風呂をすまし、昨夜出来なかった金勘定をした。 今のところ一日2人で30ドルでやっている事が分かった。 
10時ごろホテルを出て、coffee shop でコーヒーとドーナツの朝飯を食い、 News Building の20階の毎日を訪ねた。 
大森氏、大田氏がおられ、手紙を受け取る。 大森氏は二三日中に南米へ発たれる由、後の事は若いが内田氏に任しておくと言う事だった。 内田氏はフルブライトの留学生でこっちに来ていたと言うので英語はものすごく達者だ。 
さっそく Anderson に電話してもらった。 それで月曜の10時と言う事になったが、次の Coolidge の所へ Washingtonへ電話したところ、月曜日 New York へ行くから、そちらで会おうと言う事になり、appointment が11時となったので、また Anderson の方へ訂正して、その日の2時にしてもらった。 
しかしこれで New York - Philadelphia - Boltimore - Washington と言うところが上手く調整出来るよーになった。 
それでホテルへ帰って日程表の再編成をやり、昨日のレストランで昼食後、伊藤忠に行く。 ロンドンの小野さんから紹介されていた宮沢さんに会い、87.70$を受け取った。 それから会長の Eikichi Ito 氏に挨拶をして、さらに日航に行く。 
Rockfeller Plaza といってスケート場やら花壇やらのある所ろだった。  
そこで近藤氏に会ってプランを示し、飛行機 reserve と ホテルの reserve との依頼した。 もう6時だった。 それからブラブラ歩いて、途中でレモンスカッシュを一杯飲み、郵便局で葉書を買って帰った。 
ホテルで日程の再検討をやって、9時になり、いつもの Volk という店でビールを飲んだうえ、次の店へ行ったが閉まっていた。 それでその辺にあった焼肉屋に入った。 二人で2.70$位で安いは安いが、その代わり不味い事も甚だしい。 まあ日本ならうどん屋で食っているよーな物だ。 これで予算で言うと、よーやく2$程余っただけなのだ。 アメリカは一切贅沢は出来ぬ。 

6月6日  よく寝られた。 
朝、昨日買った葉書を5枚書いた。 それから出て行って朝飯を食い、毎日に寄って日航に日程の変更を知らし、 taxi で住友へ行く。 次長の下 OKADA 氏が現れ、それから支店長の滝沢氏が現れて各々から$を受け取った。 
Wall 街は金曜日と言うので中々人通りが多い。 ホテルの近くと違って、ここは古いかも知らんが、ガッチリした聳えたる建物が建ち並んでいる。 なんだか渓谷の底を歩いているよーな気がした。 商工会議所の食堂で昼食を呼ばれたうえ、OKADA 氏に地下鉄の乗り場まで送ってもらった。 
ロンドンの地下鉄のよーに familiar ではない。 地下鉄からただちに American Museum of Natural History の地階へ入れるよーになっていた。 
先ずその建物の広大なのに驚く。 British Museum などはだしだ。一階に上がって habitat group  ―有名な― を見た。 随分古いものだろーが、こいつはナカナカの芸術品だ。 Harvard で glass flower に感心したけれど、ここは glass でないだけで、木の葉も花もみな模造品である。 良く出来ているのに驚く。 
それから forest type を示した物があり、アメリカ全土の vegetation を分別けにして、その type を70に区分したのなどは、日本のよーなちっぽけな所に住んでいる者にとって、なにか威圧な感じだ。 魚の標本も大きな鳥の ―多分模型だろー― が沢山あり、やはり泳いでいるよーに宙に釣り下げてあった。 
Informaition へ行って Dr.Schreirla に会いたいと言ったら、そこのオバチャンが電話をかけて、 Secretary が出た。 とても Busy で会えないと言うのだ。 それで Dr.Mead に会いたいと言ったら、やはり secretary が出た。 やはり busy で会えないと言うから、それなら Dr. mead に話したい paper を持って来ているので、あなたに会いたいと言ったら、よーやく上がって来いと言うのだった。 なかなか appointment 無しでは会えないものだ。 
やっと上へあがった。 Exhibition は4階までで、5階以上は museum のいわゆる楽屋裏である。 廊下の両側にはずらっと標本箱が並び、左右の扉に archaeology だの entomology などと書いた表札が下がっている。 
建物も綺麗だし、天井が高く、明るく、やはりアメリカ的であり、この広さは素晴らしい。 Mead は5階でなく6階にいた。 Secretary と言うのはアメリカ嬢にしては愛嬌がある。 隣の部屋で Mead がしきりに電話をかけている。 長い電話だと secretary 嬢が言った。 その声からこいつは相当手強いオババと言う事が分かった。 
やっと通されたら如才なく握手を求めた。 一応要点には触れたが、busy でいずれ Comment は後で書きおくると言った。 それから animal behavior の所へ案内してやると秘書嬢に言い残して出て行った。 秘書嬢は知らぬらしく電話で聞いた。 
また長い廊下を通り、多分別の棟に言ったのであろー。 そこのまた屋根裏のよーな所の奥まったところに小さな人がいて、それが Schreirla だった。 
さっき断ったものだから、盛んに言い訳をした。 別冊をくれた。それからこの animal behavior という branch で仕事をしている人達に会ってゆけと言った。 
彼から baton を受け継いだのは、まずこわい顔をしたドイツ女で、tention の研究でネズミを扱っているのだが、トートーとわれわれの前で一席ぶったが、ついにネズミは一匹も現れなかった。 次は男でアフリカ産の魚を使ってcastration による behavior の変化を調べていた。 それから次には同じよーな castration の実験に使う猫の cage が沢山積まれた部屋に案内された。 その次は魚の schooling の研究をしていると言った。 
今日は陳列も見ていないし、とにかくもう一度来る事にして ―火曜日は busy で月曜なら暇だと言う― 月曜に Anderson と会った後で film を見せることにした。 
女に喋りまくられてボオーット地下鉄に出た。 すぐに地下鉄に乗らないで、上へ出て道端のベンチで煙草を吸った。 
なんと豪勢な museum だろー。 国力の差だからこれは到底敵わない。 しかもいま出来たものでなく、すでに何十年も前からそうなんだ。 こんな国と戦争をよくしたもんだ。 しまいに負かされるに決まっていたのだ。 ハーバードだって300年の歴史を持っていると言うから、敵わない。 
42nd street で降りて、近くでビールを一杯ひっかけて、ブラブラ歩いてホテルまで帰った。 
9時なって今朝毎日の大田さんから教わった北京飯店へ飯を食いに行った。 ここはナカナカ上等出で、しかし良く流行っている。 この間のケンブリッジの大象飯店のよーなわけには行かない。 pickleを取っても1ドル取られた。 払いはチップも合わせて8ドル、しかし今日は昼を御馳走になっているので、予算から言うと7ドル余った。 
一昨日からアイシャツ、アイズボン、朝夕はまだこれでは涼しすぎる。 シュネイらの1956年の instinct 論を少し読んで寝た。

6月7日  今日もえらく朝寝した。 起きたのは9時だった。 10時過ぎ朝食を食いに行く。 その前に宮沢氏から11時15分にホテルへ行くと言う電話があったのだ。 朝食をいつも食いに行く coffee shope も今日は土曜日でガラスキだ。 
それから毎日に行ったら大田さんが来ておられた。 最近の新聞を読んでいたら、深田隊がシェガール・ヒマラヤでいよいよ base comp を造ったという記事(深田の通信)が出ていた。 もちろん朝日にである。 また毎日には中尾がいよいよブータンへ入ることが確定したという記事が載っていた。 
空はすっきり晴れて、少し寒い風が吹いている。 毎日を出たところで伊谷に会った。 宮沢さんが迎えに来ておられると言う。 
それから同氏の車で Bronx へ向う。 Manhattan を出て、 Harem 河の橋を渡る。 橋の向こうは黒人街だそーで、日本人が一人殺されたと言う噂だった。 Yankee sadium の横を通る。 野球はやはり人気があり、決勝戦の日はえらい人は見に行き、そーでない者は休んでテレビを見、小僧といえども会社へラジオをさげて来て、仕事しないという。 
New york を出て、木の多い、芝の多い住宅街を走り、芝生の上に椅子を出して日光浴をしている者、マリ投げをしている者などがいる。 道で宮沢氏のお宅の前に寄り。 奥さんと菜子ちゃんという4才の女の子を pick up した。 
宮沢氏は土日と休みがあっても、日本の商社は一日しか休まない人が多いと言う。 これは日本の商社の利潤が少ない、こちらの商社の利潤の半分ぐらいらしい。 それで人間を減らし、一人当たりの仕事が偏重になる。 その原因は商社同士の競争からだと言った。Bronx植物園の横を通ーって、動物園に来た。 車を止めるのに50セント取られるだけで入園出来る。 歩いてくれば一人20セントだそーである。 
入った所はラマ、エルク、ゾー、カバ、ピグミー、ヒップ、等がいた。 事務所に伊藤忠にいま働いていて、もと zoo に勤めていたと言う若い男がいて、それが連絡しておいてくれたので事務所を訪ねると、フーシェ というオッサンガ出て来た。 このオッサンとても気の良く、よく笑うオッサンで、まずは剥製標本室に入っているサルを見せてくれ、それから ope のcage を案内してくれた。 上野の system だった。 
♀の Lowland gorilla 18才、 Orange utang の♀大きいのも出ていた。 子供の chimp を見た。 Mountain gorilla の若い♀と Lowland gorilla の若い♂とが一緒にしてあった。 
それから Children,s zoo へ行ったが、平凡なものばかり。 ブタの子供が3匹入れてあったりした。 これはみな子供の物語に「3匹の子ブタ」といったものがあって、そーした動物を集めたものである。 フーシェ氏は、それから lunch をおごってくれた。 
それから更にフーシェ 氏に案内されて hospital に行った。 病気の物に限らず新到着の動物は10日ほどここに入れておくのだと言う。 フーシェ氏に別れてから、まだ見てない方へ歩いて行った。 随分広くてくたびれた、なにしろ400エイカーあるのだ。 くたびれて日本なら茶店に当たる所で休む。 ここは coffee teria なので注文聞きが来ないから、ただ休んでもよい。 
しかし動物園の bench という bench は休んでいる人で一杯だ。 おーむね40才以上の男女である。 若女が4~5人芝生の上で弁当を食っている者もあり、毛布をしいてひ膝の上に盤を広げてチェスをしている若い夫婦者らしい者もいた。 乳母車に子供を乗せて押して歩いている子連れも随分多い。 また黒人に随分合った。 学校の先生に引率された子供も大分いた。 
トートー出口まで来て車に乗った。 宮沢氏の家で飯を食えと奥さんに言われた。 奥さんが途中から運転して買物に行くのに一緒に乗せられて行く。 靴なおしの店の前で止まったので、伊谷が靴をなおした。 奥さんの買物が終って、もと来た道を帰る。 そのときわれわれの間に座っていた菜子ちゃんが、ママの door が look してないと注意した。 4才の子供にこんな注意が出来るのかと甚だ感心した。 
家はアパートで下にも伊藤忠の人が住んでいるそーだ。 
日本茶をよばれたのは嬉しかった。 靴を脱げと言われて脱いだが、靴下が臭うのでがっかりした。 テレビを見ているうちに奥さんの手料理が出来た。 
宮沢氏は酒を飲まないので、われわれ二人がビールをよばれた。 買って来られた魚はスズキの類だろーが、その刺身とうしおは大変おいしかった。 また鮭の塩焼きでご飯を3杯よばれた。 
下の人達もご飯を頼んできたので奥さんがこしらえている。 その人達は奥さんがいないか、連れて来られない人達だ。 
食後に水瓜が出たが、これは日本とあまり変らぬ味で、アメリカ式大味ではなかった。 
それからまたテレビを見ている中に9時過ぎ、9時35分の汽車があると言うので、それに乗るべく駅まで奥さん、菜子ちゃんも同乗して送ってもらう。 
駅と言っても駅員一人おらぬ寂しい駅で、 New York と違いいかにも郊外の田舎と言う感じだった。 汽車はイロイロの人が乗っていた。 やがて New York の燈が輝きだし、地下にもぐって、grad central に着いた。 10時過ぎだった。 
ホテルに10時半ごろ帰り、日記をつけ、一風呂浴びて、12時過ぎ就床。 

6月8日  今日はローマの休日ならぬ、New York の休日で、一日どこへも行かずに手紙書きをした。 伊谷は Brooklyn Zoo と American Museum へ行った。 
Maid のオバチャンが2度戸を叩いたがけれど、 邪魔くさいからほっておいたら、3度目にガンガン叩いたので、仕方なく部屋を開けた。 怒っていた。 
午前中葉書を合わせて6通の手紙を書いた。 10時に出て、post office へ手紙入れに行った。 昨日と違って空が曇り、風が吹いている。 大部分は閉まっていたが、post box が自動式になっていて、金をほり込んで手紙を入れればよいよーになっていた。 こまかい金を作りに前のレストランへ入った。 その前に barで beer (一杯15セント)を飲んで来ている。 Office に立っているオッサンが親切にやってくれた。 それからその辺のレストランで shrimps のフライを取ったが不味かった。 
ホテルへ帰って、しばらくまどろんだ後、また手紙を書きだし、7通書いた。 どこから来たか珍しくも一匹の家蠅が部屋の中へ迷い込んで来た。 
夜は近くの bar で労働者の食うよーな、ハンバーガーのよーな物を取って、ビールを頼んだ。 ローストビーフを挟んだもので、これは注文によりなんでも挟んでくれる。 ザウエルクラフトも食ってみたが酸っぱすぎる。 他にトーガラシとピクルスがあった。 
伊谷はまだサルの Homo sexual にこだわって、からんで来た。 いったい4カ月も一緒に旅行して、はじめて分かったのだが・・・、 
 ・・・ココデ、コレカラ先生オコ小言ガアルガ省略・・・・




以下次回へ


 

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