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2019年3月

2019/03/17

今西先生の山 (19) 


ここに一冊の本がある。 「日本山岳研究」 1969年(昭和44年)著者今西錦司、中央公論社発行の本である。
まず自序があり、目次は、 雪崩の見方…「雪崩の見方に就いて」1931 山岳第26年、 風成雪とその雪崩…「風成雪とその雪崩に関する考察」1933 山岳第28年 、 劔沢の万年雪…「劔沢の万年雪に就いて」1929 地球第11巻 、 日本アルプスの雪線…「日本アルプスの雪線に就いて」1933 山岳第28年 、 野本アルプスの森林限界線…日本アルプスの森林限界線について」1935 山岳第30年、日本アルプスの垂直分布帯…「垂直分布帯の別ち方について」1937 山岳第32年 、 渓流のヒラタカゲロウ…未発表 、イワナとヤマメ… 「いわなとやまめ」1951 林業解説シリーズ第35 、 イワナ属…「今西錦司博士還暦記念論文集 自然ー生態学的研究」1967、 四十年の回顧…未発表、 いじょう自序をいれて11点の収録である。
この中の6篇は今西先生30代前半に書かれたものである。まさに山岳研究である。ここで思いあたるのは先生は自らの論は必ず一冊の本として出版し完成させている。いかなる時代背景があろうとも、である。 本書の6篇もそれにあたる。本書の出版から35年前に書かれた作品を「日本山岳研究」として仕上げた。これも今西美学の一つなのだろうか。
巻頭の自序にその当時のことが語られている。おおまかなところ次ののような論旨である。
「そのころの私は、あまりにも山に傾倒していたから、趣味などということでは、どうしても萬足しきれないものがあった。私にとっては、山に登り、山岳を研究することそれ自体が、自分の仕事であってほしかったのである。」 
だからと言って、「けれども私にはそのように、学問を手段にしようという気持ちもなかった。」 
ただ、「小学生時代からの昆虫採集などをとおして、次第にその魅力にとらわれていった自然というものがあり、山は、この自然の一つのまとまりを現した姿であり、自然の一つの代表である、といった受けとめ方のあったことを、否定するわけにゆかない。」 
そして、「山岳を研究するといっても、これをなんらかの専門的な学問の立場から研究するというのでは、私の考えるような、まとまった自然そのものとしての山を、研究することにはならない。山にすんでいる人たちは、専門的な知識などなにも持ち合わせていないかもしれないが、それでもわれわれにくらべると、山に関する種々雑多なことを、じつによく知っている。そして、言葉にして表現する術こそ知らないが、この人たちはそれなりに、「山とはなんであるか」ということも、心得ているかにみえる。私が早くから心をひかれていたのは、むしろ、こうした人たちがもっている個別的な知識の系統化であり、同時にまたそれの総合化であったかもしれない。」 
そしていう、「私の意図した「山岳学」は、だから、そのトピックが、雪崩であろうと植物帯あろうと、あるいはカゲロウの幼虫であろうとイワナであろうと、つねにその背後に、「山とはなんであるのか」、もうすこし丁寧にいえば、「山とはわれわれによって、どのようなものとして認められるべきであるか」、といった、共通した主題がひそんでいなくてはならないのである。」、とある。
当時かんがえた山岳学のゆくえは、「こうした山岳学の建設をめざして、私のえらんだ道は、もとよりこの目的のために考えうる、数多くの道のなかの一つであるのにすぎないであろう。しかし、わたしは私なりに、道順をたてて、仕事をすすめていたのである。それゆえ、戦争のために方向転換を余儀なくされていなかったとしたら、カゲロウの仕事家ら、イワナ・アマゴの仕事にうつり、そこでひと夏を黒部川ですごすような釣師の生活とも触れ、つぎにはシカやクマを追う猟師の仲間にはいる予定であった。それから私も彼らとともに、彼らの妻子がすむむらにくだって、彼らをとりまく山村の生活を調べおわったころには、私も相当年とるが、私の山岳研究もそのころには一冊の本として、ようやくその体裁をととのえるに至るだろう、と考えていたのである。」、とある。 
先生の山岳学にたいするおもいである。「しかるに、事、志とちがって、・・・」 と先生の山岳学研究御変遷が読みとれる。

今西先生より黒部源流域の越中沢岳(2591、Ⅱ)へ登るという便りがきた。1982年8月、先生80歳のときである。黒部湖を湖上でゆき桟橋でおりた。そこには細く、長めの急な階段がある。これを上がって山道にでる。船を桟橋につなぎながら、小屋の主人がジッと登る先生を見ていた。「あの年よりはたいしたもんだ。一度も止まらずにあがって行った。」と一言いった。山の人は山人の目線で登山者をはかる。平の小屋で泊まり、五色で一泊、越中沢岳に登り、平の小屋までもどる。ここでもう一泊、その夜、夕食後小屋のご主人がお酒をもってこられる。ご両人は初対面である。昨夜小屋に泊まった人が、宿帳を見て 主人に教えてくれたらしい。人見知りの強い先生だが、お酒もはいったこともあろうが、それよりもむかしなつかしい芦峅寺から始まって、両人ともに故人の山の話に、時の経つのがわからなかった。きっと先生も昔が思いかえされたのだろう。 翌朝、小屋の息子さんたちが捕まえてきたという、黒部のみごとなイワナをお土産に沢山いただいた。

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