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2011/01/20

AFRICA 1958 (27)

6月18日  朝食前に、この間から書こうと思っていたロンドンの小川宛の手紙を書いた。  
10時半に Spuhler の Laboratory へ行く。 彼の奥さんが車をもって迎えに来てくれた。 それから町を出て大学の arboretum から向こうに north campus の見えるところで一休み。 
そこを出て川沿いになる、釣竿を持った連中が何人もいる。 Perch、carp、bass が釣れると言う。 Spuhler はこの辺は oak-hickory だと言った。 City park の横を通ーる。 Michigan も氷期に氷りに覆われていたので、土地は rolling している。 郊外を一周して、Spuhlerの家へより、 Lunch をよばれる。 
新しく建てた家で、入口にガレージがあり、入ったところの部屋が台所だ。 中二階に彼の書斎があり、hall をぬけて bedroom と bathroom がある。 後ろはみな森である。 ここに来る鳥の数をかぞえたら、46種類あったと言う。 キジが芝生の庭を歩いている。日本人ならこの年頃で、こんな土地を買って、こんな家にはとても住めないだろー、大学教授くらいでは。 蝶はこんなのがいる、オオミズアキのよーな蛾がくるなどと、奥さんが話す。 
Spuhler は日本語のポケット入り動物図鑑を持ち出してきた。 アメリカ人にはまだ Naturalist の血が流れている。 
マティーニを飲み、食事を一緒にする頃、雷が鳴り雨となる。 
また奥さんが運転して Spuhler とは laboratory で別れホテルまで送ってもらう。
Laundry が出来てきているのでズボンを替え、下へ降りて行って Carpenter の論文を読む。 3時15分に Spuhler の奥さんが迎えに来てくれた。 一度 raincoot を取りに家へ戻った。 そしたら家の前にキジの♀が子供を8匹つれて歩いていた。 雨が降っていた。 Air port に行ったら名大の村上氏に会う。 彼氏の飛行機は2時何分かに出るのだが、気象の加減か4時になったと言うのである。 
われわれは定刻に出た。 AA である。 耕地の上を半時間ほど飛んだ後、Michigan の上に出た。 飛行機乗ったらコーヒー飲むかと聞かれnoと言った。 そしたら気が付くとみな lunch を食っている。しかし、さっきnoと言った為か、俺の所にはスチュワーデスが運んでくれない。 いまごろ別に食いたくないのだが、何か misunderstanding だな。
そのうちシカゴガ見えて来た、シカゴはなんとなしに大阪を思わせるよーな、少しこみ入ったでかい町だ。 Air port には TWA と AA が一杯いた。 まだ雨が少し降っていた。 
バスを待つ、ゆっくりしたバスだ。 満員になってバスは都心へ走りだし、はじめの中は場末の汚いところを走っていた。 Hanburger というネオンが沢山ある。 Railway station の近くを通ーたらしく沢山の汽車を見た。 その中に町の中へ入って来て、まず WMCA Hotel というどえらい大きな hotelがあった。 街の点中に高架線になって電車が走っている、妙な町だ。 立派な建物が建ち並び、もう7時で町は夕日を浴びながらネオンが灯っている。 
Bus terminal から taxi でホテルに着く。 ホテルの office は二階だった。 秋月氏に電話しよーかと思ったが、電話帳を繰って、天理の政木さんの電話番号が見つかったので、電話してみたところ、真授さんからも堀越さんからも、手紙をもらっていると言う。 とにかく土地不案内ゆえホテルでお迎えを待つことにした。 
Ann Arbor を思い返してみると、実に田舎で気持よかった。 ここでは Washburn がどんな男かと言う事で、万事きまるだろー。  Washburn の所へ電話したが話し中で通じない。 
そこへ door の knock 、意外や政木夫人現わる。 御主人は表で park 出来ないから、どこかで待っていると言う。 伊谷を誘って、表へ出る。 
やがて政木さんが向こうから歩いて来られた。 とにかく家へ来て味噌汁と漬物でも良ければ、それでくつろいでご飯をたべてくださいと、言われるままに、協会へ運ばれてゆく。 右側 Lake Michigan だ、日本人の ―日本人はこの町に1万もいると言う― 店へ寄って、刺身にする魚を買おうといったが、なかったので豆腐を買って、だいぶ走って教会へ着く。 ちゃんと太鼓や神殿をつくってある。 しかし畳の間はない。 政木夫人はさっそく拍手を打たれる。 こっちは照れ臭いので、そっぽを見ている。 しかし親切な方だ。 米山のチェックを見せたが難しいと言う話だ。 
酒は鴨鶴、豆腐は煮豆腐で、それにこちらの日本人製の蒲鉾で一杯飲みだした。 政木さんは飲まない。 なかなか美味い、それにキューリの漬物、細大根の浅漬け、鮭などが出て、これはやっぱりhamburger を食いに行くより有難いものだった。 おみおつけは豆腐、飯3杯よばれ、政木さんの運転でホテルへ帰った。 
それからちょっと bar  ―ここは bar という看板の上げたところではない― でビールを一杯飲み、ホテルへ帰って部屋代を聞くと、伊谷の部屋は7.00を6.50にまけたもの、ワシの部屋は6.50だと言う。 さっきちょっと見たところでは、伊谷の部屋の方がずっと良いので、あの位の部屋はないかといったがないと言う。 伊谷には気の毒だが変わってもらうことにした。 
それから bath を浴びて寝たのは1.00。

6月19日  朝 bath を浴びたところへ伊谷が訪ねて来たので9.00 front で落ち合い、近くの coffee shop で朝食。 
それから JAL へ行って Madison 行きの reserve を頼んで、その前に Washburn に連絡したところ、10.30に Universityで待っていると言う事だった。 
JAL を出たのがもう10.25だ、それで taxi で University へ走った。町の outskirts に Mishigan 湖沿いの dreive way があって go、stop もなく、まことに快適だった。 University の前で降り、Department of Anthropology を探すのに、女学生に聞いたり、散々苦労して11.00にやっと、Washburn に会う。 
ところが其処に、若い神父さんがいて、名を Frish と言うが、日本に3年いたそーで日本語を喋り、また読むことが出来る。 この人を解して prof.Washburnは、すでにわれわれの研究をある程度まで知っていた。 これは全く予想しない知己を得たことになる。 Washburn が Africa で撮って来た baboon の写真を見せてくれたので、こちらも Japanese monkey の写真を見せている中に、昼となり、だいぶ遠いところ ―3~4町離れた― まで出掛けて行って、あるレストランに入った。 
昼食後 Washburn の Laboratory を見せてもらった。 Indian の歯を研究している Dr に紹介された。 日本、Africa 、Eskimo の歯型をとり、pedigree を扱った研究で、実に丹念に data を集めているのには感心した。 
それから Washburn の、 skull の collection も一応見せてもらった。  Monkey、Apes の comparative sociology をやるには、Physical Anthropology をやっておく必要を痛感した。 
それから Sol tax の部屋へ行った。 そして prof.Spuhler が作ってくれた紹介状を示した。 Sol tax はいかにも cultural anthropologist と言った如才ない、しかし Kluckhohn などに比べてscale の小さい学者のよーに思われた。 来年の1~2月に日本へやってくると言う。 American Anthropologyial Asociation の president なんだから偉いのだろー。 
日本の研究で英語で発表されたものがすくないから、われわれは日本の研究を underestimate しがちだ、そーいう事のないよーにしたいのだとお上手を言った。 
Washburn の部屋に戻り、来年1年間アフリカへ行って baboon を研究すると言う若い人に紹介された。 やがて4時になったのでべっしつでfilm を上映。 ところが残念なことに、sound box が古くて、toki が全然入らない。 見ている者は20人もあったのに。 伊谷が代わって説明しよーとしたが間に合わないのでFrischが救いの手をのべてくれた。 Film 終り、質問に入る。 相当盛んに質問が出る。 これも Frisch が通訳してくれ、そのあと prof.Washburn ―おくさんも film を見に来ていた― の車で、秋月氏のいる Brockwood hotel まで送ってもらう。 
秋月氏の部屋を訪ねると、同氏の娘さん及び女婿が来ていた。 
まだ御馳走が出来ていないと言う。 刺身にする魚は今日は手に入らなかったと言うので、焼鳥、アワビ、エビ天などでビールを飲んだ。 こちらの大学に居座っていると言う人の夫妻もやって来て一緒だった。 秋月氏の娘さんは秋月氏にすれば上出来である。 ビールがなくなってブランディーを飲んだ、それからハイボールを飲んだ。 
きらくな party で好きなことを言って愉快だった。 11時なったので秋月氏 、一緒だった夫妻両氏に送られて、郊外電車の停車場まで送ってもらった。 
電車の終点で降りて、出たところは JAL のある wabash street の近くだったので、ホテルまでは近くすぐだった。 街はもう12時だのに、まだ通っている人が多く、Chicagoはいかにも大阪的だと思った。 
ビールを一杯飲んだのちホテルへ帰り、1時すぎ就床。

6月20日  朝は何時もの coffeee shop 、それから JAL へ行き、  Madison 行き OK 、40ドル伊谷が払った。 サンチャゴ行きはbus にする。 
昨日覚えたので Illinoi central (郊外電車)に乗って大学へ行く。 秋月氏を訪ね、一緒に University Bank へ行き、そこで米山の100ドルを氏の口座へ払い込んで、100ドルを得た。 それから大学へ戻り学生食堂にあるところ ―カフェテリア― で昼食。 日本人かと思われるよーな顔が2~3 -女だったか― 。 
秋月氏の部屋に帰って魚釣りの話をしばらくしてから、 Dept. of Anthropology へ行って、Washburn に会い、Risenを電話で聞いてもらったが不在。 Kluver は居たので Washburn の案内で彼の Laboratory に行く。 
本やら apparatus やらゴジャゴジャした中に、じいさんはいた。 もう定年は越していただろー。 話し好きでイロイロ喋り、コーヒーを飲ましてくれた。 16ミリを写すと言ったら、ここに適当なprojecter が無いと言うので zoology の方へ電話してくれたけれど、Park も Emerson もいない。 Collias が居るかも知れぬと言うので、探しに行ってくれたのだが、それもいない。 けっきょく film は写さず彼の飼っているサルを見せてくれた。 
大部分がリーサスで中には brain の operation を受けてから20年以上生きているものもあった。  かれは30年ここで仕事をしている。 サルの寿命は35は持つだろーと言った。 
それから学内をここが Botany だ、ここが zoology だと教えてくれた。 それで別れた、あのおやじは良いおやじだが変わり物であるに違いない。 
電車に乗って、それから Natural history museum へ行くと思い一駅行き過ぎ taxi で行く。 Downtown にあると言うから町の真ん中にあるかと思ったら、あにはからんや、海岸沿いに立った建物である。 行ったのが5時頃、ここは Habitat group が沢山こしらえてあるので有名な museum で、実に贅沢に沢山のはく製をその為に使っていた。 
アフリカの一部を模写したのなんかはキリンが数匹、 Eland、Impala、Rhino などを一つの case に納めていた。 African buffaro のもの凄く大きな♂もあった。 アジアの山岳地帯の game animal はこの前 Oxford で見たけれど、ここは設備が良いので、実に良くわかる。
例えばTahr (ヒマラヤ産 Hemitragus) は背高く、足長く、胴短くして、角もまた短し。 
Burrhel (ヒマラヤ産 blue sheep、Psendois) は背低く、角は Tahr より長いがツルリとしている。 
・・・・以下続クガ省略
Habitat group を一巡しない中に6.00になって電気が消える。 
仕方がない、コンナ立派な museum ならもっと早く来るべきだった。 動物園も良いが、博物館と言うものは、特に natural history museum の価値を今日は特に感じた。 しかしここには New York の museum のよーに、裏に楽屋があって、animal behavorの labatory があるという様子はなかった。 
館を出て Chicago の高い建物と海と drive way の見える階で一服した後、また Illinoi central に乗ってホテルへ帰り、bathを浴びて8時に夕食に出掛ける。 
いつもの bar でビールをトーガラシ(ピーマン)のピックルと chicken で3本飲んだ、roast beef は不味くて食えなかった。 それから支那料理へ入ったが、とても高いので焼飯だけ食って、ホテルへ帰る。 
疲れていたので寝たのだが、Tappen、Sanfrancisco の別府、清水 etc、に手紙を書き、12.30就床。




以下次回へ 

          

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