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2011/01/25

AFRICA 1958 (28)

6月21日  朝はいつもの coffee shop 。 今日は土曜日で客が少ない。 Los Angeles の天理教宛の手紙を書いて、10時にロビーへおりて、動物園行きの車の迎いを待つ。 
迎えに来てくれたのは Washburn とこにいて、来年アフリカへ baboon を調べに行くという Mr.De Vore とその奥さん。 
子供はまだ一才だが、これも連れて行くという。 場所は Naibasha 湖の近くだと。 その前に South Africa で baboon をやっている男がいて、それを訪ねると言っていた。 1年行くのだそーである。 
行ったのは郊外にある Brookfild zoo で何所でもそーだが、それを support  ―多分 moral に、また scientific に― しているが Chicago Zoological Society だった。 
中はこれはまたとてつもなく広い。 まず monkey の居る所へ行く、baboon や mountain sheep の島がある以外はみな cage に入っているから自然動物園ではなくて、ただの動物園だが大きい事にかけては、やはりアメリカ式でおそらく世界一だろー。 
Baboon の colony に大きな、いわゆる overlord と呼ばれる♂がいないので、あとで福園長の Ralph Graham の言うところでは、大きな♂を入れておくと、ほかのものも傷め、殺すから別居さしてあるのだと。 
その中に昼になったので、園内の cafeteria ヘ行く。 それまでに4人の人と同流した。 一人はやはり Washburn とこで勉強している Kinzey、もう一人は California の建築家、女二人の1人は anthropologist の wife で、今年の10月から2年インドへ行くが、向こうで rhesus の wild life を調べるという。 もう一人のおばちゃんは誰か知らない。 みな、まずそ―なものを食っている。 Lunch は取ったがこれも不味かった。 
それから children,s zoo を見に行く。 動物の子供がいろいろ集めてあり、ラマやヒツジの子を放してあって子供がみな可愛がってなでてやっている。 日本の子供も石をぶつけずに早くこんなになると良いのだが。 Chimpanzee の子供、Orangutan の子供といった上等も入れてあった。 そのかわり豚の子、牛の子もいた。 
それから gibbon や smoll vertebrate のいるところを見に行く。 
Gibbon は lar で3匹いた。 ここでまた来た時の経に別れ、それから okapi や ziraff を見て、歩いているカンガルーの子が袋から出て歩いていた。 
今日は一日快晴で爽快だ、日景は涼しすぎる位の良い天気だった。こんな天気に恵まれて、何もかもあけっぱなしのアメリカに住んでいては陰影と言うものは分からないだろー。 アメリカの性格はやはりその habitat と関係がある。 
De Vore の嫁さんの Nancy は大変な日本びいきで、日本の建築をほめ、日本人の映画をほめた。 羅生門、地獄門、七人の侍などはとても良いと言った。 Benedict の「菊と刀」はどーかと言うからよく書いてあると言ったら、こちらでは評判が良くない、incorrect だというがと言うから、それは問題が大きく complete だから one sided になるのはやむえないが、その限りでは良く出来ていると言った。 それから 「Voice of America」はどーかと言うので、まだ読んでないと言った。 
「サヨナラ」はどーか、それは日本の女を賛美したものらしい。 女らしさ、しとやかさ etc ら。 彼女の opinion は、やはりこれも one sided だろーと言うのらしい。 そしてその映画も評判は良くなかったと言ったが、アメリカ人の前でそれは one side でなくして、real だという事は気が引けてやめた。 
しかしアメリカ人も日本人も同じよーに間違った見方をしているのでなかろーか。 
帰ってから bed の上でしばらくうたた寝して bath に入ったら、すっかり気分が良くなった。 
7時半食事に出る。 なお Washburn がサルの研究の為に Ford 財団から得ているいる金は25000$、日本円に直すと800万円である。 だからそう多くはない。 
7時になり伊谷に電話しよーとしたが、どーしても通じない。 それで仕方ないから、いつもの bar ―この町には bar という看板を上げた家はないが、とにかくレストランよりも低級である― へ行って、ビフテキとビール。 medium を注文したが黒こげで美味くないので、rare medium をもう一皿取ったが食い切れなかった。 
9時前になり伊谷現る。 困ったことだ、サルの連中はどーしてこう team work の出来ない奴ばかり多いんだろー。 あに川村一人ならんや、である。   
・・・・ コノ後少々ゴ機嫌ガ悪イノデ省略 ・・・・  
ホテルへ帰ったらエレベーターが二つ止まっていた。 一方は男、一方は黒人の女、もちろんその方に乗り、相客がなかったので25 cent 彼女に寄付した。 せめてもの憂さ晴らしである。

6月22日  伊谷が電話をかけて来るまで寝ていた。 昨夜11時半から9時まで、9時間寝ていたことになる。 
Bus tarminal へ10時に往こうと taxi に乗ったら運ちゃんが air port まで3ドルぐらいだと言うので、そのまま airport まで走らせた、midway air port だ。 
11.00発、North Western だが、飛行機がどれだかわからない、よく見たら2台重なっていた。 乗客はわりあい多かった。 朝食をする暇がなかったので、airport でした。 それから飛行機に乗ったら、またすぐ lunch が出た。 
ビール製造で有名な Milwaukee に寄った後、10時半 Madison のair port 着。 アフリカのどこかにあったよーうな小さな air port である。 
そこからバス代用の大型の車に乗った。 Madison の街は綺麗とは言えない。 大学が綺麗なのかも知らぬが見てない。 車は10階ぐらいある高い建物 ―それはホテルだった― の前に止まって乗客を吐き出し、後にはわれわれの他一人だけ残った。 
運ちゃんに大学の近くのホテルへ連れて行けと言ったら、ホテルはない YMCA へ泊れと言って、 YM の前に連れて行った。 
まあ YM にも一度ぐらい泊っても見るのもよかろー、ところが desk に誰もいない。 今日は日曜日だからだろーが、インドの留学生らしいのがピンポンをやっていたが、それが出て来て、2階へ行けと教えてくれた。 会った男は今日は、誰も desk の者はいないが、とにかく泊めてくれた。 部屋は3.75ドルだが、水も出ないし、灰皿もない、大へん殺風景なものだ。 
まあ仕方がない、昼飯食うにも、ビールを飲みに行くにも、不便な所だが仕方ない。 少し昼寝をしたら、なんだか冷え冷えする。 まだ5時半だが、伊谷を誘って街へ出た。 2軒ほど bar をひやかした後、支那料理屋へ落ち着く。 料理は大へん不味く高かった。 それから、また歩いて帰った。 
ここを出るとき Schaller と Mason に電話したところ Dr.Emlen は Michigan へ行っていないと言う。 明日 Mason が車で迎いに来てくれることになった。 
YM へ帰ったのは9時半ごろだったろー。 それからすぐ寝た。 
あまり酔っぱらっていたわけでもないが、それから2時に眼が覚め喉が渇いたので、水でうるおしに行ったついでに、起きて日記をつける。 それから少々 Fode を読んでもう一度寝た。

6月23日  10時に Dr.Mason が迎いに来てくれた。 大学の中へ行くのかと思ったら、さにあらずして町の一角に、まるでレストランか何かの様に、PRIMATE LAB と縦に赤字で書いた看板のあった建物に連れて行った。 
ずーとはいって行ってprof.Harlow の部屋へ行く。 彼はもうよい年 ―50を出ているだろう― だが至って元気な快活な人である。 Culture についていろいろこちらの側を上げて説明した。 Washburn は baboon の3つの群れしか人間との contact の違いにあって、behavior の違う事を認め、それを culture と言っているらしい。 
Leader の子守などはやはり興味があるらしく、写真を見て驚いていた。 Mason はまあ助教授といったかたち、それから Schller も来ていたが、Schller は背の高い、頭の毛の黒い青年で、こんな青年がよくも2年もゴリラと取り組むことだと、すこし懸念される。 
昼は Harlow と Mason と一緒にレストランへ行った。 
それから Mason に少し中を案内してもらった後、1時半から film を写す。 今日は screen には小さくしか映らなかったけれど、saund は上手くいった。 あとで質問はあまりなかった。 
そのあとまた experiment の説明を Mason がやってくれた。 一匹で free にしておいて cage 入れた、2匹のサルを其処へ入れると、preference をやると言った。 また inexperienced ♂(socially に isolate された♂)と experienced ♀とを別々の cage から大きな実験箱へ入れて sexual behavior の違いを見せてくれた。 Control に experienced ♀と experienced ♂とを入れたら、ただちに maunt に成功した。 
それから intelligent の研究をしている女の人のいる部屋を覗き、その次が有名な good mother と bad mather の実験で、同じようなrhesus の baby が沢山 ―20匹ぐらい― いろいろ工夫された cage に入れてある。 
Bad mather というのは単なる金網円筒であり、Good mather は何かラシャの布の様なもので出来ている。 なおそれが揺れるように工夫してある。 Baby は脅すと逃げて good mather に抱きつく、抱きついてすやすや眠っているものもあった。 
最後 Kasferhause の実験で9カ月、人間もサルも見ないで育てられたサルが二匹いたが、全然 aggressive な態度を取らない。 また脅すとすぐ自分で手や足を噛むサルを見た。 
それから Mason と別れて、 Schaller と図書館で話す。 彼はわれわれに project の copy を一部くれたが、それには軽費の分が抜けていた。 
それを見ると明らかに Albert National Park で仕事しよーとしていることが分かる。 我々は Congo 側よりも Kisoro 側の有利なことを言いたいが、これから Congo 側を Kisoro 側に替えることは、ちょっと難しいのではないかと思った。 Coolidge の入れ知恵でそーなったと思われるからである。 しかしとにかく Coolidge がアメリカを離れる前にもう一度この事を強く押さねばならない。 
話が終ってもう一度 Harlow の所へ戻った。 20年前には primates を実験材料に使う者はごく少なかったが、今では大変多くなっている。 アメリカだけでprimate laboratry のある心理学教室が10以上あると言って、それを親切にもタイプで打ってくれた。 また沢山別冊をくれた。 
その中に去年の人類学大会で発表した 「Basic social capacty of Primates」 があった。 それは good mather と bad mather の実験をもとにしたものであることを知った。 5時過ぎこの気持のよい心理学者と別れて、Mason に YM まで送ってもらう。 
いつ雨が降ったか知らぬが道が濡れていた。 われわれもせめてあの位の laboratory が欲しいものだと思った。 
しかしこれはわれわれが欲しがるのはおかしいので、実は日本の心理学者が欲しがらねばいけないのである。 
6時に食事に出る。 今日の bar でビールをひっかけた後、湖岸の方へ行く。 この湖は何という名前か知らぬが、周囲が見渡せる程度の小さなもので山中湖ぐらいだ。 それから近くのイタリ―料理店でビフテキで晩飯をすまし、美しいと云われる Wisconsin 大学の構内を散歩して見た。 
丘の上に立っていて ―ずっと向うの丘何か知らぬが dome がある― 緑の芝生、沢山の森林、立派な建物、これなら誰でも美しいと言う筈だ。 モダンな綺麗な建物の入口に Commerce とあったのには驚いた。 商科なんて言えば、もっと汚い、ごみごみした建物をわれわれは想像しがちだからだ。 
YM に帰ってから Schller のくれた pruject を読んだ。 全く project のための pruject にすぎないが、project の書き方の為には参考になる。 
明日は、いよいよ北部を去って南部へ向う。 12.00就床。 




以下次回へ     










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