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2015/08/17

今西先生の山 (13)


 かなり古いこと、私たちの仲間がシェルドンの方法に興味を持った。これはアメリカ男性を材料にしてった方法だ。日本人に適用できるか実証が必要だと今西が言いだした。7人で真っ裸になり写真をとり、シェルドンの規定する17の計測部位をはかり評定を出した。… と桑原武夫が書いている。① 
 その結果、今西先生は気質評定として内臓緊張性・身体緊張性・脳緊張性すべてが4とでた(ちなみに桑原武夫は3・2・4であった)。 市井での今西先生は、情に篤い。リーダーとしての今西先生は秋霜烈日という言葉で例えられるよう 非情なのである。
 
 その次には、「・・・今西さんの特色はその風格にある。一見カーク・ダグラスが似ているという外観ではない。大きさというか、克明にして大局をつかむ鋭さを、研究の上では勿論のこと、社会観においてはずさないというところにある。十年も昔、私は一方的におしかけた門弟を、世話し利用されつづけたあと、あまりの厚顔さに破門した。それをつたえきいた今西さんは、『なんで破門したんや、おれならせんな』と一本釘をさされた。  その後またぞろ同じ人物に足を掬われかけて、今西さんの忠告を思い出した。今西さんは確かに私より人間社会を大きい目でみている。今西さんは社会での各人の行動の責任は社会全体の連帯すべきもので、とくに私的繋がりのある場合には、そうであるべきで、破門とか追放とかいうものは何の解決にもならぬと、いうのであろう。 ・・・」②と岩田久二雄氏が書いている。
 
 今西先生の人となりが少しづつ見えてくる。  自然の中の現象は、みても気が付かずにすんでしまうこともある。 それはたぶん自然現象ばかりではないだろうが。  
 その現象を理論にまで持ちあげた今西先生の『生物社会の論理』が1949年毎日新聞社から出版された。 その後絶版になっていたのを、1958年になり陸水社から再販されたが、間もなく同社のご主人が亡くなられ、再び絶版となった。
 それを1971年思索舎版として再出帆することになった。いままでとの違いは、「生物社会の論理」だけでなく論理の構成に至る八つの論文を年代順に配列したとと思索社版へのあとがきにある。  
 陸水社版の「再販へのあとがき」を読むと今西先生の昆虫と山の少年が「生物社会の論理」へたどりつく変遷が良くわかる。


この項次回へつづく




①人間 人類学的研究 序にかえて 桑原武夫 1966 中央公論社
②今西錦司全集 第9巻1975 月報9号 今西さんとのつきあい





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