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2011/01/11

AFRICA 1958 (25)

6月9日  今日はいよいよ Coolidge と Anderson に会う。 
これはいわば America へわれわれの来ている一番の山場である。 
朝から雨が降っている。 朝食後毎日へ行き、内田氏の応援を求めた。 
Coolidge とはわれわれだけで会うべく Harvard club へ約束の11時に行く。 日本でいえば学士会館のよーなものだ。 しばらく待っていた後、Coolidge 外から帰って来た。 
Smart な Harvard boy でなくて、どこか野趣が漂っている。 英語は分かりやすい。 しばらく話しているうち、いつアフリカへ行くのかと聞いたら、どーして知っているのだと言う。 
川村から知らして来ていると言ったら笑って、その話は飯の時にしよーと言った。 
食堂で昼食をよばれたが、やっぱり mountain gorilla をやるらしい。 その arrange に彼は近々出掛けるよーだ。 日本から参加出来ないかと聞いたら、参加の条件は、best quality の人間を出す事。 アフリカ往復の軽費を JMC で払うことだと言うから、それは出来るだろーと言っておいた。 
Bronx へ是非もう一度行けと勧められるので、断り切れず明日行く事にした。 Anderson とは会見が午後2時なので、Coolidge に電話をかけてもらって、taxi で内田氏を誘いに行き、そのまま Rockfeller
Foundation へ行った。 55階である。 
Anderson に会った。 思いだしたが彼は昨年の秋 Prof.Ashida の部屋で会ったことがある男だ。 インドの事を決めるため全権大使として乗り込み、またそのため通訳に内田氏を頼んだのであったが、会ってみると、その問題は既に Mr.Trapido に任せてある。 
Trapido は日本へ来る日を延ばせないか、それは延ばせない、と言う事になってこの問題は最早われわれが touch 出来ない、日本での問題になってしまった。 
それからそこを出て taxi で American Museum of Mational History へ行き、Schneirla のところで、film の上映だ。 講義室に15人ほど集まっていた。 この間のネズミの実験についてトートーと一席ぶった、眼の鋭いオバチャンが紹介の労をとり、写し出したがトーキーが上手く入らなぬ、やっと上手く行くよーになった。 あとで割りあい活発な質問が出た。 
帰りは地下鉄の停車場から歩いてホテルへ帰った。 Office の引けどきで沢山の人が歩いている。 夕日を浴びて42丁目を歩いていたら、いやに暑かった。 
一休みの後、毎日を訪ねる。 一人知らぬ記者がいる、名乗りを上げたら、これなん本田紀男社長の御子息医学博士本田一二氏だった。僕が日本料理が食いたいと言ったら、日本人クラブへ連れて行ってくれた。 今日はなんとかいうピアニストの演奏会があるというので、食堂は大変こんでいた。 定食はスズキの刺身にサバと豆腐のたいたのや、トンカツが出た。 安物の定食と言った感じだった。 大田、本田両氏は酒を飲まない。 ビールを2本飲んだ。 
それから下のバーへ行って、ジョニーウォーカー黒を飲んだ。 不埒な留学生がいるようだ。 ここの空気はとにかく面白くない。 アメリカに来れば、もっとアメリカを学んだらどんなものだろー。 留学生と言っても、来てもらいたいよーなのは、ちっとも来ていない。 道楽子女が、つてを求め、ヤミドルで来ているのが多いと言う。 しかし今は全米で3000人も留学生がいると聞いて驚いた。 あまり空気の面白くない日本人クラブを出た。 
4人で ―大田さんは早く帰った― Times square へ出た。 なるほどここはニューヨーク随一の繁華街で享楽街である。 内田氏の女性に関する話は大変面白かった。 本田氏も中々話せる男で、社長の息子だけあってノンビリしている。 もう1時になっているので、ここで別れてホテルへ帰った。 
ホテルの辺りは、もうこの時間になると、まるで寂しい。

6月10日  今日は伊谷に Bronx へ行ってもらい、こちらは Zuckman に会うつもりで、朝9時過ぎに内田氏の所へ電話して、面会の appointment を頼もーと思い、 address を言うと、 Syraceus と言うのは Washigton より遠いという、それでこの方を断念して、Bronx へ行こうかと思っていたら、今度は Bronx の方から今日は残念ながら trouble があって面会出来ないと電話がかかって来た。 
それから朝食に出て、いつもの coffee shop で朝食をすまし、ここの2階にある hair cut で散髪した。 
ホテルへ帰って、Madison の Shaller  ―これが2年前へから gorilla project を National Academyof Science に出している男だが― に手紙を書き、同時に昨日の会見の結果を、宮路、河合両氏に知らせる手紙を書いた。
今日もうっとおしい天気で小雨が時々降っている。 昼食に出る、毎日に寄った。 それからその向いの、日本人の経営しているというレストランへ入る。 本田氏がいた。 ライスカレーを食った。 食後、本田氏に案内されて国連を見に行く。 その国づつに案内のgirl が付き、日本人の案内 girl もいる。 国連も今のところはこれなら、つぶれそーもない。 
国連を出て、JAL へ行く。近藤氏から ticket を受け取る。 新しい cicket が綴られ、もうもとの Air India の ticket は捨ててもよいそーだ。 それと共に、あの Air India のバンコックまで一緒だった air girl の記憶も消えて行くことだろー。 
5th Avenew を歩いてバスに乗り10丁目まで行って Barnes and Nobles と言う本屋に入る。 新本も売っていて、Physic and Delinquency を買った。 伊谷は動物園へ行くと言うので別れて、またバスに乗る、 rush hour で一杯である。 42 street で降りて、歩いて帰る。 
6時に実験動物商の松方氏来る、一緒にフィンランド料理を食いに行く。 雨もよいで街の高いビルディングの上の方がガスに包まれ、まるで山を見ているよーだ。 51丁目辺りを折れたに、そのレストランがあるのだが、今日は閉めていた。 それでストックホルム料理へ行った。 満員でしばらく待ってからテーブルに座る。 沢山並べられてある御馳走を自分で取りに行き、何べん取って来てもよいと言う。 エビ、魚、肉などイロイロあったが、 スズコがあったことが何よりも有難かった。 
9時に毎日で内田、大田両氏に会い、今晩は昨夜の続きで約束になっていたので、松方氏に毎日まで送ってもらい、そこで松方、伊谷と別れて20階へ上がって見ると、張り紙あり。 
国連の安全保障委員会が長引いているので今西先生よ、ホテルでまっていてください。内田とある。 
仕方ないからホテルへ帰って、昨日買って来た本を読む。 もう12時近くなったので、今夜の事はあきらめて、ベッドに入った。 うつうつとしたところへ電話のベルが鳴って、内田氏いまホテルの玄関に来ていると言う。 
しかしもう今から出掛ける気もないし、 ―明日の朝は比較的早く起きねばならないし・・― それで大いに残念だ、すべて国連が悪いのだ、と言うことにして電話を切った。

6月11日 今日は出発なので早起きした。  8時前にいつもの coffee shop へ行く。 今日もビルの高い所は雲がかかっている。9.30出発が1時間送れるとA.A から message があったそーだ。 
大きなバスで空港へ、このあいだ通っただろーが、この間は夢中で通ってしまった。 国際空港の一番隅っこの方でバスを降りた。 案内の bus gairl おらず、不親切だ、国内線だからだろー。 他の人についていったが A.A が2台いて、遠い方だと教えられた。 Air girl は愛想よく、How are you ? と言う。 
10.30に飛行機は動き出したが、どーいうわけか前に飛行機がつかえている。 5~6台もいる、順番を待ってやっと飛び立ったが、このため1時間待たされた。 
飛び立ったのはもう11.30だった。 すぐ上に昇り、朝日が窓から差し込んでいる。 雲がなくなり、はじめ海岸が見え、それから何かわからぬ、海岸沿いの bush land のよーなものが光っていた。 だんだん畑、人家、道路網が見え出し、Philadelphia に着く。 
腹がへった。 Bus sorvice はないと言うので taxi に乗る。 ホテルは町のど真ん中の、目抜きの所にある立派なホテルだが、部屋は5.5ドルで、Tudor の6ドルに劣る。 Tudor の部屋は狭かったが快適だった。 窓が2つもあった。 ここは窓は1つ、それを開けても建物の壁だ。 Bath は無くてシャワーだ。 昼飯はホテルの launge で cold beef を取って食った、一皿2$だ。 
それから taxi で University Museum に Coon を訪ねたが、休み時でいなかった。 Museum には沢山の人が来ている。 その Hall へ入って行ったら、菓子とオレンジジュースが出ている。 なんだろーと思ったら、今日卒業式が朝あって、なにかそれに関する催しらしく、学生だけでなく父兄も来ているらしかった。 この museum は archeology と ethnology で、随分良く集めてあるが、猫に小判だった。 Hallowell も家へ帰っていると言うので、自宅へ電話してもらったが、疲れているから面会出来ないと言う、appointment を取ってないから仕方がない。 バスで帰る。 
バスの中は恐ろしく暑い。 今日は大体暑いところへレインコートを着ているから、額に汗が滲みだし、終いに身体全体が汗ばんできた。 
Broad street で降り、一杯 orange juice を飲んで、小雨降る中をホテルに帰り、シャワーを浴びる。 
松方氏が訪ねて来た。 下へおりて行くと伊谷と二人で明日行くという University Park の所在を調べているところ、300マイルも離れていると言う。 これはえらいことになった。 しかし朝の汽車に乗って、夜帰って来られぬこともない、往復6時間汽車に乗らねばならないが。 
それで松方氏に朝、電話をしてもらうように頼む。 それから chaina town へ支那飯を食いにブラブラ出掛けた。 支那料理はロンドンのよーには美味くなかった。 料理屋は何軒もあった。 またブラブラ歩いてホテルまで帰ったが、もう一杯酒を飲みに出かけ、近所の bar でビールを一杯ひっかけて、松方氏と別れた。 
12時就床。 道を歩いていたら、「今日は」と言葉をかけられた。振り向いて会釈したが、きっと日本へ進駐していた男だろー。 ホテルの shower のカーテンに何故ビニールを使わないのか不思議である。

6月12日  朝食抜きで Philaderlphia の北停車場に向う。 
ホテルの通りを真っ直ぐに行けば良いのだが、途中迂回して行く。その辺りは黒人の town らしく、黒人学生が沢山通っている。 
汽車は満員で、食堂へ入って朝食をとり、帰って来たら席が一つあった。 
途中で空いたので席を変わったが、そこの窓ガラスが曇っていて、景色が見えない、窓外の景色はロンドンからケンブリッジへ行く時のよーに、広々とした田園風景だ。 New York とはおよそ違う。 途中で何川だか大きな川を渡る。 水はどちらに流れているか、はっきりしない。 
Lewistown という所で降りる。 迎いの車は来ていないが、state college 行きのバスというのが待っていたので、それに乗る。 
やがて town を離れ渓流の傍を走る。 両の 丘 というか山というか、それは広葉樹で一面に覆われている。 この林の中に deer 、bear 等がいるそーだ。 そーした山の峠を越えた、丘陵の続いた広々とした蒙古的な処へ入る。 山の木は伐ってないし、谷間も全部は開墾してない。 すこぶるのんびりしている。 
1時間程してcollage のある university park に着く。 
Carpenter が bus terminal までやって来てくれていた。 Chance とどこか似ている。 とにかく食事だ。 Carpenter がおごってくれた。 
それから持ってきた film をその近くのある大学のものだろー。 Film を取り扱う所で写した。 それから campus へ案内された。学生集会場のよーな所に、学生の書いた絵が並べてあった。 それから大学の symbol である中央ホールを見て、 Carpenter のいる office へ行き別刷をもらい、その建物 ―それは education である―  の中にある vision and auditory education の一室で、Carpenter の Rhesus 2巻とテナガ1巻を拝見する。 
終って彼の home まで車で連れて行ってもらった。 彼の家というのは森の中に建ててある。 これは自然のままでシカが遊びに来ると言った。 Mrs.Carpenter と共に Cold tea をよばれ、バスの来るところまで送ってもらった。 
3日は居なければ駄目だと彼は言った。 あの川には魚がいるのかと聞いたら、いるとも trout がいて、ここは fisherman,s paradice だと言う、残念である。 
Gorilla exp. には彼も発言権があるらしく、いま要求している連中はサルには素人なんだと言った。 
彼と別れ、またバスで長閑な America の田園風景を堪能しつつ駅に戻る。 駅のすぐ横手に中谷宇吉郎のウツギが白く咲いていた。 汽車はえらく延着、50分も待たされる。 やはり私鉄より日本の鉄道省の方が良い。 10.30、30丁目の Philadelphia 駅に着いた。 Broud way まで taxi に乗り、ビールを一杯飲んだうえ、何か食うところを探したがない。 結局さっきビールを飲んだ家の横手のレストランへ入って、ビフテキのつもりで注文したのがジャーマンステーキだった。 12時過ぎてからホテルに帰る。 
12時50、就床。




以下次回へ







 
    

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