« AFRICA 1958 (29) | トップページ | AFRICA 1958 (31) »

2011/02/05

AFRICA 1958 (30)


6月27日  朝、下へ降りがけに、もう朝は会えないと思っていたのに、ベッピンさんのエレベーターガールだった。 昨日は夜勤で今まで勤めているのだろーか。 伊谷も乗り、他の乗客もいたが、一番後から降りる工夫をして、彼女に25セント玉を一つ握らすのに成功。 Thankyou という声は実感がこもっていた。 
Taxi で air port へ行き、朝食をとる。 8.25 発 Delta だが、この間のよーな DC7 ではない。 双発の小さな飛行機だ。 
まっすぐ Atlanta へ飛ばないで、海岸沿いに行く。 何という川か知らんが相当大きな川が河口の付近では幾筋にも別れて、海へ注ぎこんでいた。 その間は水が出たところか、泥や砂でなくて、
meadow のよーな緑の草に覆われている。 ここは南部なんだが、なんだかシベリアの北氷洋に面したツンドラ地帯の上を飛んでいるよーだ。 上流の方には黒々と森林が茂っている。 海岸沿いにも森林があった。 それは広葉樹林だった。 川の傍もその type の森林があった。 
川からとおざかると spanish moss の一杯ついた松林になる。 こんな寂しいところでも、所々に家がかたまったところがあった。 
はじめ着陸したのは Brunswick というところだった。 それから、また同じようなところを飛ぶ。 右手は海で曇っていた、時々雲の中へ入る。 海から離れて、Savanna というところに着陸。 あまり Savanna らしくない所だった。 松林ではサバンナの気分は出ない。 
それから Atlanta まで nonstop、雲が切れて Atlanta のある平原の上に出る。 Atlanta 着、11.40ぐらい。 
それから DA へ行って、あす Dallas で泊るのをやめて、Denver まで行けるよーに変えられぬか相談した。 けっきょくFC に乗る事になるから、金を払い込まねばならない。 しかし FC とは何も汽車の一等というよーなものでなくて、つまり急行なんだ。 TC で Dalla - Denver 間が3時間かかる所、FC なら1時間半ぐらいで行ってしまう。 同じころ出て一報は Dallas で泊らねばならないのに対し、一方は Denver に5.30に着いてしまう。 高い値打ちがあるわけだ。 
Air port service の bas に乗って Piedmont Hotell に着く。 通された部屋は9階だが、なかなか豪勢である。 あとで聞いてみると9.25ドル、馬鹿らしいがまあ一晩だけだから泊る事にする。 
外へ出て昼食、ローストビーフサンドウィッチ、それから taxi で Emory University へ。 電柱がないから、両側から道の上へ木が枝をはって涼しい木陰になった下を走る。 Emory へ来て Depart of Anatomy が分からぬ。 車を止めて聞いてみると、すぐ横手の建物だった。 
Tappen は小柄の男だが、しっかりした人物だ。 どーして俺を知っているのかと聞いた、映画は5時からという事にして、ここの教室の bos である Dr.Bourne に紹介された。 大きな部屋に解剖台が幾つも並んでいて、その上に遺体が乗っている。 ガーゼがかけてあるが、もっとも不気味な光景の一つである。 階下に何匹か monkey が飼ってあった。 Rhesus とフィリピンザルだ。 
それから心理にある primat laboratory へ案内された。そこで Dr.Isaac にあった。 Tappen ほど生きいきとしていない。 しかし monkey は綺麗な部屋のきれいな cage に入っていて、ここのは大変おとなしく、一匹も吠えかかる奴はいなかった。 実験装置は説明してもらったが良く分らなかった。 Light と noise の conditioning の研究のよーなもの。 
普通の餌を取る学習実験など、あまり印象的でなかった。 Tatoo をやる機械を見せてもらった。 
Anatomy へ帰って、Film 上映。 Sound がもう一つ上手く入らない。 伊谷に言わせると、いろいろな機械にかけるので、すり減ったのかも知れないと言う。 
それから Tappen は家へ連れて行ってくれた。 すぐ前の電車が一日に何度かとーるけれど、松林を後ろに控えた、こじんまりした住宅だった。 奥さんは Tappen よりも背が高いかも知れない。 声に charming な所がある。 赤ん坊は生後2カ月。 
Carpenter、Spuhler、Tappen とこれで3人の学者のいかにも楽しそ―な、私生活を覗く事が出来た。 ここでウイスキーを2杯よばれて、レストランへ連れて行かれた。 
月が綺麗な夜だ。 そのレストランは非常に流行っていた。 Mammy,s shanty という家で、中へ入ってみると bar もあり、大きな部屋が幾つもあるが、どれも殆んど満員だ。 こんな所がある事は、案内をもたない tourist にはちょっとわからないだろー。  ここで flovuder という魚の grill を食った。 Tappen は salmon の steek を食った。 伊谷は chicken 。 この魚は sole より美味いと思った。 また tea も美味かった。 
それから月の照る中をホテルまで行って、 colour slide を取り、また木の多い道を Tappen の office へ行き、かれもこれで slide を取って来てから、彼の家へ帰った。 
Baby は寝たらしく、奥さんが出て来て、写し役になった。 はじめにわれわれの slide、それから Tappen のサルの slide 、それからアフリカのいろいろな写真を写して見せてくれた。 
Slide はまだまだあったが、あまり遅くなるので12時 前にお暇ごいし、また Tappen に送られてホテルへ帰った。 
彼らや Mason などというところが、その中にいつか leader class になることだろー。 大変研究に熱心で、その意気込みを高く飼うべきだと思った。 視野も広く、他の者のやっている仕事に対しても
curiosity を持っている。 ニホンザルの testis が欲しいと言った。 クロモゾームナンバーを数えるのであろー。  
彼と会えて良かった。 一風呂浴びて寝たのは1時半だった。  

6月28日  朝起きて Coolidge 宛の手紙を書き出す。 
伊谷ネボーしているので、9時半ごろおこし、近所の cafeteria で何か黄色いものの塗ったのを食った。 栄養的なんだろうが、後味が良くない。 変わったものは食わぬ事だ。 
伊谷に Borlder の Smith に電話をかけてもらい、11時過ぎ bas で飛行場へ向う。 Tourist を first class に乗り換えるのに一人宛17.99ドル取られた。 
飯は飛行機の中で出るだろーというので食わずに、1.05 DC7 で nonstop 、Dallas 行き DA に乗る。 この間フィラデルフィアからワシントンまで乗った721というのに乗るのだ。 だからあの時のairgarl ―陽気で、口が大きい、身体が大きく、離着陸の前に歌をアナウンスした(ベッピン)―  airgirl にもう一度会えるかと期待していたけれど、違うスチュワーデスだった。 
食事、はたして出た。 チョコレートをビスケットの上にのせたよーな菓子だけは半分しか食わなかったけれど、あとは殆んど全部食べた。 
飛行機は雲の上にでてしまったので、Missisippi はついに見る事が出来なかった。 
Dallas は Texas の首都である。 Dallas 着2.40、実際は3.40 で2時間半はかかっているのだが、ここで south western 時になるのである。 飛行場は今までのどこよりも壮大で、かつ新しくて、気持が良い。 しかしウロウロしている人間は、こんな広い飛行場にしては、少ないと思った。 星一つのTexas の旗が、アメリカの旗と共に飛行場の入口に立った pole の上で風にはためいていた。 
同じ飛行機に日本人が乗っていて、飛行場へ着くともう一人の日本人が迎えに来ていた。 兄弟で飛行機に乗っていた方は弟で、これから日本へ帰るのだと言った。 兄の方は、もう8年間もこちらにいると言うので英語は達者で、われわれをお上りさん扱いして、親切にイロイロ乗り換えの事を教えてくれた。 
われわれの荷物は、ここで受け取らなくても、そのまま次の飛行機に積み込まれるのである、ことも彼に確かめてもらった。 握手して別れた。 何処にでも日本人はいるのだなと思った。 Atlanta の airport でも数人の日本人に会っている。 
こんどは Braniff Air Line という奴で、こんなのは初めてだ。 Siatlle 行きだった。 どこから来たのか知らぬが、すでに乗客が多くて、満員というところ。 窓側の席を取らずに、少し寝よーと思った。 
この飛行機はあまり高くは飛ばないよーで、下の道路が良く見える。 はじめは耕地だったが、その中に西の方の山が見え出した。 Rocky だ、夕立雲が空を覆っていた。 Colorad へ入ったのだろー、下は何だか西部的な草原があって、ところどころに小さなでこぼこ ― 丘だろー ― があって、その上を何か知らんが灌木が覆っていた。 
Denver に近づき一部には pine forest が見られる。 左に見えるのが Pikes Peak だと pirot からのアナウンスがあった。 
Denber に着くと、prof.Smith が奥さんと男の子を連れて迎いに来てくれていた。 感謝する。 
Norman からの手紙を見せたところ、New Mexico へ行けば40ドルぐらい出すのだろーと言うので、早速飛行機の route 変更を Conthinental Air Line という、これも今まで乗った事のない飛行機だが、そこの desk へ行って交渉した。 結局 firstclass でアボガケ経由ロスに行くのに、16ドルなにがしの払い込みして、すれば良い事が分かった。 アボガケからは TWA だが、これを tourist すれば、安くてすむよーであるにもかかわらず、かえって高くなるのである。 何の事か良く分らない。 
Smith 一家を大変待たしてすまなかったけれど、これで fix した。 あと Denver で支那料理でも日本料理でもと言うのだが、フラウは日本料理を考えているらしく、「サラシナ」と言う down town のあまり金持ちのいない、メキシコ人などの貧乏人が沢山住んでいる所で開業しているサラシナと言う日本料理店へ行った。 
そこまでゆく間に Denver の公園を通ーたが、大きな池があって duck やなんかが泳ぎ、 綺麗な芝には elm の大木が植わっていて、山というよりも northen という感じがする。 
Smith 夫人より支那語も日本語もかつて勉強したことがあると言った。 大の日本通で、料理にキッコウマンを使っていると言うと、出て来たキャベツの漬物、大喜びで食った。 いろいろと日本の事を聞いた。 話している中に足袋まで知っているのには驚いた。 それから明日は fishing というので、その licence をとりに、釣道具などを売っている、sporting shop へ立ち寄った。 Licence ははじめは10ドルと聞いて高いなと思ったが3.5ドルですんだ。 自動車の licence を持っていたら、もっと安くなるらしい。 New York の動物園でも自動車で来た者の方が一般人より安かった。 
そこから Borlder まで drive 。 月が出ているらしい、それに夜気が山の冷気を伝えて、いかにも refreshing である。 
Borlder のホテルも Smith が探してくれた。 下宿屋のよーな、むさ苦しいホテルだが5ドルあまりで、bath 付きの部屋があり、何よりも大きなホテルのよーに気が張らないで有難い。 
Smith に別れ、bath に入って日記をつけるのを明日にまわして、寝た。 12時前だった。 




以下次回へ  




« AFRICA 1958 (29) | トップページ | AFRICA 1958 (31) »