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2011/01/16

AFRICA 1958 (26)

6月13日  Philadelphia の空港へ行き Delta Airline に荷物をあづけて、空港の coffee shopu で朝食。 飛行機はしばらく待っていたが、そのまま黙って乗りに行っても良いことが分かった。 
Air girl は二人とも素晴らしい八頭身で綺麗だ。 飛行機が出るとアナウンスするが、アナウンスの前に二人で合唱する。 こんなのはまだ経験していない。 First class ばかりの飛行機で綺麗だが客は5~6名も乗っていない。 この飛行機がワシントンからアトランタ・ダラスへ行くのである。 
ワシントンまで40分。 空港から taxi で着いたのは two bed で bath つき、聞けば10ドルもする部屋だった、これではたまらない。 さっそく毎日へ行ったが、戸が開いていないので、次には大使館を訪ね、石坂氏に会う。 毎日への連絡と Coolidge への連絡を頼んだ。 
それから近くの coffee shop で飯にすべく、聞いて行ったが、随分遠ーかった。 そこへ入ってスープを頼んだら、それはカンズメのスープを開けて、温めるのである。 
そこを出てもう一度大使館へ帰ったら、毎日と連絡がついたと言うので、出掛ける。 
関口氏がおられ、つづいて村松氏が入ってこられた。 関口氏に頼み、まず prof.Straus との面会を押さえてもらう。 われわれの仕事に大へん興味を持っているので、会えなくて残念だが、またいらっしゃいとの事。 こちらも Straus は Boules さんからの紹介だから、会わないのは、大変心苦しかったが仕方がない。 
Coolidge は3時に office へ帰ると言うので、また関口氏に電話してもらい、Wilson 氏に会うべきかどうか聞いてもらったら、会えと言ったので、さっそくtaxi で行く。 
すぐ傍だった、会って見ると Carpenter から電話があったと言う。 やはりほかしておく訳にはゆかなかった。 しかし Gorilla expedition については、Wisconsin project に、われわれが participate するかどーかについては Coolidge に橋渡ししてもらって Elmen との間で決めたらよい。 ただしここの Fund は外国の仕事は助けないから、行きたいものはこちらに留学すると言うのも一案だろーと言った。 
そんなことで Wilson との会見はもう一つ要領を得なかった。
それからホテルまでブラブラ歩いて帰った。 もの凄く蒸し暑く bangkok の暑さを思い出した。 ホテルへ帰ってしばらくベットに横になっていた。 部屋は冷房されているので、こうしていると生きかえってくる。 それから bath を浴び、 Emory university に手紙を書き、9時過ぎ食事に出る。 
まず近い bar でビールを飲んでから、スキヤキと看板の出た家へ入ってみた。 ここは支那人の経営だが、出て来た waiter はハワイ生まれの二世だった。 ブタと豆腐の煮込みが大へんうまかった。 それからエビの入ったフライドライスもうまかった。 しかし値段は随分高い、7ドル払って出た。 ビールをここでも2本飲んだ。
部屋へ帰ってベットの上でうたた寝していたが、気が付いたら12時で、もう何もせずに bed にもぐり込んだ。

6月14日  朝9時に Mr.Hill が来る、朝食もとらずに下へ下りて面会した。 松方とはこの間会ったらしい。 
実験動物に関する全米の書記長のようなことをしているらしい。インドから Rhrsus が入らなくなってた為、非常に困っていて、何か自給体制を作ろーとしているので、われわれに会ってJMC の話を聞こーというらしかった。 
その中に National zoo の director の Read が車をもって迎えに来てくれた。 Zoo ヘ行く。 今日は昨日とうって違って、どこにも雲は無い、爽やかな天気だ。 
ここの zoo はとにかく森林動物園と言いたいぐらい、木が良く茂っている。 そのくせどこもみな道は舗装してあって車で通れるよーになり、中に交通巡査が立っているところもある。 
はじめに鳥の所へ案内された。 大きな cage に木が取り込み、ワシのいる cage などは岸壁はそっくり、そこから滝が落ちていると言う凝り方だ。 それからゾーやハイソンやエランドを見た。 
エランドもゴリラもここで繁殖している。 Pigmy Hippo も沢山子を産み、それは皆交換にだされるそーだ。 
Primate pathologicl と言う若い Dr が現れ一緒に回る。 Okapi を見て、それから monkey house に行く。 種類はここが一番沢山あると、伊谷は言っていた。 Gorilla は lowland だった。 
前後に Gibbon を見て、カフェテリア で Coolidge 、前 director の Maum 夫妻と一緒に昼食をとる。 
それから office で film と colorer slide を写して、Reed や Maum と別れ、Coolidge の車で、Washington の名所見物。 Geoge washington の memorial monument や Jaffason のそれ、 white house。 Bridge を渡って、ペンタゴンなどを見たうえ、Library of Congress の Anex、 Japanese section まで、わざわざ Cooledge が送ってくれ、そこで Mr.Harwood に引きわたしてくれた。 
図書館の中から外へ出て、木陰で一服し、そこから Street car に乗って毎日へ行ったけれど、村松氏はいなかったので、そこから歩いてホテルまで帰る。 村松氏と連絡つき、同氏ホテルへ現れたが、一方で Evening star という夕刊新聞から interview に来ると言うので下の bar へ下りてそ、こで会った。 
それから村松氏に連れられて、魚を食わせる店に行き、白ブドーでハマグリのカクテルと sole のフライを御馳走になったが、これは正直なところ、ハマグリのカクテルはカキのカクテルに及ばざること遠く、sole のフライはエビのフライに及ばざること遠いものがあった。 
歩いてホテルまで帰り、部屋でちょっと休んだ後、村松氏と別れた。 Harwood はだいぶ老けた、もう孫が出来たと言う。 
Street car はバスと電車の中間のよーなもので、バスよりも感じが良かった。 電線は地下に埋めてあると言う。 食事中、村松氏から人種問題についていろいろ聞いた。 
Coolidge は Gorilla expedition について Elmenn に連絡してくれるらしい。 Kisoro の gorillaについて、若干 information を彼に提供しておいた。 彼は8月に Congo へ行くらしい。 Expedition は next winter と言った。 
Coolidge は実に気取らぬ男だ。 伊谷は少し疲れている様子だ。 もう少し酒を飲みたい気持だけれど、朝9時に飛行機が出るので、bath にも入らず就床11時。

6月15日  出発の用意が出来たところへ伊谷が誘いに来た。 
空港で朝食をすまし、飛行機に乗る。 Capital airline である。 
すぐ雲の上、それから耕地の上、一筆の耕地は思ったよりも小さい。 農家は密集せずにバラバラである。 10.50着。 Detroit かと思ったが、ここは Cleveland だった。 
ここで East time を West time に直して1時間時計を遅らす。それから Erie 湖の上を飛んで10.40 今度はほんとうの Detroit に着いた。ここで Detroit へ行くのをやめて Ann Arbor に向う。 まず taxi で Greyfound bus の staition まで、そこから bus に乗って Ann Arbor 。 また taxi で Michigan Union を訪ねたが、Sahlin は message を置いておいてくれない。 
そこで運チャンに、どこかよいホテルへ連れて行けと言ったら、運チャンは車に備えてある shot wave で office と電話して、 Hotel Allenel というのに連れて行ってくれた。 bath はないが shower のついた5ドルの部屋に入る。 
今日は日曜だし、する事がない。 出掛けて行って bar でビールを飲み、隣の食堂でアメリカへ来てはじめてビフテキを食った(swiss steak1.00$)、コンビーフのビフテキといった味だった。 それから帰って午睡。 ここは天気晴朗で、涼しい。 それから bed の上で Forde を読み、夜はまた bar へ行く。 
昼間入った食堂は、もう閉めていた ―9時― ので、もう少し先まで歩いて、そこでロースト・ダックを食った(1.50$)。

6月16日  9時過ぎホテルを出て朝食をすまし University へ行く。まず Bordim 氏を訪ねた、 Psychological clinic を訪ねる。 看板は出ているが普通の家だ。女の子が一人 desk にいた。 Bordin は本部の地下にいると聞いてそこへ戻った。 
しかし vacation で旅行中との事、別冊を置いて、こんどは Institute of Human Biology を訪ねた。 ここに Spuhle rがいるはずが、しかし彼も別の所にいると言われて、別棟の Physical anthropology の Laboratory に彼を目にした。 手紙をだしたSahlin も直ぐここへ来ると言う。 そこへ現れたのは良く聞いてみると Beardley 氏だった。 向こうは覚えていた。 そこへ Sahlins も来た。 彼の住所が変わっていたので手紙が着かなかったのである。 
それからビアズレ―氏に連れられて、本部の図書館の Center of Japanese などを案内された。 Film は明日の午後に写す事になった。 ミシガンセンターのカフェテリアは行列だったので、そこから出てホテルで昼食を食った。 
それからビアズレ―氏と別れて、芝生でしばらく休んだ後、もう一度 Spuhler を訪ね、今度出すと言う本の原稿を借りて、彼の車で Departmentof Anthology へ行った。 Leslie White はいなかった。 それから学生用の所らしく建った Library へ案内され、そこで別れて、われわれはここで原稿読みをする。 
その前に車の中から AACK の鈴木の歩いている姿を見つけ、声をかけた。 そしてホテルで会う約束をしたので、5時になって図書館を出て、ぶらぶら歩いてホテルへ帰ったところ、鈴木がちょーど来るところだった。 
ところでここには内田■■■の息子が来ていて、会いたいと言っていると言う、そこへ電話がかかって来たので晩飯をよばれることになって、まず鈴木と伊谷と3人で近所のbar へビールを飲みに行き、それから内田氏が迎いに来たので同氏の車で同氏の apart へ行った。奥さんはきりりとしていてショートパンツで天ぷらを揚げた。 スイス人が一人同席した。 腹具合があまりうまくなかった。 車で送ってもらいホテルへ帰った。 
日本人にはこの他に Spuhler のところで、日本から human genetics をやりに来ている人2人会った。 
大へん忙しい日だったが、環境が静かなせいかあまりくたびれなかった。 それに天候が昨日に劣らず良いので、誠にすがすがしい。Mark して来た Sahlinsの paper は全くお座なりで、学生の卒業論文程度のものだったのは、予期しないわけではないが、すこぶる物足りない。 伊谷に読ました Harcott のものも、つまらないそーである。 大いに他流試合をやるつもりで来たけれど、みんな長袖で bookish な仕事に過ぎない。 
Field の体験で、汗であがなった仕事じゃないのだ。 アメリカは応用面では金にあかして進んでいるけれども、概論は駄目だといわれる。 また根のいる observation なんか、―ノートと双眼鏡だけの mettod なんか―、やはり今のアメリカでは育たないのだ。 
Gorilla も gorilla だけれど、われわれは今までの、あるいはこれからも、ニホンザルの研究で、彼らの鼻をあかさねばならない。 
彼らに何が負けているかと言えば、英語の能力だけなんだ。 これからどーしても英語で書いて、大いに奴らを押さえるのだ。 もうその時期に来ているのだと思った。 

6月17日  ちょっと朝寝して、まだ寝間着の時に、伊谷が訪ねて来た。 9時まで一人でいつもの coffee shop で朝飯(36セント)をすまし、それから Sahins の review を書く。 
書いているうちに maide が部屋の掃除に来た。 昼に約束があるので Michigan Univ に行き、そこで Dep.of Humangeutics の Dr.Janses、V.Neel、及び日本人3氏と一緒に食事した後、 Prof.Spuhler の研究室でわれわれの firm を写すため Mr.Sahlins の車で行く。 
車中 Sahlins と discuss したが、彼は頑強に抵抗した。 Film を写した後 Sahlins に書いて来た comment を読んで聞かせた、わりあい大人しく聞いてくれた。 
それから何だか mouse(こちらの特産品らしい)の一種の strain が飼われているところを見に行った。 クルクル回転ばかりしているもの、ジャラジャラとぶる下がったkey が鳴ると慌てふためいてしまって硬直してしまうもの、刺激を受けるとテンカンを起こすものなどを見た。 
それからホテルへ帰り、今日書いた comment を Spuhler に渡すべく清書をしているところへ、伊谷が鈴木を連れて来たので、しばらく待ってもらった後、一緒に出掛けてビールを飲み、鈴木と別れて待っていると Spuhler が迎えに来てくれた。 
奥さんが運転した車に乗せられて、―この奥さん40ぐらいで、なんだかわりあい無邪気で、良い奥さんだ― ■■氏の住まいへ行った。其処には Prof.Neel の他に2~3人こちらの人も来ていた。 そのうちの一人は日本人を嫁さんにしていることが分かった。 ここで日本酒が出て、肴は焼豚、オリーブで久し振りに日本酒をだいぶよばれた。 
Spuhler が隣に座っていたので、大分気炎をあげた。 昼会った3人の日本人は皆顔をそろへていた。 Prof.Neel は trout fishing が好きだと言うので、しばらく彼と話した。 この9月に日本へ来ると言う。 Spuhler も来年2月に来ると言う。 
11時頃散会になり、また Spuhler 夫妻の車で送ってもらう。 この Spuhler と言うオッサンは実にのんびりした良い男だ。 こんな男がアメリカ人の全部だったら日本もアメリカと戦争しなかったであろう。 
それからもう一度 bar へ行ってビールを飲み、12時半就床。




以下次回へ


 
     

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