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2011年4月

2011/04/24

AFRICA 1958 (36)

7月9日  飛行機の上では良く眠れなかった。 時間は2時間遅らし7時前 Honolulu 着。 
Air port へ天理の井上氏と友人の三国氏が迎えに来て下さっていた。 レイをかけてもらった。 それから井上氏の車でとにかく教会まで行く。 食堂でパイナップルとマンゴーをよばれた後、三国氏の操縦で見物に行く。
なんだか■性植物のついたわけのわからぬ森林やら竹林やら、Eucalyptus の森、松の純林、カシのよーなわりに背の高い木の純林などを左右に見て、景色の良く見える所まで行った。 ここは風のとても強いところだった。 
それから真珠湾を見に行く。 飛行場には沢山の軍用機がいたけれど大きなゼット機はいなかった。 真珠湾の入口もちょっと見えた。 それから Wikiki を見に行く。 Hawaian Village hotel といった凝ったホテルがあった。 土産物屋がいっぱい並んでいた。 海岸にはかなり大きな波が打ち寄せて、そこで波乗りに興じている者が多かった。 
それから動物園を一巡見て、帰ろーとしたら Bowies 氏から電話があったので係の者が案内すると言う。
それでもう一度引き返し Chimp と Orang の檻を見た。 Chimp は子供の時から飼われて9才の♂、orans は一匹はスマトラ一匹はボルネオ、スマトラ産には足の親指の爪がないと言った。 また♂は頬がひどく出ない代わりに顎鬚が伸びるとも言った。 Gibbon、liontail、spider、diana の檻がみんな一つの檻から餌がやれるよーになっていたのは工夫だと思った。 
Zoo から一たん教会に帰り、近所の日本料理店で飯を食ってから、三国氏を office に送り、井上氏の娘さんの運転で Hawai 大学へ行った。 えい加減な所でパークすれば、罰金5ドル、三度繰り返したら教授でもどこの大学にも行けないという。 図書館の本を借りて期限までに返えさなくても罰金だそーである。 
Bowles 氏の部屋を訪ねた。 井上第2世はアメリカ女性を嫁さんにもらいたいと言った。 アメリカ女が何故女らしくないのかを論じた。 Bowles 氏来たり、Bishop Museum に案内される。 
ハワイ王朝の悲史がここに condense されている。 Bishop はこの王家の娘と結婚し彼女の memory の為にこの museum を建てたのであった。 明日、三笠宮がここへ見えるというので館内でその為に忙しい、楽屋裏で明治15年に Bishop の貰った旭日勲一等の実物を見た、明日三笠宮に見せるのだそーである。 九大の大学院生が一人ここへ来ていた。 名前は忘れたがハムシ専門家で、明日の為にニューギニアの甲虫を並べていた。 
Ethnographic なコレクションの中に昔 native の使った波乗りがあった。 今のはみなその真似に過ぎない。 このタロと魚しか取れない島で、どーしてこんな king が発明したのだろーか。 サモアにも king はいたそーだがその productive backgaround が良くわからない。 Isolation による inutation で一応説明出来るだろーと考えた。 すくなくとも rice field とここは関係ないからだ。
鳥の羽毛から取った king のコートをフラッシュで camera に納めている女があった。 
Bowles 氏の家は丘の上の一番高見にあって、Honolulu の町が一目で見下ろせた。 Bowles 夫人は東京で会った時より年取ったように見えた。 2人の御嬢さんにも会った。 ここで taro のよーなどろどろしたものを試食したが、あっさりしていて、少し酸っぱみがあり、あと味がよかった。 
Bowies 氏にわれわれの travel の成果を報告できたことは、有終の美をなしたようで嬉しかった。 海の上に浮かんでいる雲はもはや日本の雲と同じ柔らかい雲だった。 
井上氏と別れ、Boeles 氏の車で asian のかたまった down town の支那料理を食いに行き、町を歩いた。 お巡りがやたらに沢山いるのは、夜の女や喧嘩を取り締まるためだろー。 ここは日本、支那、フィリピン、native、ポルトガル、negro、その他が雑然と入り混じり、またその血まで混じっているらしい。 
教会へ帰ると井上、三国両氏がスルメで月桂冠を飲んでいた。 若山椒のたいたので少しお酒をよばれてから、飛行機へ乗り込む。 
井上氏にお土産に煙草をもらった。 

7月11日(日付変更線ニヨリ) 飛行機で握り寿司が出た。 
ウェーキへ着いたらまだ暗かった。 バスに乗せられ朝食を食いに行く。 洗面道具をポケットに入れていって、髭をそった。 夜が明けて来た、ここまで約8時間かかっているのだが、ここで時間を2時間遅らす。 
ウェーキを出て、さらに3時間遅らす。 洋食の食事が出た。 
いよいよ日本、雲が相当濃い。 いつもと違って房総半島を横断した。 日本のジャングルが雲の間から見えている。 横断して海の上に出た。 東京湾らしい、東京の上を飛ばないで、こんど陸地の上に出たところが、すでに多摩川の河口にある羽田飛行場だった。11時半着、出迎えに西堀夫妻、ぶなこ、しーこ、富士夫、岳夫、あーこなどの顔が見えた。 ついに日本へ舞い戻って来た。 
   
                ・・・・・これでノートはお終いです。       

1958年2月4日、羽田を出発、バンコック経由アフリカ、ヨーロッパ、アメリカ、ハワイ(1959年アメリカ州になる)ホノルルを発ち、7月11日羽田に舞い戻って来た旅であった。 
このフィールドノートからは、ごく日常的な朝起きて夜眠るまでという日常性を追ってみた。 自分には晩年の先生からは窺い知ることがなかった日常の中に「凄さ・偉さ」をかいま見ることが出来ただろうか。  
ただこの5ヶ月余の旅には 「嘲ケルコトヲヤメヨ サルノ研究トイエドモ イマニ一人前ノ学問ニシテミセルゾ 」 との気概がこめられていた。 今西錦司56歳。



以下次回へ


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