今西先生の山 (18)
大学入学時の学部決定には、山の初登頂が優先された。1928年(昭3)3月、京都帝国大学農学部農林生物学科卒。大学院にすすむ、5月には初心の理学部へうつる。この1928年より学位を受ける1938年(昭13)までの10年余りの先生の軌跡は概ね次のごとくである・
まず一つは、大学卒業論文にあてた水棲昆虫のカゲロウの個体の同定が定かでなく一念発起してカゲロウの分類からはじまる。先生の命名したカゲロウが25種ぐらいあるそうだ。
そして二つ目は、山である。このかんの10年には110山に登っている。山域は中部山岳と京都周辺が多い。 ・・・「山とはなんであるのか」、もうすこし丁寧にいえば、「山とはわれわれによって、どのようなものとして認められるべきであるか」・・・という、先生の思索がはじまっている。
三つ目は、ヒマラヤと海外遠征である。二度のヒマラヤ遠征計画は戦局によっていずれも頓挫した。高さから広さへ、新天地も対象となる。
次回はこのへんから始めよう。